あなたは毎日を『生きて』ますか?
















冬至を越したからなのか日が次第に長くなってきていた。
そうはいってもまだ死ぬほど寒いし、日が短いのに変わりはねーけど。
一緒に住んでいる兄貴より早く勤め先から戻ってきた僕は夕食を作ると、年中おきっぱなしになっている掘りゴタツの上に2人分の食事を並べた。
食事の支度は割と楽しい。
前はめんどくさくて仕方なくて兄貴に任せっぱなしだったけれど、今や趣味の一つとなっている。
一つの家族団らんだし、相手の反応が嬉しいからメニューを考えるのも楽しい。その食卓にまもなくもう一人分の食事が増える事になっている。


兄貴がこの春に結婚する。


こういった支度から開放されるのかな、とは思ったけれど、嫁に来るヤツは相当な料理下手だから当分僕と兄貴の役目になりそうだ。

僕としては新婚の邪魔をしたくないから勤め先の寮に入ろうと思ったんだけれど、ご両人からなんで?って真顔で聞かれたから今のところ留まる事にした。

兄貴の帰りを待つ間、テレビでも見ようとテレビの上にあるリモコンを手にとった時、向かい側の部屋にある、仏壇に置いてあった花火セットが目に入った。

時期はずれだった事もあってたたき売りされていた花火セット。

なんか花火がしたくなっちゃってさ、どうしようかと軒側のほうを見ると、ちょうど日が暮れていて真っ暗になっていた。

兄貴も戻って来ていないし、戻ってくるまで花火でもしていようかと仏壇に向かう。
真冬の花火なんて変わっていると思うだろ?
でもさ、冬の花火は俺らにとって特別な思い入れがあるものなんだ。
夏の花火と同じくらい、いや、それ以上に。
何故かって?
そうだな・・・・・。
長い話になるけど、どこから話そうか・・・・。
















きっと笑える僕でありたい

第1話



















俺らの親はガキの頃、交通事故であっさり死んじまった。
原因は相手側の飲酒運転で
結婚記念日だけど外でする食事代もないからって、年甲斐も無く仲良く手をつないでの散歩の帰りだった。
そこへトラックが突っ込んで二人仲良く旅立っちまった。
撥ねられてボロ雑巾のようになっても手は繋がれたまんまで引き離すのが一苦労だったって病院側から聞いて
3人して泣きながら呆れてったっけ。
そう。
俺らは3人兄妹だった。
6年前の冬の日までは。




親の死んだ後、わずかな保険金と相手側の慰謝料で生活はなんとかなったけれどそれでも楽ではなかったと思う。
兄貴はなれない家事や勉強の傍ら、懸命にバイトをかけ持ちしていたから。
そんな僅かな金の事でも顔も知りもしない親戚まで出てきて兄貴のスティングは中学になったばかりでありながらよく戦っていた。
担任のネオやマリュー先生の手助けもあったけれど俺らを抱えてよくやったと思うよ。
でなかったらふんだくるだけふんだくられて、施設送りか親戚たらいまわしだっただろうな。


まぁくだらない家庭事情はここまでにして。


俺ら3人兄妹だったって言ったよな。
兄貴のスティングは僕より一つ上で僕より2つ下に妹のステラがいた。
絹糸のような金髪でフワフワした空気を持っていて、例えるものがあるとしたら砂糖菓子のようだった。

えーと、綿アメ?

そんなふうに言ったらスティングにお前は食い物しか頭にないのか、と小突かれたけれど、そう思ったんだから仕方ないじゃん。
とにかく、そんなヤツだった。

甘くてフワフワしていて、ピンクが似合っていて。
でも少し体が弱くてよく風邪引いていたりしていたっけ。
スティングにとっちゃあ歳の離れた妹で可愛くて仕方なかったんだろう。
甘やかすだけ甘やかしてそのとばっちり食っても全っ然こりなかった。
それは僕も同じで変わりはなかったけど、いじめる事も多くてよく怒られていたっけ。
でも何故か懐いてくれてよくまとわりつかれていた。
それは彼氏みたいのが出来てもそれは変わらなくて、ステラは俺ら兄妹の中心だった。



可愛いステラ。



お前が旅立ってから6年たったよ。
僕が自分の旅を終えてお前にまた逢える日が来ても、胸を張っていられるように僕は今を生きているよ。




















あとがき



生きていて嬉しいか?

大学時代にバイト先の一人に言われた言葉。中年のベテランさんだったんですが、私は生きているからには嬉しいんじゃないですか、と冷ややかに返した覚えがあります。何を言いたかったの分からず、イライラして答えた言葉でした。

そして今回のテーマ。

亡くなった祖父が母に最期に言っていた言葉。
そして今、母が口癖に言っていた言葉が一つのテーマとなっています。
うまく出来るかどうかわかりませんが、お付き合いいただけると嬉しいです。