「あの子、どこにいるのかしら」












 茶色のじゅうたんが敷き詰められた、長い廊下をフレイはステラの姿を探して歩いていた。

 飾り気一つ無い、白い壁が連なる廊下を夕日が赤く染め上げている。

 その光景の中で並ぶ面白みのない、くすんだ茶色の扉。




 ――温度が感じられない。




 息を吐きだせば白く映りこむのではないかとおもえてしまうほどに。




 ネオやアウルが寝泊りする離れは使用人たちがめったに出入りする事はない。


 将軍でも在り、貴族でもあるのに、ネオの生活は質素だ。戦時に贅沢などは言語道断ではあるが、屋敷の殺風景さはまるで人が住んでいないかのよう。


 廊下であってもせめて花か絵画の一枚でも飾ったらどうか、とフレイは常々思う。



「それだけでもずいぶんと違うのに」



 数少ない住民と使用人、そして無駄に広い屋敷がさらにその殺風景さに拍車をかけていた。特にこの離れは生活の気配がなく、時間が止まっているのかと錯覚さえ覚える。






 きっちりと閉められた扉の中に一つだけ、わずかに開いたドアに気づいて足を止めた。

 まるでそこだけ時間が流れているような、空気の揺らぎを感じる。



 人の気配、だった。



 自分が滑り込めるぐらいの隙間だけ空けて、中を覗きこんだ。






 すると――。






長いすに腰掛けたステラが熱心に編み物にいそしんでいた。真剣な眼差しで網目の数を数えながら、注意深く編み棒を動かしている。

 相当集中しているのか、彼女はフレイに気づいていない。

 だが彼女の集中力に反して手元は思うように進まず、完成させる事が出来たとしてもきっと手垢でまっ黒で。

 その網目も一つ一つがきつすぎて出来上がりはさぞかしごわごわとしたものになるだろうと思われた。


 それでもステラは懸命に編み物をしていた。


 その光景以上にフレイの関心を引いたのは傍らの少年だった。


 ステラから少しはなれ、同じ長いすの上で転寝をしていた。腕を組み、蒼い頭を振りこのように揺らしている。


「あの子が他人の傍で転寝するなんて」


 少年――アウルはどこか人を寄せ付けないところがあり、フレイはもちろん、主であるネオにさえ心を許さない、頑なところがあった。


 そんな彼が無防備な姿をさらすとは――。


 今までは考えられないことだっただけにその驚きは大きかった。

 ふと視線を感じて視線を戻すと、こちらを見つめているステラと目があった。

 少し遅れたが、フレイの気配に気づいたらしい。

 にっこり笑ってアウルの方にあごをしゃくると、ステラもまたにっこりと笑い。白い人差し指をそっと口元に当てる仕草を見せた。

 アウルが寝ているから静かに、ということだろう。其れは分かっているが、自分はステラに用事があってきたのだ。

 音を立てないように忍び足で歩み寄ると、フレイは声をひそめてステラに囁いた。


「ねぇ、あなたにお話があるの」

「お話……?」


 編み物の手を止めて首を傾げて見せるステラにフレイはそう、とうなずいてみせた。


「ずっと返しそびれていたものがあるのよ。悪いけれど私が寝泊りしている部屋に来てくれないかしら」

「返し、そびれていた……もの?」





 ネオの姪に当たるフレイは屋敷を切り盛りするためにロアノーク家へとくる。使用人では行き届かない面を補うのである。

 彼女の仕事振りは彼女をロアノーク家の女主人として彼らに認めさせるくらい的確でそつが無かった。


 時には泊まって行くこともある彼女の部屋はこの離れではなく、館のほうに与えられていた。

 この離れに住むことが許されているのは主人であるネオと義理の息子で在り、従者のアウル、そしてステラだった。


 ――何故ステラが。


 フレイは不思議に思ったのだが反論はしなかった。

 館の主に異を唱えるのは不躾だと考えているからだ。


「用事。フレイの部屋いく、の?」

「ええ」


 ステラはフレイの話に少し迷いを見せると、ねいっているアウルの方へとむき、またフレイの方へと再び向き直った。



「ごめんなさい。アウル、寝ている、から」


 小さく頭を下げ、申し訳なさそうに謝るステラにああ、なるほどと、フレイは納得した。


 彼女はアウルに付き添っているつもりなのだろう。アウルは傍にいろなどと決して言わないけれど、根は寂しがりやだ。


 ……きっとアウルもそう望んでいる。


 来てからそんなに経っていないと言うのに、もう彼女はアウルに理解を示しているのか。



「愛の力かしら……ね」

「?」

「好いの好いの」


 感嘆が混じった自分のつぶやきにステラが反応示すと、なんでもないと笑って手を振った。


「じゃあ夕食の後でも来てくれるかしら。夕食は本館だし、ちょうどいいでしょう?」

「うん、わかった」


 ステラが大きくうなずくと、フレイは手を伸ばして少女の頭に触れた。
 
 絹糸のような柔らかな金髪。
 細く、繊細で。

 撫でてあげると少女は気持ちよささげに目を細める。



 素直な子だ、とフレイは思った。これくらい素直で優しい子ならきっとアウルのよりどころとなってくれる。自分やネオでは出来なかったことを彼女は成し遂げてくれる。




 そんな気が、した。













 



* * * *


















 静かに扉を閉めて出ると、フレイは背筋を伸ばして颯爽と歩き出した。

 いつでもどこでも見苦しいところがないよう気を配るのが彼女の姿勢。

 女主人を務める者は常に冷静沈着、そして完璧ではなくてはならないのだ。

「お帰りなさいませ」

 本館に戻ると使用人たちが口々に述べてきた挨拶にうなずくと、フレイは自分の部屋へと戻った。

 定規で測ったようにきちんと整理・整頓されたドレッサーの中にしまいこんだ小さな箱を取り出してしばしの間見つめる。

 紺のベルベットを貼り付けられた箱にはステラからの預かりものが収められている。

 開けようとしたが思いなおして再びしまいこんだ。

 ドレッサーの鏡に映る自分を見つめると、鏡の中の少女も同じ仕草で彼女を見つめ返してきた。


「あれには何の意味があるのかしらね」


 頬杖をついて一人ごちた。

 箱に入ったペンダント――それはステラの手当てをしたとき彼女が見につけていたもの。

 手当ての邪魔だと外したっきりすっかり忘れていたのだ。

 朝早く呼び出され、世話を言いつけられた少女。

 素性は知らない。ネオもアウルも頑として口を割ろうとしない。クロトも知っているらしい事に少し腹立たしかったが、彼はこの家の跡継ぎなのだからと自分を納得させていた。

 フレイが引っかかりを感じていたのはそういったことだけではない。

 ペンダントを見たときのネオの反応だった。

 顔面は蒼白となり、震える唇で何かをしきりにつぶやいていたかと思うと、ほとんど素性のわからないステラを手元に置くと言い出した。そして回復後は度を越していると思うほどの甘やかしよう。


 アウルはネオの素行を不思議には思いはしたようだったけれど、特に問いただそうとも思っていないようで、クロトもまた、同様のようだった。

 フレイも出来るはずが無い。

 表面的には砕けたやり取りはしているが、この家ではネオは絶対君主なのである。



――ステラ・ルーシェ。


 彼女をたいそう気にいったフレイは彼女のことが知りたくてたまらなかった。









































約束の明日

交錯する紅と蒼
































「ステラ」

「あうる?」



 フレイの気配が遠ざかる同時にアウルが目を開けた。いつから目を覚ましていたのだろうかとステラは思う。

 今の今まで呼吸は乱れることなく,変わりはなかったというのに。


「いつから……?」

「扉の向こうのフレイの気配に気づいたとき」


 そんな早くから……と驚くと、すぐにおかしくなってステラは笑った。

 クスクス、と細やかな笑い声が零れ落ちる。


「アウル、神経質」

「しょうがないだろ、習性だよ」


 むすっと反論するアウルの顔と彼のささやかな抵抗がステラにはとても可愛く映った――自分と殺しあったあの怖い少年とは思えないほどに。


「とがってばかりいると、疲れちゃう、よ?」

「なんならさ、こうすっか」


 言葉を切ったかと思うと、急速に距離をつめてきたアウルをステラは瞬きをして見つめる。

 なんだろう?

 そう思った瞬間、ポスっと軽い音を立て、彼女の膝にアウルの頭がのせられた。


「僕は寝るから。時間になったら起こして」


 お前は警戒役な、と付け加えるとアウルはさっさと寝息を立て始めた。


「アウル、勝手」


 言うだけ言って了承も待たずに自分の膝を占領した少年にステラは小さく文句をつぶやいた。


 だがその口元には、幸せな笑みが浮かんでいた――。












「だーーっ、あの仮面野郎、人をこき使いすぎ。いつか下克上してやる!」


 その頃のシン・アスカは書類の山を前に頭をかきむしっていた。






* * * *







それから数日経ったあとの事だった。


 シン・アスカは日課となっている朝の掃除のあと、お茶の準備をしていた。

 なんで大佐付きがここまでせねばならんのだとぶつくさ文句を言ってると、入り口に人の気配を感じて顔を上げた。

 見慣れない少年が入り口の横の壁を背に好奇心に満ちた顔をこちらに向けている。


「誰だ……?」

 喉仏も無く、女と見まごうばかりの顔だったが、彼が男だと分ったのは大きく開かれた胸元からだった。

 襟元のだらしなさにシンは顔をしかめた。自分も襟元は緩めてはいるが少年のように酷くはない。

 気にくわない上司だが、上司である。しかも将軍クラスの執務室にこんなだらしない格好で入られたら大佐付きとして、そして軍人としての自分の沽券に関わる。

 シンはつかつかと少年の元へと歩み寄ると格好のだらしなさを指摘し、直すように求めた。


「どこの誰だか知らないが、軍人の端くれなら自覚を持て。恥ずかしくないのか」

「なーんか固いやつ。それよりネオは?」


 だが少年はシンの言葉など歯牙にもかけない素振りで自分の用件だけを一方的に述べる。しかも大佐の地位にいる人間を呼び捨てである。

 瞬く間に頭に血が上ったが、自分は軍人だとシンはこらえた。


「おまえなんなんだ?ロアノーク大佐を呼び捨てとは無礼だろっ」

「うるせーな。アンタ、ネオが言っていた小間使いなんだろ。さっさと……」

「こ、小間使い……礼儀を知らないヤツには取り次ぐ気はない。出て行け!!」


 少年の横柄な態度に加え、小間使いよわばりされた事でついに堪忍袋の緒が切れたシンは彼の言葉を遮ると、反論する間も与えずに部屋からたたき出した。

 外から憤怒の声が聞こえてきたが、シンは舌を突き出すと、イヤミたっぷりに言葉を投げた。


「ロアノーク大佐は会議で一日戻らないよ。無駄足だったな!」

「だったら最初から言えーーー!!」


 怒鳴り声が返ってきたが、シンはそ知らぬ顔をして電話を取ると、電話に出た守衛に外にいる少年をつまみ出すよう命じた。

 しばらくして外が騒がしくなり、間もなく静かになった。すっかり満足し、勝ち誇った笑顔を浮かべたシンは機嫌よく書類に取り掛かっていた。


 だが、間もなくあの少年がロアノーク大佐の息子だと発覚し、無礼を働いたことで彼はネオの副官からこってりと絞られることになる。





 アウル・ニーダ。

 シン・アスカ。




 ――最悪の出会いであった。












つづく
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