第5章
ラクスとミーアと共に立寄った小さくてのどかな村。
それらを囲むかのように森林があって。
森の中には澄んだ湖に全てを見下ろせる丘。
懐かしい空。
覚えのある風の匂い、水の音。
見た事のない風景のはずなのに知っているような気がした。
『アウル』
そして、僕を呼ぶ声。
ラクスでもミーアでもない、誰か。
少し端の上がった独特な呼び声は春風のようにやわらかく、そしてはかなく。
その響きに心惹かかれて僕は振り返る。
僕を呼ぶのは誰?
かの声に導かれるかのようにあの森に、湖にひきつけられた。
何故だろうと考えても答えは見つからず、直にどうでもよくなってやめた。
考えても分からないことでうじうじ悩むのは性に合わない。
どうしようもない事はどうにもならない、すっぱり諦めたほうが良い。
そう思っていても心に引っかかり続ける感覚。
大切な何かを忘れているような気がする。
・・・・僕は。
・・・・・僕は何を忘れている?
永遠の唄
「・・・・ね、どうしたの?」
アウルはステラの声に我へと返った。
瞬きをすると茫洋としたすみれ色が彼を不思議そうに見ている。
何かを思い出しかけた。
それも大事な事を。
それをこのバカ女が声をかけてくれたせいでまた忘れてしまったと思うと、アウルにいらだたしい気持ちが沸き起こってくる。ステラを鋭く睨みつけると、その心の赴くまま、八つ当たり気味にきつい言葉を浴びせかけた。
「うっせーな、バカ。何か思い出しかけたのに忘れちまったじゃねーか。
どうしてくれんだよ、このバカ」
理不尽な理由でバカを連呼する少年にステラはしゅんとなって小さく謝った。だがよくよく考えてみると少女には何の落ち度もなく、怒るどころか心底申し訳なさそうに小さくなる彼女にアウルが自分が悪者になった気がしてくる。アウルは軽く舌打ちをすると手のひらをヒラヒラさせ、もう良いよ、と投げやりにつぶやくと。
とたんぱあと効果音の付いてきそうな勢いで笑顔になるステラになんて立ち直りの早い奴だと今度は呆れた。
同時に。
口元に笑みが浮かぶ。
根に持たないというか単純というか。
こちらに罪悪感を遺さなくてすむところをアウルは気に入り、うっとおしいだけだった少女に興味が生まれる。
「名前、なんていうんだよ」
「ステラ」
「・・・・・ふぅん」
アウルは気のない返事をしたが心の内は波打っていた。
ああ、まただ。
何かを思い出しかけている。
でもまるで記憶に強固な鍵をかけられたかのように頭は痛み、それ以上思い出す事を拒んでいて。ここまで来るとある種の意思さえ働いているのではないかとさえ思えてくる。
「う”〜〜〜、何なんだよ、一体」
「アウル、眉間に皺出来ているよ。綺麗なお顔が台無し」
ピキっという音を立ててアウルの青筋がもう一つ増えた。
男が綺麗だといわれて嬉しいわけがない。
それも分からないのか、こいつは。
額に手を伸ばしてくるステラの小さな手を振り払って、アウルは不機嫌さ全開で怒鳴った。
「やかましっ、誰が綺麗だコラぁ」
『誰が綺麗だって言うんだよ、バカステラ』
「は・・・・」
ぼんやりとしていたイメージが今度は頭の中ではっきりと映像を結んだ。
自分だった。
間違いなく、自分が誰かに向かって怒っている。
否。
怒っているような口ぶりだけど実際は困っているのか。
相手は?
相手は誰?
記憶の狭間で広がったのはこの場所。
森に囲まれた湖。
目の前で金色の光が揺れたような、気がした。
木漏れ日の中で人影は顔は逆光で見えないが、一人の少女だった。
金の髪の少女。
そこまで思い出すと不意に視界がゆがみ、同時に今度は鋭い痛みが走った。
頭だけではない。
心も、だった。
痛い。
まるで治りかけた古傷をえぐられたような痛み。
痛みに心が、悲鳴を上げている。
『忘れなさい』
ラクス?
違う。 ラクスはあの場にいなかった。
『忘れなきゃ、ダメ』
ミーア?
何を忘れるというんだよ、なあ?
なんで?
『アウルがアウルでいるために。これから生きてゆくために』
僕が僕でいるために?
僕は僕だよ。
何言ってんだよ。
胸元を握り締め、体をカタカタと小さく震わせた。額から玉のような汗が浮き出て、こめかみをつたう。
「あうる・・・・?」
「・・・・なんでも、ない・・・・」
食いしばった歯の間から必死に言葉を発しながら、アウルはなおも記憶をたどろうとする。
やっぱりこの土地に来た事があって、心惹かれたこの場所に何かあったのだ。
何があった?
何故僕は思い出せない?
「顔色、悪いよ・・・・?具合悪いの?」
おろおろした少女の声が遠くに聞こえる。
少し黙っててくれよ。
今、大事な事を思い出したいんだ。
泣きたいほど幸せな記憶。
悲しみと憎しみしかなかった心にともった暖かい灯。
だが次の瞬間。
その記憶は真っ白な雪が鮮やかな『紅』に染まる光景へとそれは切り替わった。
憎しみは更なる憎しみを生むというのに。
あなたはそれが分からないのですか?
ラクスの哀しげな声が蘇る。
憎しみのまま復讐をしていた自分に降りかかった憎しみ。
父を返せ、と憎しみに燃える紺青で彼をにらみつける少女。
彼女の傍らには冷たい殺意を宿した紫苑の少年。
そしてあの雪の中で死ぬはずだった自分。
何故自分は今生きている?
自分を貫くはずだった凶器の代わりに自分の腕の中で急速に失われてゆく体温。
大事な少女の命が零れ落ちてゆく。
もはやそれはどうにもならない事で。
『いやぁだぁーーーーーーっ!!』
絶叫。
気づくとアウルは絶叫を上げていた。
繰り返し繰り返し見る夢。
心の呪縛の弱まる夢うつつに鮮明に映し出されるあの日。
そして。
忘れなさい、忘れるのよ。
あなたがこれから生きてゆくために。
・・・・・ミーア。
彼を覗き込む淡い青を最後に、アウルの意識が遠くなった。
気づくと濁った空が彼を見下ろしていて、後頭部には柔らかい膝の感触。
時折髪をすく指と顔に当てられる冷たい布の感触。
瞬きをすると、眠りがさめたときと同じように涙がまた滑り落ちて。
・・・・・空白の記憶。
ああ、いつものやつだ。
異なるのは頭の下の体温と自分を覗きこむすみれ色。
「大丈夫・・・・?ずっと泣いていたよ・・・・?」
「・・・・・しんねー」
気遣わしげに降ってきたステラの声にアウルは再び目を閉ざしてポツリとつぶやく。
先ほどまでの心の波は嘘のように静まり返り。
今ではその記憶の片鱗さえ思い出せない。
眠りについたあとはいつもそうだった。
不快感も悲しみも全て跡形も無く拭い去られている。
「僕寝ていたの・・・・?」
「・・・・?あのね、顔色悪くして・・・・・倒れちゃったんの、アウル」
髪をすく指の感触の心地よさにアウルはその身を任せされがままにしていた。
暖かい。
もう遠くはなれた記憶の中の。
春の柔らかな日差しのように、ほわっとした暖かさが寒々とした、凍えた心に染み入ってくる。
「大きな声上げてどうかしたのって言ったらそのまま倒れちゃって・・・・」
覚えていないの、という問いに答えず、アウルは目を開けてステラを見やった。
「ずっとついててくれたのかよ」
「え・・・・?あ、うん」
「そっか」
わりぃな、とアウルがつぶやくとステラは激しく首を左右に振り、役に立てて嬉しいと微笑んだ。
会って間もない自分を気遣ってくれた少女が嬉しくて。
照れくさそうに頬を染めて微笑むステラにアウルにも穏やかな笑みが浮かぶ。
「・・・・もうちょっとこのままで・・・・いいか・・・・?」
「うんっ!!」
泣きたくなるような暖かさ。
もう少しだけその暖かさに包まれていたくてアウルはほっと息をつくと再び目を閉じた。
あとがき
記憶の中でちらつく想い出。
想い出や記憶は忘れていても消えないものだと言われています。
それは生まれる前の記憶だったとしても。
次回もアウステ。まだ続きます。
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