湿り気を含んだ潮風が口笛に似た、鋭い音を立ててアウルの髪を煽る。塩分を含んだ風にしかめっ面になりながらもアウルのマリンブルーは目当ての人物を探して海辺の町を彷徨っていた。












 アウルはスティングやステラと共に町へとでてきていたのだが、少し目を離した隙にステラはいずこへと姿を消していた。前科があるだけに二人は慌て、早急に彼女を見つけようと二手に分かれて彼女を探していたのである。

 ちくしょう。ステラの奴、どこへ行きやがった。

 そう大きな町ではないと言うのに人の多い雑踏にアウルは舌打ちした。嫌な予感ばかりが頭の中をよぎる。



 因縁の船、ミネルバを追ってきたジョーンズだったが、補給と修理をかねてこの町に寄ったのは数日前。船上の長旅で陸に焦がれた船員たちが次々と町へと上陸していった。

 たくさんの笑顔と歓喜の声。

 騒ぐ彼らをうっとしいと思いながらも、やっぱり自分も嬉しさを感じていた。船上生活は娯楽は少なく、変化の少ない景色は退屈だったから。戦闘時を除いて。


 それに――海の上はなんとなくなのだが――不安になる。


 ステラが喜ぶ海。
 太陽の元で輝く海面は美しいけれど、海の底は暗く、冷たい。深ければ深いほど光は届かず、自分の体温さえ奪われる錯覚に陥る。それはアビスに乗るアウルだけが知りうる光景。その名が冠する『深淵』にふさわしい、底知れぬ深さ。

 ――海はステラが思っているほど美しく、優しい場所ではない。

 こんな事は彼女には言うつもりはないし、これからもない。彼女は笑ってさえいれば良いのだ。何も知らない、何も分からない。お馬鹿で幸せなステラのままでいれば。




























並んで歩こう






























「あの馬鹿、どこ行った」


 何度目になるか分からない台詞を吐き出し、アウルは雑踏の中へと入っていった。
 否。
 入ろうと、した。
 何の偶然か。神の気まぐれか。
 ちょうど其の時見慣れた金髪が雑踏の中から出てきたのだ。少女はこちらに気づいた様子もなく、ゆっくりとこちらへと歩いてくる。

「ステラ」


 安堵の溜息と共にアウルの唇から尋ね人の名が滑り落ちた。見失う前に、と少女の元へと駆け寄ろうとしたところ、彼女が一人ではない事に気づいて足を止めた。


「何やってんだ、あの馬鹿」


 これも何度目か分からない台詞。
 一日何度『馬鹿』と呼んだか覚えていられないくらいだった。

 ステラは一人ではなかった。

 両手、片方ずつに子供の手を引いて歩いていたのだ。
 一人はとても幼い男の子。歳は3,4歳くらいだろうか。
 明るい茶色の巻き毛が印象的だった。
 もう一人もやはり幼かったが、少年よりいくつか年上のようだった。おそらく男の子の姉なのだろう。出で立ちが似ていて、髪はやはり明るい茶色。長めの髪を前の方で二つに束ねていた。

 ステラは彼らの手を引きながら何かを探してしきりに辺りを見回していて、子供たちは大人しく彼女に手を引かれるがまま歩いていた。探し物に夢中なせいか、ステラはアウルに気づいていないようだった。

 ここは自分から動くしかないと判断したアウルは、勢いよく地を蹴ると、人ごみを掻き分けてステラの元へと走った。


「この馬鹿ステラ!!」


 ステラの元へとたどり着くなり、アウルは今までの不安と苛立ちをぶつけるかのように彼女を怒鳴りつけた。思いっきり怒鳴りつけたつもりだったのだが、ステラは突如現れたアウルに首を傾け、大きなすみれ色をパチパチさせただけ。代わりに彼女の両脇の子供たちが怯えた視線を彼に向けてきていた。

 自分達が必死で探し回っている間、お供を連れて町をのん気に散歩して、悪びれた様子を見せないステラにアウルは苛立ちを一層募らせた。自然と語調も荒くなって行く。


「お前、自分が何やったか分かってんの?! 勝手に一人でうろうろすんなって何度言ったらわかんだよ三歩歩いたら忘れんのか鳥かよおまえは」


 アウルが感情のまま息もつかずにマシンガンのようにまくし立てているとステラの傍らにいた男の子が火がついたように泣きだした。


「うわーん、このおにーちゃん怖いよぉっ!!」


 その泣き声で雑踏を行きかっていた人々が次々と足を止め、アウルたちの方へと視線を向けてきた。ステラではなく、子供の方が泣き出した事にアウルは慌てた。


「お、おい……」
「こわいよぉっ!!」


 何とか子供を静めようと声をかけても男児は泣き喚くばかりで声のオクターブはさらにあがってゆく。
 耳をつんざくような、泣き声。
 さらに姉らしき女児の方までもがグズリだしていて、涙に目を潤ませていた。泣くまいと懸命に唇を噛んでいたが、このまま泣き出すのも時間の問題だった。
 ちくちくと刺してくる町人達の視線が痛い。白い目で見るもの、露骨に顔をしかめて耳打ちしあう者の姿もあった。
 何も知らないくせに、アウルは歯噛みをしたが、このままでは埒が明かない上、目立つ。アウルはおもむろに男児を抱え上げ、ステラに「付いて来い!!」と叫ぶとステラの手を取って走り出した。ステラも女児の手を握ったまま、芋づる式に一同はその場をあとにした。


「アウル、待って。足、早い。この子……そんなに走れない」


 どれくらいの距離を走ったあとだったのだろうか。
 歩調の速さをとがめるステラの声でアウルは我に返り、速さを緩め、やがて足を止めた。子供を降ろすと勢いよく振り返り、ステラに説教を始めようとしたが、彼女の非難めいた眼差しに逆に言葉を詰まらせた。


「アウル、子供、泣かせた」


 珍しく眉間に皺を寄せ、アウルを睨みつけながら、ステラは泣きじゃくる幼い少年を抱き寄せてあやしていた。優しく背中をさすってあげながら、大丈夫大丈夫、と優しく繰り返し声をかけている。やがてそれが功をなしたのか。少年はしゃくりをあげながらゆっくりと泣き止んでいった。その間もステラは少女の方への気配りも忘れていなかった。


「泣かなかった、えらい……よ? 」
「うん」


 すんと鼻を鳴らしてうなずく少女の頭を優しく撫で、ステラが微笑んだ。普段は誰よりも幼いくせに、子供たちをあやすその姿は何故かとてもサマになっていた。その姿はまるで彼女(``)……。


「……っ」


 前触れも無く生じた鋭い胸の痛みにアウルは眉をしかめた。おぼろげにしか思い出せないけれど懐かしくて、暖かく――切ない、想い。

 何だったのだろうか?

 顔を上げると、ステラたちが怪訝そうに彼を見ていた。何だよっ、と睨みつけると、「アウル、駄目」と逆にステラに睨み返され、その迫力に気おされて一歩下がった。

 ステラを必死に探し回っていたというのに、これでは自分が悪者ではないか。

 文句を言おうにも子供を抱えたステラは妙に強気なのだ。どうしてくれようと内心腹を立てていると、不意に腹の虫が辺りにこだました。その大きさは空洞の奥底から響いてきているかのようだった。

 ……自分のではない。

 それでは誰のかと顔をステラのほうへと向けると、ステラではなく、傍らの幼い少女が真っ赤な顔でうつむきながらおなかをさすっていた。


「おなかすいたー 」


 少女の腹の虫に呼応したかのように少年が声を上げた。さっきまで泣き喚いてトラブルの種を作っていたくせに、その呑気さに脱力したアウルはその場にへたり込みそうになった。





「ちょっと……待って、ね? 」


 窓際にある、4人がけのテーブルの上に並ぶパスタの皿。傍らに座る幼い男の子のためにステラは粉チーズに手を伸ばすと湯気の立つパスタの上に振りかけた。少年はそれを待っていたかのようにほおばり始めたが、パスタが熱かったのか涙目になってぼろぼろとパスタを口から出してしまった。
 それでもステラは嫌な顔一つせずに少年の顔を拭いてあげると、彼のパスタを冷まそうとふぅふぅと息を吹きかけていた。


 普段はステラ自身がやってしまう失態であるのに、逆に面倒を見ているステラの姿をアウルは不思議な面持ちで見ていた。自分の傍らでは少女が行儀よくトマトソースのパスタを口に運んでいる。特に世話の様子はなさそうな事に内心ほっとしていた。

 子供の面倒など性に合わない。
 ステラ一人でも大変だというのに。

 あれからアウルは腹をすかせた少年と少女を近くのレストランへと連れてきていた。また泣かれるのも面倒だったし、何よりもステラがそう主張したから。話を聞いてみると、この少年と少女はやはり姉弟で迷子であるらしい。姉が弟の手を引いて途方にくれたところをステラが見つけたのだと言う。

 どうもステラは子供たちを守らねば、という使命感に燃えてしまったらしく、彼らの親を見つけるまで引き下がりそうになかった。また子供たちもステラに懐いていてべったりだったのでこのまま引き離せそうにない。アウルはため息をつくと少し前、電話越しでのスティングとの会話を思い起こしてさらに深くため息をついた。
 ステラの発見にスティングは電話の向こうで狂喜し、事が済んだら迎えに行く、と言っていた。面倒だ、と思いはしたものの、ネオに何かと説明する役柄はもっと面倒だった。仕方なしに子供達の親探しに手を貸す事になったのだが、今から何かと頭が痛かった。


 ステラは何時もそうだ。面倒な事を抱え込んでくる。
 捨て犬や猫を見つけては連れてきて、其のたびにアウルたちが里親探しに奔走して回る。大概奔走して回るのはスティングだったが、その間に上官から小言を受けるのは自分だった。
 今回も似たような状況で…。


「辟易する」


 ボソリとアウルがつぶやいた独り言に傍らの少女がびくり、と肩を跳ね上げた。そして上目遣いでこちらの顔色をうかがう。
 無駄に怯えられても不愉快だし、また泣かれても困る。
 犬や猫の世話が面倒で不愉快だった。それが子供であっても変わらない。面倒な事が不愉快にさせるのだが、それだけではない。それ以上に何か――そう、何か――がアウルをさらに不愉快にさせるのだ。それが今ひとつはっきりはしないのだけれど。
 アウルは苛立ちを奥へと押しやり、少女に笑いかけた。


「うまいか」
「うん」


 少女はその笑顔に安心したようにこくんとうなずくとにっこりと笑った。


 怯えられるよりは笑ってくれた方がいい。


 少女の笑顔は不思議とアウルをそんな気持ちにさせた。






へと続く