「海岸沿いに警察署があるんだってさぁ。そこでこいつらの親、見つかるんじゃね? 」


 食事を済ませたあと、レストランの従業員から得た情報からアウルたちは警察署を目指していた。自分のすぐあとを子供達の手を引くステラが続き、彼らを時々視界に入れながらアウルはゆっくりと歩く。頭の後ろで手を組み、彼らが苦にならないくらいの速度でのんびりと。 特に意識していたわけではなく、いつのまにか自然とそうなっていた。

 耳元で彼らのおしゃべりと海の小波の音が聞こえてくる。
 弾んだ声、笑い声。
 押しては引く、波の音。
 そして塩を含んだ風が横切って行く音。
 それらの音に聞き入りながら歩いていたアウルだったが、不意にステラ達の話し声が途切れた事に気づいて立ち止まった。嫌な予感を覚え、腕を解いて振り返る。


「うみぃ〜〜」


 予感は的中。
 ステラと少年は歓声を上げ、海辺へと走り出していて、彼らの背中は小さくなりつつあった。少女の方は困った顔でアウルの方へと振り返りながらも同様に連れて行かれていて、アウルは忌々しげに舌打ちをすると、彼らのあとを追った。


 ステラたちは波打ち際に辿りつくと靴を脱ぎ捨て、その足を海に浸して賑やかな笑い声を上げた。

 迷子のクセにこのガキ共はなんて呑気なんだ――はしゃぎまわる彼らの姿にアウルは頭痛を覚えて天を仰ぐ。心なしか青空に「がんばれよー」と呑気に笑うスティングとネオのが映りこんだような気がして猛烈に腹が立ってきた。

 こうなったら自分も馬鹿をやっている。

 いつかスティングが言っていたように、馬鹿を。
 アウルはブーツを脱ぎ捨てるとズボンを捲り上げ、大またで彼らの方へと歩いていった。

 ステラのスカートが翻り、――柔らかな声。甲高い元気な声。舌足らずな声――複数のトーンの混じった笑い声がこだまする。
 アウルは幼い少年が転ばないように手を引いてやりながらステラともう一人に注意をした。
 服をぬらしてしまっては風邪を引く。本格的な夏はすぐそこであっても強い波風は確実に体温を奪うから。
 それは大変な仕事ではあったが、アウルも次第に彼らと一緒になって波の間を駆け回っていた。

 お馬鹿な空気に当てられたのかもしれない――そう思う事にして。




 気づいたら日が傾き始めていた。
 当初のすっかり目的を忘れてはしゃぎまわっていた自分に気づいて恥ずかしくなりながら、アウルはステラたちに声をかけた。


「暗くなんねーうちに行くぞ」


 ステラと少女は素直にうなずくと、海から出てきて靴を履いた。ただ幼い少年はぼんやりと突っ立ったままだった。今度は何だとアウルがしぶしぶながら問うと、眠い、の一言が返ってきたので口元を引きつらせた。

 少年は遊び疲れてしまったようでこのままだとまともに歩けそうにないのだと、分かったから。それでも彼をほっぽって行くわけにもいかない。

 仕方なくアウルは幼い少年を抱え上げると、ステラに少年の靴を持ってくるように言いつけ、歩き出した。先ほどまで一緒に遊んだせいか、少年はアウルに怯えることなく大人しく抱え上げられていた。

 砂浜を出て海岸沿いの道に戻り、振り返ると、少年の靴を片手に、もう片方で少女の手を引いたステラが付いてきているのが見える。抱き上げた少年はアウルの肩に顔を埋め、既に寝息を立てていた。
 伝わってくる体温と静かなリズムが、ゆっくりとアウルを暖めてて行く、不思議な感覚。穏やかな気持ちで小さな背中をさすり、トントンと、軽くたたいた。

 昔誰かがアウルにそうしてくれたように――。

 すると。
 少年は小さく身じろぎをし、小さく「お父さん」とつぶやいた。
 アウルは驚きに目を瞬かせて少年を見やったが、彼は静かに肩を上下させていただけだった。
 けれど、アウルの胸のうちは既に暖かさに満ちていた。
 自然と口元に笑みが浮かぶ。
 後ろではステラと少女が声を合わせて歌っていて、繋がれた手が大きく前後に揺れていた。





「ありがとうございます!!なんとお礼を言って良いやら!!」


 姉弟の両親はすぐに見つかった。
 まだ20代半ばの若いカップルはどうやら旅行者だったらしく、買い物途中ではぐれた姉弟を必死に探し回っていたようだった。
 子供たちも初めて見る外国に好奇心いっぱいに歩きまわっていたとはいえ、買い物に気を取られて見失うとは間抜けな親だとアウルは呆れた。

 文句を言わなかったのは見つかってよかったという安堵と開放感、そして疲れから文句を言う気にもれなかったのもあったのだけれど、何よりも騒いで眠る小さな少年を起こしたくなかった。

 自分の腕から本来の父親へと少年が移されるとき、くん、と自分の袖が引っ張られた感触にアウルは驚いて少年を見やった。
 少年の小さな手にはアウルの袖が――まるで離すまいと言わんばかりに――しっかりと握られていた。
 その光景に胸を突かれ、アウルは小さく息を漏らしたけれど、その手は無理やり引き剥がされ、少年は父親の腕の中へと収まった。気づかずに眠り続ける少年をアウルは寂しげに一瞥する。

 ……あれだけ暖かかった温もりが急速に失われて行く。

 一時的な感傷だ。すぐに忘れる。そう自分言い聞かせ、アウルがステラの方へと振り返ると、彼女は少女を離そうとせずに自分の方へと抱き寄せていた。色が変わるくらいきつく手を握り締め、厳しい表情を少女の父親と向けている。

 ステラは離れたくないのだ。

 アウルには彼女の気持ちが痛いほど分かっていた。
 けれど、少女は親元に帰さなければならない。
 連れては行けないのだ。
 自分達のいる場所はこのような子供たちがいられるところではない、のだから。

 それはステラが連れてきた小動物たちと同じようにずっと一緒にはいられない、そんな存在。


 ……ふと。


 アウルはステラがそれらを拾ってくるたびに味わう苦い想いの正体に気づいた。


 そう――共にはいられない――そんな存在だと認識させられるから。一緒に生きられないのだから。


「ステラ」

 手を離すように促すと、ステラは激しく首を振り拒否の意を見せた。そして哀願の眼差しをアウルへと向ける、離れたくないと。幼い少女は困ったように彼女を見上げ、アウルを見た。


「ステラ、こいつらの帰る場所は俺等の所じゃない」
「帰る、場所……」
「そう、帰る場所。僕やお前とちがうんだよ」


 アウルはゆっくり諭すようにステラへ告げる。
 子供達の帰るべき場所は別にあるのだ。
 自分達の帰る場所がスティングとネオであるというように。
 スティングとネオの名にステラのすみれ色が揺れた。
 そして少女の方へと目を戻すと、少女の困りきった笑顔が映る。


「この子が、帰る……場所……」


 哀しげにそうつぶやくと、ステラはおそるおそるその手を緩めた。少女の手を少しでも長く握っていられるように、自分のところにとどまってくれる事を望んでいるかのように少しずつ少しずつ。
 やがて手が離れきってしまうと泣き出しそうなったステラをアウルは無言で自分の方へと抱き寄せ、頭をなでてやった。

 笑って見送ろってやろうな、とささやきかけながら。

 必死に涙をこらえて眉間に皺を寄せ、唇を噛むステラ。そんな彼女がいじらしくて、アウルは慰めるように額に軽く口付けると、親子の方へと向き直った。

 少女は手を開放されるなり、母親らしき女性の元へと駆け寄って行き、彼女のスカートにすがり付いた。母親の方も安堵の笑みを浮かべ、少女を抱きしめた。少年は穏やかに微笑む父親の肩に頭を預けて眠っている。

 その光景に寂しさを感じるのはステラだけではない。自分も、そう。だから嫌いなのだ。別れのある出会いは。

 この幼い姉弟。
 犬、そして猫と言った動物たち。
 どれも傍に置けない、存在なのだから。
 
 重く、哀しげな吐息が人知れず、漏れた。





 沈み行く太陽が辺りを茜色に染め上げていた。
 同時にその光は建築物や立木などといった地からそびえるものを暗く染め上げ、紅と藍色のコントラストが生まれる。

 何度も振り返りながらながら、アウルたちの方へと手を振る少女。子供達の両親も何度も頭を下げながら子供たちを連れ、きた道を戻っていった。

 アウル達の帰る所から逆方向へと、次第に遠ざかって行く。

 アウルたちは手をつなぎあい、親子連れの姿が見えなくなるまで彼らを見送った。無言のまま、互いの手の温もりが唯一のよりどころであるかのように彼らの手はしっかりと合わさっていた。


「帰るか。スティングとネオが待ってる」
「うん」
――

 やがてアウルが長い沈黙を破ると、ステラはうつむき加減にこくりとうなずいた。まだ未練が抜けきっていないよう彼女に困ったものだと、アウルは苦笑した。

 ステラは一度執着をもってしまうと、頑固になかなか手放そうとしない。今回に限らず、毎度毎度そうで。彼女から拾ってきた動物たちを引き離すのも骨が折れるものだった。
 忘れてしまえば何の苦にもならないのだけれど、それだけではやはり哀しすぎる。

 ふとある事を思いつき、アウルはステラを見やった。
 ステラはまだ親子の消えた道を哀しげに見つめ続けている。そんな彼女にアウルは希望を一つ持ったって良いのではないだろうか、と思った。例え明日を約束されていない自分達が希望の一つや二つもったとしてもネオは咎めやしないだろう。


 ……それが強さに繋がるのなら。


「さみしい? 」
「……うん」


 アウルは言葉少なげに心情を漏らすステラを再び抱き寄せると、こつんと、おでこを触れあわせた。怪訝そうに自分を映すすみれ色にアウルは微笑んだ。


「戦争が終わったら……あのガキ共以上の子供をお前にやるよ」
「……え? 」


 寂しさに一層茫洋としていたすみれ色がアウルの言葉で緩やかに生気を帯び始めた。まるで真冬から春へと遷り変わって行く大地のようにそれは少しずつステラの全体に広がって行く。


「子供、欲しいんだろ?僕が協力してやるから」
「本当……に……?」
「戦争が終わったら、な」


 生き延びたら、という言葉をあえて飲み込み、アウルは笑った。ステラも頬を上気させ、ふんわりとした、花のような笑顔を見せた。静かな希望に満ちた、笑顔に満足したアウルはステラの手を引いて歩き出した。スティングとネオの待つジョーンズへと。


「スティングとネオも手伝ってくれるかな?」


 手を引かれるがまま歩いていたステラが漏らした一言にアウルは目をむいて振り返る。スティングとネオの子まで産むというのか、と。冗談ではない。


「はぁ? 僕だけで良いじゃん、子づくりは」
「そう……かな」
「そうだよっ!! 」


 不機嫌さを全開に、思いっきり口元を捻じ曲げてそういうと、ステラはきょとんと首をかしげる。彼女はアウルが不機嫌になった理由がわからないようだった。ステラ相手に問答を続けても無駄だという事は熟知しているから、アウルは妥協案をはさんで彼女を納得させる事にした。


「……ま、代わりにアイツラには子守でもさせっか」
「わかった」


 分かった、と言いながらも実際は分かっていないようなステラに一抹の不安を覚えたアウルは語調を強めて繰り返す。


「わかってる? 僕だけ! 子供を作る相手は僕だけ! 約束だかんな」
「分かった。ステラ、アウルと同じ蒼い髪と目の子供、欲しい」


 ちっちゃいアウルが良い、と微笑むステラにアウルは気恥ずかしげに視線を泳がせた。自分で言いながらも実際彼女に言われて見るととても照れくさい。自分としてはステラに似た女の子が欲しいと密かに思っている事は口が裂けても言えない事。

 もしかしたら。

 とても少ない可能性だろうけど。
 もしかしたら、と思う。願う。
 自分にも家族が出来たら、と。
 ちゃんとやっていけるかどうかはわからないけれど、スティングやネオがいて。傍にステラがいてくれたら。

 自分の腕の中で寝息を立てていた幼い少年の温もり。
 自分を見上げて笑った少女の笑顔。

 あの幼い姉弟を連れて歩いた時のようにやっていけるのではないかと思った。

 いつか。
 いつか、並んで歩こう。歩けたら良いな。



「あ、お星様」



 ステラの声で我に返り、立ち止まった。
 空を見上げる。
 藍色に染まり出した空はいつしか無数の星で満ちていて、静かな輝きを見せていた。



















ちかちか。
ちかちかと。


































 あとがき


 ちらりと見かけた海辺を歩く親子の姿にふっと書きたくなったものです。
 いつか子供の手を引いてあげながら並んで歩けたら……。
 アウルとステラのそんな願い。



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