ステラは廊下を走っていた。

 途中、何度か廊下で人とぶつかりそうになり、その度に相手が非難の声を上げたが、それにかまわず走っていた。
 腕には宝物のようにしっかりとケーキの箱を抱えている。
 そう、宝物。
 スティングと作った宝物なのだ。
 目指すは医務室。
 風邪でクリスマスを逃した、アウルのいる医務室だった。






My Sweetheart

――Auel & Stellar――















 曲がり角を曲がってあと少しで目的地といいうときに、死角から歩いてきた兵士とぶつかったステラはその衝撃で後方へと吹っ飛んだ。
 その拍子に抱えていた箱が宙を舞い、廊下に転がる。
 同じように後方へと転がった灰色の軍服を着た兵士は悪態をつきながら起き上がったが、ステラに気づくと、顔色を変えてもと来た道を這うように戻っていった。
 ステラの方は軽い脳震盪を起こしていて、足元がおぼつかなかった。
 頭も痛む。
 それでもふらつく足をしかりつけるように立ち上がると、逃げ去ってゆく兵士に目もくれずに箱を拾い上げた。アウルのために作ったケーキは無事かと不安げな面差しで見やる。箱は少しつぶれていたが、やぶれてはいない。


「よかった、こぼれて、いない……」


 ほっと息を吐き出すと、今度は少し、用心しながら目的地へと向かう。
 やがて見えてきた無機質な扉。
 冷たく閉ざされた扉の横に医務室、というプレートが銀色の鈍い光を放っていた。



 医務室の前に立つと、ステラの体温に反応して扉が開いた。

 ぷしゅー。

 空気の抜けるような音。聞きなれた音であるはずなのに、ステラはその音に緊張感を覚えた。

 部屋に入ると冷ややかな微笑を浮かべ、迎えてくるいつもの看護士いなかった。何を考えているかわからない看護士が居ないことにほっと息を吐き出す。
 安堵を覚えたのもつかの間、つんとした薬品のにおいが鼻を掠め、彼女は顔をしかめた。かぎなれているけれど、好きになれない、におい。スティングとケーキを作った所の甘いにおいとは大違いだった。

 アウルの姿を探して白い医務室を見回す。部屋を仕切る白いカーテン。白い壁。白い床にベット。


「しろい、へや……」


 どこもかしこも白くて、ステラは気持ち悪さと同時に居心地悪さを感じた。
 この数日間、アウルは一人、こんなところに居たのだろうか。
 そうだとしたらアウルは……。
 胸が締め付けられる感覚に息を吐き出すと、ステラはアウルの姿を探した。
 きっとすぐに見つけられる。
 この白さの中で彼の蒼は目立つから。
 すぐに、わかる。


 使われていないベットのカーテンは皆開いていた。その中で部屋の一番奥のほうにひとつだけ、閉められたカーテンがあった。


「アウル……そこに、いるの……?」


 ずおずと声をかけてみたものの、返事はない。
 遠慮がちにカーテンの中へと身を滑り込ませると――彼は、アウルは、いた。
 こちらに背を向けて。
 寝ているのだろうかと、ステラは不安げにで再度呼びかけた。


「ア、ウル……?」
「人の名前もまともに呼べねーの、お前」


 とげのこもった言葉とともにアウルがその身を反転させてステラをにらみつけてきた。マリンブルーは険しく細められている。
 彼がかなり不機嫌だという、証拠。その目がステラは怖かった、。

 それでもスティングと一緒に作ったケーキを渡したくて。
 アウルに元気になってもらいたくて。
 そして遊びに行くはずだった約束のことは気にしていないということを伝えたくて。

 アウルの剣幕に逃げ出しそうになる自分の足を必死に踏みとどまらせて、抱えていた箱を差し出した。


「アウル、これ……」
「ああん?」


 いぶかしげに箱を見つめるアウルにステラは必死に言葉をつむぐ。


「あのね、ケーキ。ステラ、作ったの……スティング、と。ステラ、がんばったんだ、よ……?」
「ケーキって……」

 ゆっくりと体を起こし、箱を受け取るアウルからは先ほどまでの険が弱まっていた。変わりに戸惑いの、空気がにじみ出てきている。


「くりすます、アウルできなかった、でしょう……?」


 ぷっ。
 その言葉にアウルが噴出したのがわかった。
 なぜ笑ったのか理解できないままステラが首をかしげていると、アウルの目が穏やかに細められ、口元は笑みを形作った。


「そうじゃ、ないんだけど……な。まぁいいか」


 その口調にいろんな感情が入り混じったかのような、複雑な響きがあったけれど、ステラには理解できなかった。
 だけど、アウルが笑ったことがうれしくて彼女にもわかって、彼女からも笑みがこぼれる。傍に腰掛けると、少年の肩にほほを寄せてささやいた。


「アウル、またいつか……遊びに、行こう、ね?」


 アウルが行こうと言ったら、ステラ、行く――。


 アウルはその言葉に目をしばたたかせていたか、やがてそっぽを向くといつかな、とつぶやいた。まだ熱があるのか、頬が少しだけ、赤い。



「しっかしお前がケーキかよ。食えんの?」
「むぅー、スティング、上手だって、ほめてくれた……もん」
「スティングが言うなら食えるかも」

 いたずらっぽい笑みを浮かべて意地悪を言うアウルにステラは安心感を感じていた。いつもの、アウルだったから。


「さて中身を拝見……っておい」


 アウルの困惑した声にステラは彼の手元を覗き込んだ。目の前の光景を目にしたとたん彼女の誇らしげな笑顔が崩れるようにくしゃくしゃになっていった。

「け……きが……ステラの、ケーキ……」

 箱の中にあったはずのケーキは最初の面影などなく、無残にもつぶれた姿をさらしていた。
 白い生クリームもイチゴクリームも飛び散り、イチゴもつぶれて白いクリームを赤黒く染めていた。ふんわりしていたはずのカステラも平べったくつぶれている。


「どっかで落とした?」


 ため息交じりのアウルの声にステラはうなずいた。
 嗚咽とともに視界がゆがんでゆく。

 がんばったのに。
 自分が作ったのに。
 アウルに食べてもらう前にケーキが壊れてしまっていた。

 悔しくて悲しくて涙が後から後からあふれてゆく。
 そんなとき暖かい手の感触がステラの頭に触れた。

「あー、泣くな、泣くな」

 ステラの金髪をかき回すようになでる、アウルの手だった。
 スティングのように優しくもなく、ネオのように繊細な手でもなかったけれど、その暖かさはステラの中に染み入ってゆく。涙にぬれた顔を上げると、アウルが困った笑顔で見下ろしていた。


「あ、うる……」
「これでも十分食えるって。大事なのは見た目より味って言うじゃん?」
「そう、かな……」


 スティングの言葉どおりに手間をかけたケーキだったけれど、お世辞にもおいしそうに見えなかった。
 アウルは見た目を気にしたそぶりもなく、笑って箱のケーキに手を伸ばした。
 一すくい取って口に入れた。
 フォークを差し出すのも忘れ、ステラは緊張の面差しで彼がケーキを口にするのを見守る中、アウルは指のクリームをなめとると、感心したようにうなずいて笑った。


「うまい」
「ほんと……?」
「僕が嘘つくっての?」


 いつもならいっぱいつく、と言いかけた言葉をステラ飲み込んだ。そして笑った。

 ほめられたのがうれしかった。アウルが喜んでくれたのがうれしかった。
 何よりも、いつものアウルだったから。


「僕一人じゃ食べ切れねーな。お前も食う?」
「うんっ」


 いそいそとフォークの準備をすると、あるなら早く出せよなーとアウルのぼやきが聞こえた。ところが。


「一本だけ?」
「うん……」


 しょんぼりとステラがうなずく。
 用意してきたフォークは一本だけだった。アウルのため、とばかり考えていて複数用意するまで頭が回らなかったのだ。


「ステラ、いい……アウルの、ケーキ……だもん」
「バーカ。フォークが一本でも二人で食えるよ」


 クスクス笑いながらアウルが一口、ケーキをほおばる。もう一回フォークをケーキへと伸ばすと、今度はそれをステラに差し出してきた。


「アウル?」


 それを怪訝な顔で見やると、アウルは口端をもたげて言った。


「交互に食えばちょうど半分こ、できるだろ」
「そう、だね……」


 とても恥ずかしかったけれど、ステラは素直に口をあけた。差し出されたケーキをほおばると、アウルはフォークを戻し、今度は自分が食べる。
 アウルに食べさせてもらいながら、ステラは幸福感がゆっくりと胸に染み入ってくるのを感じていた。
 心なしか、彼女を見つめるアウルのまなざしも熱っぽく、やさしい。

 もっと大きいのにすれば、よかった、かな……。

 次第になくなってゆくケーキに名残惜しさを覚えながら、ステラはまた一口、また一口とケーキを口にするのだった。










題名はわたしの愛しい人。クリスマスには間に合いませんでしたが、年末年始に間に合ったということで。スティング編に続き、アウステ編。つながっておりますのであわせてごらんいただけたらうれしいです。このあと、スティングは彼らにまとわりつかれる日々が戻ってきます。でもそれが当サイトのママオクレの幸せでもあるんです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。