約束の明日 ミーア カーテンの隙間から柔らかな日差しが差し込んでくる。 結局あのまま屋敷に戻らず、執務室で夜を明かしたネオは寝不足から突っ張った目をしばたたかせて 机から立ち上がると執務室のカーテンを開けた。 シャッとカーテンを引く音、飛び込んでくるまばゆい白い光。 強い光は目に強い刺激となり、ネオはしばしその光しか見えなかった。 やがて目が慣れてくると、青空を背景に早朝の町並みが見える。 行き交う馬車ががたがたと通り過ぎ、労働者が忙しなく道を行き来している。 忙しそうに見えても、人々の目に生気は無い。 長引いている戦争は人々を疲弊させ、確実に国を蝕んでいた。 ネオは溜息をついて窓から離れるとどうじに静かなノックが聞こえた。 「入ってかまわないよ」 返事をすると、扉が静かに開いた。 軍兵に伴われて一人の少年が入ってくる。 黒髪に燃えるような紅い瞳がとても印象的で、その鋭い目つきは気性の激しさをうかがわせた。 少年を見てなんとなく。なんとなく、だがアウルに似ているな、とネオは思った。 顔つきや姿は異なるが、なんとなく――性質が――似ているような気がしたのだ。 「彼が例の少年かい」 「は。先の戦闘で武勲を上げ、このたびロアノーク大佐の元へと配属されたシン・アスカ少尉です。少尉、挨拶を」 「はい」 シンと呼ばれた少年は言われたとおり、ネオの前まで来ると、寸分隙の無い敬礼をした。 きちんと手入れのされた皺の無い制服姿で着こなしもよく、規律正しい少年に見えた。 ただ胸元が開いていたが、見苦しいほどでもない。 むしろそのほうが彼に似合っているような気さえした。 「ネオ・ロアノーク大佐だ。今ここは人手不足でね。色々と忙しくなるだろうけどよろしく頼む」 ネオは微笑んで握手を求めて手を差し出した。 ところが少年はその手を凝視するばかりで上官にこづかれてようやく硬直が解けたように手を握り返してきた。 ほんの一瞬だったが、ネオは少年の燃える瞳に敵意の炎を見たような気がした。 * * * * 部屋から出て一人になると、なんともあっけないものだと、シンはバカにしきった表情を浮かべた。 デュランダルのつてを通してではあるが、こうまであっさりと潜り込めるとは。 今のドイツに余裕が無い、と見たデュランダルの予想はほぼ当たりのようだった。 とりあえずネオの信頼を得なければならない。 国のためとはいえ、敵国にかしずくかなければならない事にシンは腹立たしさを覚えた。ふと思い出したように胸元のポケットに触れる。 ポケットを探り、取り出したのは金色のロケット。 シンの手のひらにすっぽり収まるくらいの大きさのロケットは古いものなのか、くすんだ色合いをしている。 かちりと音を立て、ロケットが開いた。 中に納まっていたのは色あせた彼の家族の写真。シンの両親とたった一人の妹が昔の自分と並んで微笑んでいた。 ドイツに殺された、自分の家族。 ぐっと唇をかみ締め、ふたの中の、もう反対側に納まっている写真の方へと視線を移す。 もう一つはまだ新しい写真のようだった。 明るい色彩の中で一人の少女が太陽の笑みを浮かべていた。紅の軍服をまとい、それより暗い赤のショート。一本だけ重力に逆らってくせっ毛が頭の上にぴょこんと立っている。そしてシンの紅い瞳と対極をなす濃い青がまっすぐに彼を見つめていた。 「俺は大丈夫だから。頑張るからイギリスで見ててくれよ」 ――ルナマリア。 恋人のようでまだ恋人といえない少女にそうつぶやくと、シンはロケットを閉じた。 * * * * ステラは不満だった。 ときどきアウルは甘い香りをつけて帰ってくる。 任務もないはずなのに朝帰りしてきた時は特に。 普段のアウルは清潔な石鹸の匂いだけれども、その匂いに甘い、人工的なにおいが混じっている事があるのだ。 それが香水やコロンだとステラは分かっていたが、自分ははつけないし、フレイの愛用しているものとも匂いが違う。 一度その事をアウルに聞いてみたものの、「お前には関係ないだろう」の一言で片付けられてしまった。 ステラはなぜかはよく分からなかったけれど、その香りをかぐたびに胸のうちににごった、どす黒いものが渦巻くのだ。吐き気さえ覚えた。 「あんた、いい加減あんな女のトコ通うのやめなさいよ。あんた一応ネオおじ様の息子なのよ?体裁を考えて頂戴」 ある日、今のドア越しに聞こえてきた、険を含んだフレイの声にステラはお茶のトレイをもったまま扉の前で固まった。 気配を殺して耳を澄ますと、アウルとフレイが言い争っているようだった。 「るせーな、ミーアを悪く言うんじゃねーよ」 「はぁ?娼婦になに入れ込んでるのよ?!」 呆れと怒りの混じった声で怒鳴るフレイに対し、アウルの声は冷静そのものだった。 「ミーアには情報もらって助かってんだ。仕事の半分は彼女のおかげだぜ?それに」 「それに?」 イライラを募らせたフレイに対してアウルは声をワントーン落として答えている。その口調は娼婦たちを中傷するフレイに対して怒りを抑えているようだった。 「娼婦を馬鹿にすんな。彼女らの方が人間の本質を見ているんだ。教養もあるし、人の心がわかる。見下してんじゃねぇよ、何もしらねークセして」 「……私が彼女たちに劣るとでも言ってるのかしら?」 屈辱と感じたのか、フレイの声が怒りに震えている。 「そうは言わない。少なくともそうやってすぐヒスを起こさねー。感情をコントロール出来るな」 テーブルらしきものに分厚い本が当たる音がした。大方フレイが投げつけたものをアウルが避けたのだろう。 続けざまにばさばさと、本が飛び交う音がしてきて、しまいにはそれは重い家具の音にとって変わり、制止を求めるアウルの狼狽した声が響いてきた。 ガラスの割れる音も聞こえてきた。 冷め切ったお茶を前にステラはそのまま中に入らずに、その場を後にした。 いつか絶対あの甘い匂いの正体を探り当てる、と心に固く誓って。 * * * * その甘い香りの持ち主に会う日は意外な形で来た。 秋が深まり、アウルと共に町へと出かけていたときだった。 ドイツは相変わらず戦争の中でくすんだ町並みであったけれど、二人で出かけるのは久しぶりでステラははしゃいでいた。 柔らかな茶色と白のエプロンドレスにショールを肩にかけ、アウルの腕にぶら下がる。アウルは黒のプルオーバーヘムトに色あせたズボンにベストという組み合わせだった。 買い物と言っても物資不足から物価が高騰していて法外な値段を吹っかけてくる闇市という市場さえ利用しなければならない。通常の労働者の身では手が届きそうにない値段だったけれど、それでも手に入るだけましだ。 町を歩いていると、耳に流れ込んできた歌声にアウルは足を止める。ステラもまた同じようで、声のする方向へと目をやった。 「静かな〜この夜に〜あなたを、待っているの〜」 心の水面を揺さぶる、柔らかな旋律が この先のの中央広場から聞こえてくる。 歌声に誘われるように人々は顔を上げて町の中央へとぞろぞろと向かって行くのが見えた。 アウルにとってなじみのある、歌声。 そう。 ――彼女の、ミーアの声。 声をたどって中央に来て見るとやはり彼女がいた。長い桃色の髪をなびかせ、人々に明るい笑みを振りまいて歌っていた。 アウルが何時も聞いていたテンポの速い歌では無く、優しく穏やかで。 人々を慰め、奮い立たせてくれる、歌声だった。 「あの時、忘れた微笑みを〜取りに来て〜」 誰も彼もが穏やかな表情で歌姫を見つめていた。 曲が進むに連れて、人々も次第にメロディを口ずさみはじめ、やがてそれは大きな合唱となっていった。 この大合唱は戦争に疲れ、苦しむ人々にゆっくりと暖かな光をもたらしていった。 曲が終わると人々は久しく忘れていた笑顔を見せ、拍手喝采を桃色の少女に浴びせた。 町のあらゆる方向からアンコールの声が聞こえてくる。 ミーアはお辞儀をすると彼らの声に応えるように再び歌いだした。 其の時、アウルとステラに気づいたように彼女は彼らに向かって軽く片目を瞑り、「ちょっと待っていて」と声の無いメッセージを送ってきた。 アウルとしてはステラと彼女が鉢合わせるのはごめんこうむりたかった。 ミーアのメッセージを無視してさっさと歩き出そうとしたが、傍らのステラはその場から動こうとしない。アウルの腕にぶら下がったまま、まるで足に根が生えたよう。彼女の横顔からも強固な意志が伺え、彼女がここを動くつもりがないのだとアウルは悟る。 ここでなくてもいつかは顔を合わせる事もあっただろうな―― アウルは諦めたように溜息をつき、再びミーアの歌声に耳を傾けた。 * * * * 「うふふ〜いつか逢いたいと思ってたのよ。あたしはミーア。よろしくね、ステラ」 アンコールのあと、ミーアは悪びれた様子もなく、むしろ嬉しそうにステラに自己紹介した。 ふわりと、幾度となくかいだ香りがステラの鼻を掠めた。 「ステラ、知ってる?」 敵意を見せるステラにかまわず、ミーアはころころと玉のように笑った。 「そりやぁ、アウルの話題と言ったらあんたの事が多いもの」 「余計な事言うな!」 アウルが怒りを露に口を挟んでくるが、ミーアはまるで気に留める事もなく続ける。 「あなた、愛されてるわよ〜あたしと寝ているときもあなたの名前呼ぶしぃ〜」 こーんな風に愛されて、と大げさに腕を広げ、自分をかき抱く仕草を見せると、ミーアはステラの顔をイタズラっぽく覗き込む。アウルは顔を真っ赤にして金魚のように口をパクパクさせていた。 「ステラの?ミーアも、アウルと寝てる?」 ステラは小首を傾げると少し考える仕草を見せた。ゆるいウェーブのかかった金髪が揺れる。 幼いともいえるステラの仕草に母性をくすぐられたらしいミーアは可愛くてたまらないと言わんばかりにさらに近づく。 あと少しで頬が触れ合いそうな、距離へと。 ふわりと香った香りにステラは眉間の皺を深くした。 やっぱりアウルが時々つけてくる匂いと同じだと確信したからだ。ところがミーアはそんな彼女に気づかない素振りでしゃべり続ける。 「うふふ、かわいー。アウル、ベットで優しくしてくれてる?」 「ミーア!おいこら!!」 過激ともとれる台詞にアウルが慌てて制止の声を入れたが、ステラはかまわずに挑戦的な眼差しを向けた。 「うん。ぎゅっとしてくれるよ」 「え?」 期待していた答えとは方向性の違う答えにミーアは目をパチパチさせた。いくつかの疑問が首をもたげた。 自分の言葉を皮肉で返しているのか。 ……否、そんな含みのある表情はしていない。 では自分の言葉の意味を彼女は理解できていないのか。 其れとも……。 彼女は自身の耳を疑うように眉をひそめた。ステラはそんな彼女に気づかず、ゆっくりと視線をアウルへと戻し、口元をへの字に曲げた。眉間に皺がより、眉はハの字を形作っている。不満と怒りの混じった抗議の視線だった。 「アウル、ミーアにもしてるんだ……」 恨めしそうな目を向けてくるステラに冷や汗をたらすアウルを浮気がばれた亭主のようだと噴出しかけたミーアだったが、ふと真顔になった。 「ね、ステラ」 「なに……?」 ステラはアウルを睨みつけたまま、不機嫌そうな声色で応える。 どうやらさっきのやり取りでミーアへの敵意が決定的になったようだった。彼女を見ようともしない。 だがミーアにはそんな事より、知っておかなければならない事があったので気づかないフリをして続けた。 「ぎゅ……としてくれるだけ?ただ一緒に寝ているわけじゃあないわよ……ね?まさか」 「?」 訝しげに見つめてくるステラにミーアは口元を覆ってのぞけるとさびたロボットのようにぎこちなく首を動かしてアウルの方へと目をやった。淡いブルーに呆れの色と疑いの色がありありと浮かんでいる。 「アウル、あんた、もしかして不能?」 「ふざけんな!!」 ミーアのあまりにも侮辱的な言葉にアウルは激昂した。 * * * * なによ、あれだけステラステアステラって騒いでおいて、しかも!!一緒に寝ていて、手ぇだしてないんでしょ?!」 アウルとステラを自分の住処へと案内しながらミーアが大きく溜息を放つ。 失望を隠そうとしない彼女にアウルは渋い顔をして口元を引き結んでいる。ステラはそんな二人をきょとんと交互に見ながら歩いていた。 あれからステラと話がしたいと譲らなかったミーアにやはりミーアと話がしたいというステラに押し切られる形で三人はミーアのアパートへと向かっていた。 やがて道は裏道へと変わり、中央より寂れた風景が広がった。町の角々には化粧の濃い女が立っていて、行き交う男に声をかけている。その中の一人がアウルに気づいて、声をかけてきた。 「アウル!!今日はミーアだけではなくてもう一人連れ込もうっての?」 「ちげーよ!!」 からかいを含む女の言葉にアウルは顔をしかめて否定すると、女は揶揄する笑みを緩めて自分を指し示した。 「だったらあたしでどう?あんたならタダで良いよ」 「わりぃ、今日は買出しのついでなんだ。そう長居はできねぇ。機会があったら」 「やれやれ。うまくかわされちゃったね。気が向いたら声をかけてね」 クスクス笑って手を振る娼婦に手を振り返すとアウルは再び前を見て歩き出す。その後も何人かの娼婦に声をかけられたが、愛想よくかわしていく。いつになく愛想のいいアウルにステラは不思議そうな顔をしたが、友人だよ、とだけ答えた。 実際そうなのだ。 彼女たちはアウルの協力者であり、友人でもあった。必死に毎日を生きる彼女たちは官憲や役人などよりずっと実直で信用できる人種である。 ……もっともそれは彼女らの信頼を得られたら、の話だが。 その点、何度か町のならず者や不正役人から彼女らを守っていたアウルは娼婦たちから絶大な支持を得ていた。 ロアノーク大佐の息子という肩書きは特に役人達の間では効果があったが、その分噂も立つし、評判も悪くなる。 指揮官の息子ともあろう物が娼婦に肩入れをし、通っているなどとは……と。 アウルが娼婦に会いに行くことにフレイが難色を示した所以だった。 だが、アウルにって彼女達の絆はロアノーク家の絆と同様に深いものだった。ただの馴れ合いではない。彼の血にも娼婦の血が流れていたから。彼の母も暗殺の道へと入る前は娼婦だった。 そして彼は生まれた。 ――半分だけフランスの血を引いて。 * * * * 「お茶だすわね」 鼻歌を歌いながらキッチンへと向かうミーアの背中を見送ると、アウルはぎこちなくステラの方へと目をやった。ステラもじっと見つめ返し、ぐるりと部屋を見回すと再び視線を戻して口を開いた。 「アウル、帰ってこないとき……ここにいたの……?」 アウルが決まり悪そうにうなずくと、ステラはそっかぁ……とつぶやき、口を閉ざした。 二人の間を重い沈黙が漂う。 アウルは妙に居心地の悪さを感じ、ステラが最初のように怒った顔位してくれればましな心持なのに、と彼女に責任転嫁して小さく毒づく。 先日のフレイとのけんかで、ステラにばれてらどうする気、と彼女が言った捨て台詞が思い出された。 ミーアと自分は確かに親しいが、恋人同士でもなんでもない。 それでも出来れば隠し通しておきたかったのが本音だった。 説明が難しい、関係。 自分は彼女の情報が必要だったし、彼女は何の気兼ねも必要ない女だった。 ミーアはミーアで戦場に出て行ったきり、いつ帰るか分からない恋人を待つ高級娼婦だ。言い寄ってくる客へのけん制に、そして用心棒代わりにアウルを使っている。 ギブ・アンド・テイク――お互いそう割り切った付き合い。 それがステラに分るとは思えないし、説明が面倒だった。 「なに、辛気臭いわね」 思考中のアウルにミーアののん気な声がかぶった。 誰のせいだよ。 人数分の茶を盆に載せて、飄々と戻ってきたミーアにアウルは苦虫を噛み潰した顔を向けた。 だがミーアはそれをあっさりと受け流すと、アウルを押しのけてステラの傍に座った。アウルが非難の声を上げたが、それも無視し、ステラに微笑みかける。 「話で聞いていたより可愛いわね。フワフワとしていて砂糖菓子のよう」 食べちゃいたいくらい、と言うミーアにステラはおいしくないよ、とステラは困った笑みを浮かべた。 敵意を向けるはずが、知らず知らずのうちにミーアのペースに巻き込まれて行く自分にステラは戸惑った。 アウルにもどういった顔をすれば良いのかもさえ分らない。 彼女は確かに暖かい。町に流れたあの歌声が彼女の暖かさをを証明している。 疲れきった町の人に光を与えた、あの歌。 アウルが惹かれるのも分かる気がしたから。そして自分もまた、彼女が好きになってきていていて、あれだけ嫌いだった甘い匂いも今は不快に思えない。 ……悔しいけれど、自分はミーアのように甘いにおいもしないし、綺麗でもない。 「良いな……ミーアは綺麗で」 光が一杯で。ステラにはなにもない。 そうつぶやくと、ミーアは少し怒った顔になった。何か悪い事を言ったのだろうか、とステラが不安げになると、彼女は違うよ、とやわらかく首を振った。 そしてアウルの方をちらりと目をやった。 否。 睨みつけた、という表現の方が正しい。 次の瞬間、険しい声で彼をしかりつけたから。 「あんた、この子に何も言ってやってないの!?」 「は?」 訳が分らないというようにアウルが間の抜けた声を上げた。 何故、そしてどういきなり自分に話が振られたのか理解できないままのアウルにかまわず、ミーアは怒りも露にまくし立てた。 「女の子ってのはねぇすきな人に綺麗だね、とか可愛いね、とか言われて輝くものなの!あんた、この子にそんな言葉かけてあげた?!こんなに可愛いのに、まるで自信持ってないじゃないのよ!!」 自信こそが輝ける秘訣!! そう豪語する彼女をアウルとステラはただぽかんと見つめるばかりで。 手ごたえの無い反応に痺れを切らしたミーアはおもむろに立ち上がると、ステラの手を取り、引っ張りあげた。そしてとなりの部屋へと引っ張って行く。 状況をつかめないステラは、彼女に手を引かれるがまま、アウルの方を振り返りながら引きずられて行く。アウルもただ呆然と彼女らを見送る事しか出来なかった。 * * * * どれくらい待っただろうか。 ミーアのご機嫌な声でうとうとしかけたアウルの意識は現実へと引き戻された。 突っ張った目元をこすり、瞼を何度か上下させる。 目がゆっくりと光に慣れて行くと、白いばかりだった世界が急速に色をつけて行く。 アウルはミーアを認めると、彼女の後ろに隠れるようにして立つステラの方へと目をやった。 空気が止まった。 「どぉ?せっかくだから目い一杯おしゃれさせたの。似合うでしょ?」 アウルは何かいおうとして口を開いたが、かすれた吐息だけを漏らして再び口を閉ざした。 まだ寝ぼけているのだろうかと瞬きを数度したが、目の前の光景は変わらない。 薄く紅をさした口元。 喜びに上気した頬。 女神のような、白と蒼のドレス。 ホルスターネックタイプでもいおうか。淡い色のリボンが首元で交差していて結ばれ、大きく胸元が開いたブルーのトップ。ベールのような白い袖がほっそりとした腕によく映えている。ふんわりとした白いスカートからはすらりとした足が伸びていた。 足元にも工夫が凝らされていて胸元と同じリボンがまきつけれられた白いヒールだった。 ドレスの色彩がステラの金の髪とすみれ色の瞳によく似合っていた。まるで彼女のためにあったような、そんな感覚。 アウルは言葉を忘れ、じっと魅入っていたが、痺れを切らしたミーアに頭を小突かれて我に返った。 視線を上げてステラを見ると、彼女も不安げに見つめ返してくる。 こういう時どういった台詞を言えば言いのだろうか。 ネオやクロトなら気の利いた事が言えるのだろうが、あいにく彼らはここにいない。 そもそも自分はこういった状況には慣れていない。 フレイもミーアも自分にドレスの感想など聞いた事が無かったし、興味を持った事など無かったから。 女の見立てなど自分には縁のない事だと思っていたから。 困り果てたアウルは懸命に適当な言葉を捜した。 いいんじゃなぁいの、と言ったら真面目に答えるの、とミーアにどやされそうだったし、ステラに泣かれるのも嫌だ。 綺麗だよ、といえば言いのか。自分のキャラでもない気がするし、ステラに今ひとつ合う言葉じゃない気もした。 可愛い。ありふれているが無難な言葉。ひねりがない、とだめおしをくらうだろうか。 だが、他に気の聞いた言葉など思い浮かばない。 一つ深呼吸をして、心の準備を整える。 ここで笑って可愛いよ……といえば万事オッケー。 そのはず、だった。 ところが、自分の頭も口もその言葉を拒否してしまってでてきたのは避けたかった最初の選択肢だった。 それも投げやりの口調で。 予想通り、ミーアの目が釣りあがり、真面目に答えなさい!!とどやしつけてきた。女の金切り声は頭に響いてサイテーだと内心ぼやきながら、アウルが恐る恐るステラの方へと目をやると。 「本当?」 予想に反して,彼女はこぼれんばかりの笑みを浮かべていた。不覚にもその笑顔に心奪われたアウルは言葉を失い、ただ首をたてに振るしかできなかった。 ずっと一緒にいて。 共に同じベットで眠っていて。 でもあえて意識の外にやっていたものを思い出して体が熱くなった。 ……知らず知らずのうちに喉がごくりと鳴った。 本当に?と繰り返し、アウルに見せるようにくるくると回って見せるステラ。 広い袖もスカートもはためいてなびく。 「ん……あ、ああ……綺麗、だよ」 徐々に熱を帯びて行く頬をおさえながらアウルはただそれだけを繰り返した。 ミーアは初々しいともいえる二人のやりとりに満足げにうなずくと、二人に気づかれないように口元にイタズラっぽい笑みを浮かべるのだった。 すぐ後にアウルが知る事になるのだが。 彼女は既にもう一つ、ステラに仕掛けを施していたのだ。 つづく index・4 |