約束の明日
ステラ












「死ぬの……いや……だめ……」


 少女のつぶやきにベットの近くで陣取って本に目をやっていたアウルは顔を上げた。
何度目だろうか。

 同じうわ言を繰り返す少女をアウルはめんどくさげに覗き込んだ。

 薬が利いているのか、少女は意識が戻っていないようで、アウルの気配にも目を覚ます様子がない。


「死ぬ……怖……い……」


 再びつぶやかれる言葉。

 死を恐れるのは暗殺者として失格だとアウルは常々思っていたことだ。

 腕は立つくせに根本がなっていない。こんな奴に苦戦したのかと思うと腹が立ってしょうがなかった。


「クソ」


 このまま殺して窓から放り出してやりたい。

 毒々しく悪態をついて再び本に戻ろうとしたアウルの袖が引っ張られた。

 驚いてベットの方へと見やると、少女がぼんやりと目を開けていて彼を見ていた。その手にアウルの袖がしっかりと握られている。

 
 薬はまだ聞いているはず。

 
 アウルは驚いて瞬きを繰り返したが、少女の霞のかかった眼差しから、彼女は夢うつつだと気づいた。

 彼女が誰を見ているかは分からない。少なくとも自分では無い事がアウルは分かっていた。

 その眼差しは自分を通り越して遠くをさまよっていたから。

 でもそんな彼女はとても頼りなくて、それでいてとにかく必死で。

 先日死闘をやった相手とはとても見えなかった。

 何をそんなに必死なのだろうか。



「いか……ない……で」



 大粒の涙がすみれ色から零れ落ちた。

 少女は自分に誰を重ねて見ているのだろうか。

 そんな彼女が不憫に思えて、アウルは彼女の枕元に腰掛けると、手を握ってやった。

 もう片方の手で彼女の金の髪に触れる。


「いかねーよ。だから今は寝てろ」


 自分でも驚くほど優しい声がでた。

 少女はその言葉に安心したのか、はかなげえな笑顔を浮かべると再び瞼を閉ざす。

 ほどなくして先ほどまでとは打って変わった、穏やかな寝息が少女から聞こえてきた。



「……へんな奴」


 少女を起こさないように小さくそうつぶやくとアウルは少女の近くに椅子を引き寄せた。

 もう一度顔を覗き込む。

 長い睫に桜色の唇。まるでビスクドールのような少女。

 もしこんな時勢でなかったら彼女はどんな人生を歩んでいたのだろうか。

 彼女に別の人生があったら、どんな風に笑って怒こって。

 暗殺者としてではなく、一人の少女として生きる彼女はどんな彼女だろうか、と。

 笑って恋をして……そして。



 「馬鹿馬鹿しい」


 自分らしく無い事考えている、とアウルはその考えを振り払い、ぼんやりとベットの向こうの空を見やった。








* * * *







「ひさしぶりじゃん。ずっと来なかったからどうしたか心配だったんだよ」


立派なアパルトメントの窓辺で桃色の髪をなびかせ、ミーアは笑った。

ミーア・キャンベルは町はずれの歓楽街に住む高級娼婦達の間でもカリスマ的な人気を誇る娼婦だ。

彼女はまたその美声で歌姫としても名高く、その声を聞くためにわざわざ遠方より足を運んでくる者さえいる。

客層も幅広く、中には公爵や伯爵クラス、将校や官憲さえもいて、普段なら耳に入ることのない裏の事情にも通じている。

情報をもとめ、アウルは彼女の元へと幾度と無く足を運んでいた。

 それだけでは無く、彼女はアウルのよき話し相手にもなってくれる、貴重な存在だった。何の気兼ねも必要のない相手。

 きっかけは彼女に入れ込んでいた客に絡まれていたところをアウルが助けた事から始まった。

 アウルの美貌と、その容姿の似つかわしく無い言動をすっかり気に入ったミーアはまるで実の姉のようにアウルの世話を焼いてくれた。

 彼の暗殺手段のアィディアの一つもミーアたち娼婦を参考にしたものだったのだ。


「うん。厄介ごとが転がり込んできてさ」

「ふーん」


 アウルは数日前のネオの暗殺未遂の件と転がり込んできた少女の事を包み隠さず話した。

 ミーアとの間には隠しごとは無い。

 彼女の情報源で何かと助けられているし、彼女からの意見は貴重だからだ。


「彼女って可愛いんだー。よかったねー、あんたにも春が来て」

 アウルとしては真剣に話したつもりなのに、ミーアはやけに嬉しそうで。何を勘違いしたのか、お祝いにとって置きのワインでも出しましょうかと、いそいそと台所へと向かうミーアの後姿を渋い顔でアウルは見送る。

「そんなんじゃねぇって。敵だぜ 」


 ミーアの無邪気な笑い声がキッチンから木霊した。


「でもぉ普通にお話してるんでしょぉ。過去は過去」


 割り切ればぁとミーアは笑う。

 人事だと思って、とアウルはますます不機嫌になった。

 そして何よりも。

 過去を引きずり続けるミーアに言われたくないとさえも思った。

 ……彼女の前では決していえないことだけれども。

「それにあんたの話だとその子、自分の意思で殺していないんでしょ」

「あん」


キッチンからワインとグラスを2つを持って戻ってきたミーアが付け足した言葉にアウルは瞬きをした。

先ほどとは打って変わって真面目腐った顔でミーアが見つめ返してくる。


「あんたと違うから折り合っていけるんじゃないかな」


ミーアの言葉にアウルは黙りこくった。

彼女の言葉は先日ネオにも言われたことだったからだ。





「彼女とお前は同じ暗殺者だが根本は違う。お前達の違いは分かるか」

「は?しらねーよ」

「大きな違いなんだけどな」



興味が無いとあっさりと切り捨てたアウルに困った顔をしながらネオは続けた。


「お前は自分の意思で殺す」

「あんたの命令だろ」

「それはそうだけど、それを受け止めているだろう。自分が人を殺している、という事実を受け止め、自分の意思で殺す」

「フツーじゃん」

「そうかもしれない。だが彼女は違う。ここ数日で分かっているはずだ」


アウルは片眉を上げて彼を見つめると、返事を拒否するように口を閉ざした。

ネオを狙ってきた少女はステラ、と名乗った。

いとも簡単に。

コイツ本当に暗殺者かよ、とアウルは本気で疑いたくなったくらい素直で従順で。

だが、それ以上に人形のような少女だった。


「人、殺すとき、何も見ない。何も感じない」

「物を壊す時とおんなじか」


 話を聞いたときこういうのも厄介だな、とアウルは顔をしかめた。

 命の重さを死らないと言う事は殺しの重さを知らないという事。

 限度を知らない事危険分子だ。

 いつ雇い主や協力者に火の粉が降りかかるか分かったものでは無い。

 最悪、血に狂って無差別、ということもあるからだ。

 だが、少女は根本が違った。

 後で知る事になるが、それよりずっと、ずっと根が深かったのだ。


「はいはい、君達の新しい未来にかんぱーい」

「だからちがうっつーの」



ミーアから注がれたワインを受け取りながらアウルは嘆息する。

何人もの客を見てきたせいか、彼女は鋭い観察力を持っている。

娼婦は肉体を提供するだけでは無く、ストレスを取り除くカウンセラーとしての一面もある。

特に高級娼婦となると高い教養も要求され、聞き手上手でなければならない。

 それらの全てをミーアは水準以上に満たしていた。

 そんな彼女は話を聞いただけで自分とステラという少女の違いを見抜いてしまっていた。

 自分の意思で人を殺せる自分と殺せない、ステラ。

 折り合っていけるわけが無い。

 今はネオの庇護を受けているが、彼女が再びネオに敵意を向けたときは……。

 ワインを飲み干すと、すきっ腹だったせいかワインは瞬く間にアウルの体を巡り、体温が上がって行く。

 酔いの勢いのまま、アウルはミーアに腕を回し、胸に顔を埋めた。


「あー、コラコラ。慌てない慌てない。全く……いつに無く甘えんぼさんだね、あんたは」


 困ったようにミーアが笑う気配がすると、白い腕がアウルを包み込んだ。








* * * *







 少女はステラ、と名乗った。

たったそれだけ。

ネオもアウルもそれ以上なにもきかなかった。

ネオはただ、彼女の身柄は自分が預かる事、だが危害を加える気も尋問する気も無い事を告げると、彼女は不思議そうに彼らを見上げていた。

どうして、とも、どういうつもり、とも、ごく当たり前だと思われる質問さえも彼女から出てくる事は無く。

コイツは暗殺者としての自覚が無い、とアウルが再認識させられる事になった。

だが。

そんな彼女でもやはり暗殺者のつもりでいた事も彼は気づかされる事になったのだ。


ステラが転がり込んでから二月近く。アウルの傷も彼女の傷もいえようとしたころだった。





「おい、馬鹿。メシ持って来てやったぞ」



 秋に関わらず日差しの強い午後だった。

 ステラの襲撃から二月近く、ステラの腕のキブスも取れ、彼女は快方に向かっていた。

 アウルがまだ怪我の治りきっていないステラの食事を手にドア越しに声をかけた。

 面倒だが、着替え中だったら困るからだ。

 ステラの面倒はネオの命令でアウルの役目でそれ以外はたまにここへ来るネオの姪に当たるフレイのみだった。

 いつしかアウルはステラを名前だけでは無く、愛称とでも言うか。馬鹿とも呼ぶようになっていた。

 ボケているようにしか思えないステラの言動。

 こちらの問いに返ってくるのは頓珍漢な答えばかり。

 それもわざとではなく、明らかに天然としかいいようもなかった。

 素、なのだ。

 この二月で情が移ったのか、親愛なのだろうか。

 馬鹿馬鹿しいと思いながらも知らず知らずのうちにステラの世話を苦に思わなくなっていた。


「開けるぞ」


 もう一度声をかけたが、いつもののん気な返事が無い。

 寝ているのかと一瞬思ったが、いやな予感を覚えてドアを蹴破るように中へと飛び込んだ。

 アウルは自分の予感というもには、従うようにしている。それで幾度と無く危機を乗り越えてきたのだ。

 手にしていたトレイが床に転がり、食事が飛び散ったが、アウルはそれどころではなかった。


ステラは、いつものようにベットの上にいた。

 だが、横においてあった花瓶は叩き割られ、ステラはその破片を魅入られたように見つめていた。

 その破片を握る手には無数の花瓶の破片が突き刺さり、血塗れていた。


「やっぱり……な」


 アウルは小さくつぶやくと有無を言わさず、ステラの手から注意深く破片を取り上げた。

 ステラは抵抗せず、ぼんやりとされるがままだった。血に濡れた手がとても痛々しい。


「お前、何のつもりだよ」


 破片を投げ捨て、ステラの手を持ち上げる。

 血をぬぐって破片を取り除いてやりながら、答えは分かっていたけれども敢えてアウルは聞いた。

 哀しげな、力の無い微笑がゆっくりとステラの口元を過ぎった。


「ダメ……ステラ、死ねなかっ……た。死ぬの、怖い。ステラ、暗殺者、しっかく」


 そういいきったあと、ステラから嗚咽が漏れた。

 あふれ出た涙がぽたりぽたりと、羽根布団にシミを造って行く。


「けが、治っちゃう……アウルと、ネオ、敵、になっちゃう……嫌だよう……」


 ステラの言葉にアウルは胸をつかれた。幼すぎるけれど、真摯とでも言おうか。

 彼女は自分達を敵にしたくないと言うのだ。

 怪我が治るまで、とネオは言っていた。

 怪我が治ったらまた敵になってしまうから、その前に、ということなのだろう。


 泣きじゃくる少女をアウルは抱き寄せて、金の髪に頬を寄せた。

 自分がシャンプーをしてやっていたシャンプーのにおいがする。

 彼女が無事だった事に心底安堵する自分にアウルは
ステラの存在をいつのまにか拠り所としていた事に気づく。


「バーカ。だったらここにずっといろ。みんな忘れて」

「……出来ない……よ」


 ステラはアウルを引き剥がすように離れると、泣きじゃくった。

 首を激しく振り、できない、と繰り返す。


「だったらまた殺しあうっての?! 」


 アウルも苛立ちを覚えて叫ぶ。


「敵に戻る……できない。でも、ステラは、皆忘れて、生きる、出来ない!だから……殺してっ!殺してよぉっ!!」



 死ぬのが怖い。

 そう言っていたのに今は殺せと、言う。

 アウルは彼女が身勝手に見えて気づくと平手打ちを放っていた。


「お前、勝手だ!!死にたくねーと言っておきながら今度は何だ?!んな馬鹿げた事で勝手に死にたがるなよっ!! 」


 アウルに張られて真っ赤になった頬をかばおうともせず、ステラは切り返すように叫んだ


「ステラ、今までの事、忘れたら。忘れたら……今まで殺した人達、どうするの……?! 」


 そこには冷たい殺意を宿した少女も茫洋とした少女もおらず、ただ悲しみを訴える少女がいた。


「ステラは……殺すため、生きてきた。命令する人、いたから、人、殺せた。どんなに……怖くても、哀しくても、何も分からないで、いられたよ」


 自分がステラと言う名の人形であれば、その人形に全てを押し付け、痛みや恐怖から、悲しみから目をそむけて生きてきたのだと、少女は泣きじゃくりながら吐露した。

 全てをわが身のものとして受け止めないで、生きて来たのだと。

 怖くなかったわけではない。哀しくなかったわけでもない。

 でも殺さなければ自分は生きる事さえ許されなかった、存在。

 死にたくない、それだけのために殺してきた。

 だけど、それを捨てて、今死にたいと言っているのだ。自分達を再び敵にしたく無いと、それだけのために。


「……ステラ」


 馬鹿、とではなく、名で呼ぶと、ステラは涙で汚れた顔を上げた。

 傷ついた手を気遣ってつつみこむように触れると、アウルは穏やかに語りかけた。


「僕も人をたくさん殺した。これからも殺す。そうすればネオがやりやすいだろうし、僕も僕なりにこの国に役立てる事だって思ってるから」

 手を優しく撫でてやりながら、破片をまた一つ見つけ、取り除いて行く。

 ステラはそんなアウルをじっと見つめ、言葉に耳を傾けている。

「この国って一応僕が生まれた場所だろ。愛国心、ってワケじゃないけど、この国、好きなんだ。
将軍とかさ、偉い奴はいけ好かない奴らばっかだけど、ネオみたいに変だけど良い奴いるし。町の奴らだって気さくで良いやつらだぜ。まだ戦場に出してもらえない自分が国を守るためだって思ってる。だから僕は自分の意思で人を殺すんだ」


 再びにじんできた血を舐めとり、アウルは笑うと、
ポケットからハンカチを取り出し、ステラの手をくるんだ。


「お前が自分の意思で殺せないのならもう殺さなければ良い。お前は生きるために殺したんだろ? 」


 こくり、とステラがうなずく。


 「だったら尚更だよ。殺された奴の分だけでも多くお前は生きないといけない。お前が死んだらそいつらが無駄死にって事になる」

「無駄……」


 新しい事実に気づかされたように言葉尻を繰り返すステラにアウルはうなずいて続けた。

 彼女に新しい道を示めそう。

 彼女には生きてもらいたいから。

 生き延びて欲しいから。


 前に思った。

 彼女に別の人生があったら、どんな風に笑って起こって、恋をするだろうか。

 暗殺者としてではなく、一人の少女として生きる彼女はどんな彼女だろうか、と。


「もう殺したくないのなら。生きたいのなら。僕のステラになれば良い」

「アウルの……ステラ」


 ステラはアウルの言葉を確かめるようにつぶやく。

 彼女の涙はすでに止まっていた。


「そう、僕のステラ。今日からお前はステラ・ルーシェ。そう、生きろ」


 そう囁きかけると、アウルは彼女を抱き寄せ、金の髪に唇をおとす。

 再び彼女に視線を戻すと、腕の中から見上げてくるすみれ色がじっと彼を見つめていて。

 その澄んだ色に魅せられたようにアウルは彼女と唇を重ねた。











* * * *










「いまだネオ・ロアノークは健在のようだね」
「失敗したようです……申し訳在りません」


頭をたれるタリアの報告を聞きながらデュランダルは窓辺を見やった。

ロンドンの空は厚い雲で覆われている事が多い。

――あの青い空が恋しい。ド

 イツを捨ててきたとはいえ、自分はいまだドイツの空に焦がれている。

捨てきれないものか、とデュランダルは密かに自嘲しながらも、彼の頭はすぐさま次の案を考え始めていた。

 失敗したのなら次を考えるのだ。


「レイにも……ステラにも……不憫な想いばかりさせて……結局」


 感情を押し殺したタリアの呟きが背中越しに聞こえた。
 
 ネオの暗殺に送ったステラが戻ってこない事は彼女が死亡した可能性が高いだろう。

 数ヶ月前のドイツ攻防戦でレイに続き、その妹のステラまで失うとは。

 目をかけていた兄妹を本当の幸せを知る前に死なせてしまったことは悔やまれたが、彼らが命をかけてくれたからこそ、この戦いに勝たなければならない。

 それがせめてもの手向けとデュランダルは自分を納得させていた。

 そうとらないないとこの時勢で生きてはいけないのだ。


 感傷は無用。


 そう、感傷渉は無用なのだ。
 理想のためには。



コンコン。

 遠慮がちなノックのあと、元気な声が扉の外から響いてきた。

「シン・アスカ少尉、お呼びと聞き、参りました!!」

「入りたまえ」

「シン・アスカ少尉、入ります!!」


 扉が開き、軍人らしく、しっかりとした歩調で入ってくると、シン・アスカはデュランダルは節度ある仕草でデュランダルに敬礼をした。

 シン・アスカは16歳の日系イギリス人である。

 祖父が若い頃イギリスにわたり、大学を卒業したあと、イギリス人の祖母と結婚した。

 シン・アスカの父の代から軍の家系で、シンも父親に習い、軍へと志願したのだ。

 もっともそれだけが理由ではない事をデュランダルは知っていた。


 去年のルシタニア号事件―ドイツが爆沈させた民間の客船に彼の両親とたった一人の妹が乗っていたのだ。

 彼らは船と共に冷たい海の底へと沈み、彼女達の遺体はいまだ見つかっていない。

 シンは歳の離れた妹を特に溺愛していたのは同期達の間でも有名だった。

 歳の離れた兄妹というのは特別で歳子や歳のちかい兄妹とは全く別の位置づけである事をデュランダルは熟知していた。

 お互い支えあい、生きてきたレイとステラもそうだったように……。


 シンはマユを幼い頃から見守ってきた事も在り、兄、というよりも父親に近い心境なのだろう。


 何よりも守りたかった存在をドイツに殺されたのだ。そのうえ親友のレイも先の戦闘で失っていて、
シンのドイツに対する憎しみはすさまじいものがあった。

 今回、ステラの死を知ったのならばその憎しみはさらに深いものとなるだろう。

そして何よりも―シンはレイやステラが暗殺者である事を知らない―いずれ分かってしまうことであったが、彼にはドイツへスパイとして送る任務の成功のためには彼が戻るまでは彼女の訃報を伏せておくつもりだった。

 彼の東洋の風貌は疑われにくい。日系ではあるが、中国系でも十分通用するのだ。


「シン、例の件、受けてくれるかい」

「意にそぐわない任務では在りますが……あ!!い、いえ喜んで行かせていただきます!! 」


 ついつい本音を漏らしてしまい、慌てて訂正を入れながらも直立不動で答えるシンに笑みを漏らすと、デュランダルは深くうなずき、彼の肩に手を置いた。
日がさすようにシンの顔が明るくなる。


「頼んだよ……君だけが頼りだ」

「はい!! 」


 心酔していたデュランダルの期待を背負っているのだと感じたシンは感激に身を震わせ、デュランダルの言葉に応えた。

 早くも敵国の方へと想いを馳せ、彼は敬礼をすると一秒でも惜しいというように急ぎ足で部屋をあとにした。

 その実直な少年の後ろ姿を見送ったあと、タリアは苦情の表情で嘆息した。


「あの子が……レイやステラの事を知ったら……」

「私達を許しはしないだろうね、タリア」


 タリアの言葉を受けるようにそう言うと、デュランダルは再びロンドンの空を見やった。

 シンはレイとステラがデュランダルの命で暗殺をしていた事など知らない。

 人の闇を知らない少年がそれを知る日が来てしまうのだろうか。

  灰色の雲に覆われた空はさらに暗さを増したように見えた。





つづく
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