その日から僕の日課はステラの見舞いになった。
病院食で不自由しているだろうから好物をこっそり隠し持って出かけていった。スティングは学業とバイトの合間を縫ってちょくちょく来ていたけれど、やっぱり大変で見舞いは僕の役目となっていた。

ステラの病気はゆっくりだけど、確実に進行していった。

記憶は退行を引き起こして行っていて自分の年齢さえ曖昧になっていって、大事な友人の名前さえも忘れていった。
見舞いに来たシンという彼氏も親友も。ステラを可愛がってくれていた先輩も。今のステラにとって赤の他人だった。


・・・・不謹慎でひどいやつだと思うかもしれないけれど。
僕は密かにそれが・・・・・嬉しかったんだ。
彼氏も友達も忘れ、ステラが俺らだけのステラに戻ったから。


「おにーちゃん、パパとママは?」
「あ?二人とも忙しいってさ。ごめんなって。でもにーちゃんがいるからいいだろ?」
「うんっ」


おにいちゃん・・・・か。
いつからかステラは僕をアウル、と呼ぶようになって。
そう呼ばれたのは本当に久しぶりで懐かしい響きだった。
スティングも同じように呼ばれて嬉しさと悲しみの入り混じった、複雑な顔をした。




「ステラ、今日はなぁ」
「うん」




入院中もステラは貝殻のペンダントを肌身から手放さなかった。
病院着と青白い肌に不釣合いな、ピンクの貝殻をいつもいつも。
取り上げようとしようものならひどく暴れるので医者も看護婦もそのままもたせたままでいた。

僕は寝たきりになったステラのために外の世界に注意するようになった。
目新しい事はそうそうないけれど、見てきた事、聞いてきた事を話すと、
ステラは病気と向き合いながらも懸命に聞いていてくれたから。





















きっと笑える僕でありたい

第3話




















夜空に散らばる星の海。
ラベンダーから白く変化してゆく夜明けの地平線。
葉っぱから伝って落ちる朝露。
時間によって色の変わる木漏れ日。
風の匂い。
道路を横切るありの群れ。
道端に咲くちっぽけな花にさえ僕は目が行くようになった。
ああ、世界ってこんなにも命に満ちてるって。
生きてるんだって。
そう、思えた。



シンというヤツとも会って話もした。
前にぽっと現れて、とか言ったやつだけれど、実際は結構長い間ステラの事を見ていてくれたらしい。
いじめられそうになったステラをかばってくれたり、はぐれないように手を引いてくれたり。
俺らと同じ事をしていてくれたと分かると、今までの自分が少しだけ、恥ずかしくなった。


その間もステラの小さな身体は必死に病気と戦っていた。
それでも進行はゆっくり確実に。
恐れていた事がついに起きて。
ステラは僕の事はおろかスティングの顔も分からなくなってしまった。



「おじちゃん、誰?おにいちゃんは?ぱぱは?ままは?」



何度僕がアウルだって言ってもステラは首を振って泣くだけで。
僕も大声で泣きたかった。
僕は変わらずここにいるのに、ステラには「アウル」が見えていなかったから。
家に帰るまでこらえてたんだよ。
スティングと僕は同じ部屋でこれ以上つらい思いさせたくなかったから、風呂場でこっそり泣いた。


でもどんなにつらくてもステラの元へ通って。
前では笑って。笑って。
涙をこらえながらステラの話の調子に合わせた。


「これ・・・・ね、ぱぱに・・・・買ってもらった。アウル、作ってくれた・・・・」


首もとの貝殻に触れながら弱々しく、笑うステラ。
その目は思い出と現代が入り混じった世界を行き来していた。


「まま・・・・笑・・・・う・・・・。スティン・・・・グ・・・・頭、なで・・・・る」


やせ細ったステラ手を握ってやって僕はしきりにうなずき。
あれだけ笑っていようとしていたのに、僕は冷たくて暖かいものが頬を伝うのがとめられずにいた。スティングはただじっと俺らを見つめていた。



そしてステラはとうとうこん睡状態に陥った。
医者の話ではもうもたないと。
まだ1年たっていないのに、病気は思った以上に進行は早かった。
原因はステラの免疫機能が生まれつき弱かったせいもあるらしい。
よく病気をしていたステラ。
軽い風邪でも注意しないとすぐにこじらせてしまうステラ。
その身体は運悪く、病気の進行を早めたのだった。
俺らに出来る事。
それは見守る事だけだった。





ある日ステラは夢うつつにうわごとをつぶやいていた。




「パパ・・・・まま・・・おにいちゃん・・・・」


花火・・・・おおき・・い・・・・・ね。
ステラの言葉にスティングの顔がゆがんだ。
唇をかみ締め、しきりに瞬きをしていた。
まるで涙をこらえるように。
最後に行った夏祭りの事を言っているのだとすぐ分かった。
買ってもらった貝殻を大事そうに握り締め、あの日、同じ台詞を繰り返し繰り返しつぶやいていたんだ。
ステラは今、思い出の中にいる。
もう大分症状が進んでいて身体を満足に動かす事も、会話も満足に出来る状態で無くなっていて。
記憶もほとんどないのにその記憶だけはまだ残っていたんだよ。


ステラの旅立つ日が近い。


ステラ。
小さいやつでも良い。
花火を見せてやりたい。
でも今時期はずれでお祭りもない。
こんな田舎じゃあもう花火も置いていないだろう。
でももしかしたら・・・・て彼方此方の商店やコンビニに回って花火を必死に探し回った。
ステラのために、って。
途中からシンもルナも加わってくれて一緒に探してくれた。
やっと見つけたのはいくつかのバラの花火。
線香花火ばかりだったけれど大きい打ち上げが一本だけ、混じっていた。


「ステラ、花火だぞ」


既にこん睡状態となっていたステラに僕はそっと声をかけた。
普通に、と頑張っても声の震えはどうしようもなかった。
たくさんの管につながれ、やせ細って小さくなっているステラがあまりにも不憫で。


「花火・・・・どうしようもないね」


親友のルナマリアが悲しげにこぼす。
見せたかった相手はもう動くとすら出来ないのだ。
シンも同じ事を思ったらしく、ステラの前にひざをつくと彼女の手をきつく握った。けれど反応は無く、聞こえてくるのは規則正しい電子音だけ。
透明な光がシンの紅い瞳から溢れ、ステラの手をぬらした。


「メソメソするなよ」


そう言ったのはステラを可愛がってくれていたカガリ・ユラ・アスハだった。
僕とクラスは違ったけれど同じ学年でステラの部活の先輩だった。
ステラからよく話を聞いていたっけ。シンとケンカばかりして、困るって。
それは今も同じで。
シンは振り返ってあんたに何が分かるんだよ、ときつくきつく睨みつけたが、カガリはひるまなかった。
同様に彼を睨み返してきて。


「泣くだけが能か?この花火は何のためにある?打ち上げるためだろう!!」
「もう見れないんだからあっても仕方ないんだよ!!」
「まずは打ち上げる!!それからだ!!」


カガリはそういうと打ち上げ花火をルナから取り上げると外に飛び出した。
病院で打ち上げるつもりなのだ、彼女は。
シンもルナもぽかんとしていたが、我に返ると彼女を止めようと慌てて彼女の後を追った。

病院で打ち上げ花火をするなんてばかげている。

そう思ったけれど、僕もスティングも止めにいけなかった。
それどころか・・・・・カガリの気持ちが嬉しくて泣いてはいけないのに勝手に溢れて来るんだよ。

スティングは青白いステラの顔から前髪を払ってやりながら、何やらステラに囁きかけていて。聞こえていないだろうけど、ちっとは夢うつつに聞いてくれている事を願いながらスティングは話し続けていた。


すると。


突然、外からドン、とすさまじい音がした。
廊下の看護婦が驚いて部屋に飛び込んできて窓の外に身を乗り出した。
他の看護婦も医者も驚いてドタドタ走るのが部屋からでも分かった。

大きな打ち上げの音に続けざまにパンパンという音。
まだ外は明るい。
それなのに。

明るいから色彩はハッキリしなかったけれど、赤白黄色。緑。蒼。

窓の外に大輪の花が咲くのが見えた。
小さな光からゆっくり大きな光へと変化し、広がってゆく。


「まっ昼間にあげてどうするよ」


僕は涙ながらそう言ったときだった。


「は・・・なび・・・・」


弱々しい。
けれどはっきりとした声が聞こえて、僕は驚いて振り返った。
スティングが喜びに顔を輝かせてステラの手を握り締めている。
僕も急いで駆け寄ると、ずっとこん睡状態だったステラがぼんやりと目を開けていた。すみれ色は霞がかかっていたけれど、視線はしっかりと窓の方に注がれていた。

花火が上がったのは短い時間だったけれど、ステラはきっとその花火を見たんだ。きっと俺らの見たのよりずっと綺麗なのが見えていたんだろうな。ステラは微かな微笑を浮かべて、何かをしゃべろうと懸命に唇を動かそうとしていた。


「ステラ、花火だ。見えたか?」


珍しくスティングはテンパっていて声が上ずっていた。


「見えただろ。あの祭りの日、皆で色んなモン食ったよな。金ねぇのに親父たち無理しちゃって」


食いモンの話ならいつも僕がするものなのに今はスティングが懸命に話している。少しでもステラをこちら側につなぎとめよう必死に話しかけている。


「え・・・・と焼きソバだろ。たこ焼き。田楽・・・・あとな」
「・・・・あめ」
「ステラ・・・・!!そうだよ、りんごアメ!!俺たち3人で分け合ったよな」


スティングはもう泣いていた。
あれだけ泣くまい、と頑張っていたのに。
堰を切ったようにぼろぼろと肩を震わせて。
自分の生活を犠牲にしてそれでもスティングは出世払いで返せよ笑っていて。それはステラや僕のため。
そのステラがアイツより先に逝ってしまうんだ。


なぁ、いるか分からない神様。
この世で死にたがるやつだっているのに、何故ステラを連れて行く?
ステラはまだ15になったばっかりなんだぜ。
15、だってのに。


「ステラ・・・・」
「あ・・・・る、これ・・・・か・・・・・ってく・・・た」
「そうだな。親父が買ってくれたんだよな、それ」


傍に来た僕に微笑みかけて、自分の首もとの貝殻を見せようとステラが手を伸ばす。けれど届かなくて、僕は手を伸ばしてステラにそっとペンダントを握らせた。


「作って・・・・くれ・・・・た」
「覚えていてくれたんだな」


途切れ途切れにつぶやいたステラの言葉に胸が熱くなって、声を上げて泣きそうになるのを我慢した。
ホント、覚えていてくれたんだなって。
暇つぶしに作ってやっただけなのに。
あーあ、やっぱ僕ってば泣きっぱなし。
でもまだ笑っているから、良いよな。
ステラ、心配じゃないよな。


俺ら、大丈夫だから安心して旅たてよ。
向こうできっと親父たちが待っている。
いずれ俺らも行くだろうから先によろしく言っておいてくれよ。


頬を触れ合わせると、ステラはまた笑い、やがて疲れたように目を閉じた。



それから数日たった、朝の午前4時。



ステラは意識を取り戻さないまま、夜明けを待たずに息を引き取った。
静かで穏やかな旅立ちだった。
ステラを看取ったのは僕とスティングで機械が取り外されるとスティングは丁寧に髪を整えてやっていた。

ガキの頃一緒に風呂は入っていたときは、ステラのシャンプー係はスティングだったけ。押しのけられた親父がひどく寂しそうな顔をするので僕は笑って僕のを洗う?と言った事もある。

こんな時にもおかしな事も思い出すんだなって思った。
思った以上に僕は素直にステラの死を受け入れられていた。
先に親に死なれたせいもあるかもしれない。
でもそれだけじゃないんだ。
ステラとすごした15年と数ヶ月は僕の心に強く残こっている。
特にステラが病気に倒れたこの1年にも満たない時はもっとも色濃い。
それはきっとステラにもスティングにも同じで、今離れてしまってもいずれまた会えるだろうから。
人生ってのは長いようで一瞬だって誰か言っていたっけ。
自分の道を歩き終えて再び会うとき、どうだ、自分の道を生きてきたぞって胸を張って言えるように僕はなりたい。
泣くばかりが能じゃない。

すっごく悲しいんだけど、今穏やかなんだ。


変か?
昔、親父たちが死んだとき、誰かがそう諭してくれた気がするんだ。
其の時はよく分からなかったけれど、今は分かる気がする。


「スティング」


スティングの方を見ると、アイツも気がついたらしく、まだ悲しみが混じっていたけれど、しっかりとなんだ、って聞き返してきた。


「なんでもねー」
「そうか」


そう。
スティングもきっと大丈夫だよ。
ステラ、お前も何も心配らねーかんな。
ちゃんと親父達のところへ行くんだぞ?
迷子にならねーよーに、それだけが心配だ。





息も凍りつく、寒い冬の日だった。








まぁ、こんなもんだ。
だから冬の花火ってのに思い入れがあるんだ。
あれから俺らはどうしたかってーと。
んー。
まずは気になっているであろう、そのあとの話でもしようか。
その前にちょっと一服。それからにしようぜ?






















あとがき

兄貴たちに看取られながらの静かな旅立ち。
別れはとても哀しいけれど・・・・。
あとに残された人の人生は続きます。

エピローグはその後。
アウル達の、シン達の道とは。


 エピローグ