「おにーちゃん、テレビにカガリ様が出ているよー」 「え、ちょっと待って!!」 下の階から投げかけられたマユの声に俺は慌てて机から離れると階段をかけ下りていった。 そんな俺を見てマユと両親がおかしそうに笑っていて。 俺はそ知らぬ顔で彼らの前を横切ると、テレビの前に陣取り、画面に見入った。 画面越しに手を振っている、オーブのお姫様。 カガリ・ユラ・アスハ。 茶色の混じった金の髪、琥珀の瞳。 健康的な小麦色の肌。 おしとやか、というイメージではなかったけれど、どこか気品が漂う出で立ち。 彼女の姿を見るだけに頬が燃えるように熱くなったのを今でも覚えている。 彼女は俺の憧れだった。 俺はこんなにも彼女が見えるのに彼女は俺の存在さえ知らない。 手の届かない、雲の上の存在。 いつかオーブ軍に入って彼女の姿を間近に見れたらってどんなにいいか、もしかしたら声をかけてくれるかもしれないと、俺は夢を見ていた。 まだ戦争の悲劇を知らなかったあの頃、俺はブラウン管の中の、メディアの中の彼女に恋をしていたんだ――。 それから何年たったのだろう。 連合によって故郷を焼かれ、マユと両親を失った俺は喪失感と絶望、そして憎しみのまま国を捨て、プラントにわたり、ザフト軍へと入隊した。 二度とあの想いをしないための力を得るために。 心の奥底に沈めた想いはやがて風化し、俺は忘れてしまうものだと思っていた。 思っていたのに――。 「俺の家族はアスハに殺されたんだ!!」 俺は思いもよらぬところで彼女に、失われた命に責任を追うべき人間に出会った。 カガリ・ユラ・アスハ。 偶然か必然か。 彼女は護衛のアスラン・ザラと共にミネルバに乗りあわせていた。 そんな彼女は世界の実情も知らずに、綺麗ごとばかり並べ立てていて。 彼女が言葉を発する毎にずっと心の奥にしまいこんでいた想いが憎しみに侵食されていった。 綺麗なお姫様。 幸せなお姫様。 何も知らない、無知で無責任なお姫様……! 「あんた達だってあのとき、自分達のあの言葉で、誰が死ぬ事になるかちゃんと考えた事あったのかよっ?!」 あれだけ聞きたかった声は耳障りな、吐き気さえ覚える響きだった。 あれだけ俺を見て欲しいと願っていた琥珀の目は憎しみの対象でしかなかった。 彼女は俺の言葉に対して何一つ答えを出ださずに俺の前から姿を消した。 あのあと、再びオーブに裏切られ、戦うことになった俺の憎しみは決定的なものとなった。 「あんた、俺たちを売ったのかよ……?」 一度は大義名分のために家族を奪い、今度は家族を犠牲にしても守り抜いたはずの理念を捨て自分に刃を向けた、かつてのふるさと。 否定して欲しかった、違うと。 オーブは違うと。 でも彼女からの回答は無く、この仕打ち。 裏切られたと思った。 ――信じて、いたのに――。 あんなにも焦がれた存在は恋慕の上に憎悪を植えつけてくれた。 力が全てを決める。 力がなければ侵略を拒む事など出来ない。 他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない――。 その信念を貫くためにオーブは国民を俺たちを犠牲にした。 そして今度は生き残るために、とオーブはその理念さえも捨てた。 守るためには生きるためには力が必要だと、思い知らせてくれたのはほかならぬ、オーブだったんだ――。 そしてその憎しみの衝動のまま、俺は生き残るために力を振るった。 守るために刃向かうものを……敵を倒していった。 だけど。 憎しみは更なる憎しみを。 悲しみは更なる悲しみを生む事を俺はこの戦争で知った。 確かに守るのには力も必要だ。 でも力に溺れてしまったら、守るべきものを、方向を見失ってしまう。 哀しい強化人間、ステラを通して俺はそれを知った。 力がなくて守れなかったマユ。 力を得ても守れなかったステラ。 俺はマユを守れなかった自分を許せず、マユを殺した国を恨んだ。 ステラを守りきれば自分が許せると思った。この苦しい呪縛から解き放たれるのではないかって思っていた。 でもできなくて。 今度はステラの命を奪ったフリーダムを憎む事で自分を保とうとして。 その後は自分の道を見失って言われるがまま戦った。 ――意思のない人形のように。 まるで狂戦士だった。 力を追い求め、狂ったマリオネット――。 そんな俺を命がけで止めてくれたルナ、そしてアスラン。 一緒に戦おう、そして守ろうと手を差し伸べてくれたフリーダムのパイロット、キラ・ヤマト。 俺は今新しい道を見つけ、少しずつだけど、歩き始めている。 今の俺は彼女に――カガリ・ユラ・アスハにどんな顔を向けるのだろうか。 向けられるんだろうか。 そして、彼女は。 「オーブはこれからだ。建て直しも必要だし、問題もたくさん残っている」 穏やかな表情でラクス・クラインにそう告げる彼女を俺は遠巻きで見つめていた。 俺の隣でアスランが複雑な顔で彼女を見つめていた。 喜びでも安堵でもない。うかない、顔が一番近いのだろうけど、そんな顔でもない。 いろんな感情がいりまじった、難しい顔。 特別な間柄だって言う事はルナから聞いていたし、俺自身もうすうすと感じていた。 今思えば俺のアスランに対する対抗意識もそんなところから来たのかもしれない。 アスランは彼女の元を離れ、議長となったラクス・クライン、そしてその護衛、キラ・ヤマトと共にプラントへと戻ることになっていた。 俺は二つの選択肢を与えられていた。 一つはザフトに残留する事。 そしてもう一つは――。 「久しぶりだな。元気そうで……その……何よりだ」 こほん、と一つ咳払いをしてカガリ・ユラ・アスハは俺に席を勧めた。 今、俺は彼女に呼ばれて執務室にいた。そこにはアスランも、影のように付き添っていた男の姿もなく、俺と彼女のほか誰もいなかった。 俺と向かい合って座っている彼女は言葉を選んでいるようで今ひとつ歯切れが悪い。 前に言い争った事がまだ影を落としているのか。 オーブを止められなかったことが引っかかっているのだろうか。 そうではないだろう。 このお姫様に何が分るってんだ。 だが、すぐに思い直してやめた。 彼女はオーブに戻り、命の危険にさらされてもなお、自分の理念を貫いたのだ。 オーブの無事を知り、何故あのとき涙が出たのだろうと俺はふと疑問に感じた。 何故、ああまで感情が急ききって溢れてきたのだろう。 神妙な顔で向かいに座る彼女を見て俺はぼんやりとそんな事を考えていた。 彼女は化粧っけはほとんどないけれど、うっすらと引かれたルージュが目にはいった。 茶色の執務室が体にフィットしていて初めて間近で対面した時よりも落ち着いた雰囲気だった。 そういえば大人っぽくなったな。 あれから彼女に何が、あったんだろう。 フリーダムにさらわれてからの彼女は何を見てきたのだろう。 戦場の中で必死に停戦を訴えていた彼女。 あのときの俺はまたきれいごとか、と頭に血が上ったけれど、ラクス・クラインが言っていたように戦争は混迷をきわめて行って。 俺があのままだったらどうなっていたか。 戦うだけの狂戦士のままだったら、マユもステラも……父さんも母さんもきっと哀しんでいたのかもしれない。 「シン」 「はっ、はい、なんでありますかっ」 考えごとしている所を急に声をかけられ、慌てた俺の声は裏返ってしまっていて、自分でも滑稽に思えるくらいだった。 「何考えていたんだ?」 それがおかしかったのか、緊張した面持ちだったカガリの顔が緩み、クスクスと笑った。 口元に手を当てて笑う、女性らしい仕草。 あのときはそんな素振りなど微塵も無かったのに。そう思うと、胸が……跳ねた。 「そうかしこまらなくてもいい。前はそんな素振りなどなかったぞ」 「はあ……、その件に関しては謝ります」 なんか妙に恐縮してしまって俺は肩をすくめた。 まぁ確かにあの態度はとがめられても不思議はなかったと自分でも思う。 あの状況で無かったら処分を食らったとしても不思議は無かった。 でも不思議といえば不思議だな。 今は冷静に彼女の顔を見れている。 胸の奥にある苦い感情は消えていないけれど、彼女をまっすぐに見れている。 あんなにも焦がれていた琥珀の目を、見つめている。 「お前……このあとどうするつもりだ」 「どうするって……」 「アスランやキラから聞いていると思う。ザフトに残るか、其れとも」 一つ息を吐き、カガリは俺を見つめた。 緊張と不安の混じった輝き。 彼女は俺に何かを望んでいるんだろう。 「其れともこのオーブにくるか、だ」 ああ、やっぱりそうか。 カガリに呼ばれた際のアスランの顔を思い出した。 俺に行くな、行ってやってくれという、相反する感情の混じった、表情。 「どうしてそんな事を代表自らが聞かれるのですか」 いっぱしの兵士でしかない俺の事を、と問い返すと、カガリは唇を引き締め、うつむいた。 常に彼女の傍らにいたはずの青年の姿はもう、ない。 自分達の道は互いの傍ではないんだと、プラント行きを決めたアスランは言っていた。 もし彼女がお前を望んだら、傍についてやってくれまいか。 同時に相反する願いも彼は抱えていた。 本来ならば自分が彼女の傍にいてやりたい。だけどそれは今は、出来ない。だからこそ、お前に託したい。 でもやっぱり俺が傍にいたいんだ。 最後の言葉は聞く事はなかったけれど、迷いに迷った感情が混じった翡翠色の瞳はそれを語っていた。 だがそんなアスランの願いは俺にとってわずらわしいもの以外、なんでもいなかった。 何故ならば――。 「私の傍でこのオーブの行く先を見て行ってくれまいか」 琥珀色の双眸は俺をまっすぐに見据えて言った。 大体予想としていたとはいえ、俺は笑い出したくなった。 「かつての敵であった俺にあんたを守れと――?」 何を考えているんだろう。 彼女に対する憎しみは消えているものだと、思っているのだろうか。 確かに平和を願う気持ちは一緒なのかもしれない。 だが彼女の傍らでそれが成し遂げられるものだろうか? 国民さえ守れず、一度は流されてしまった彼女に。 「私は償いきれるとは思っていない。でも、だからこそ……私の傍らで見届けてもらいたい、私のやることを。そして私が間違いを起こそうとしたとき、私を討てるのはお前しかいない……そう、思う」 「あんた……」 彼女は俺の憎しみを知っていてそう言うのか。 憎む相手に命を狙われ続ける道を敢えて選ぶと。 俺は瞬きをすると彼女を見据えた。 彼女には自分はどう映っているのだろうか。 それは彼女だけが知りうることだろうけれど、一つの願いをこめて口を開いた。 「……いいだろう。あんたの傍にいて、あんたを守ってやる。アンタの言葉が、ただの綺麗事じゃないって言うなら、あんたのやろうとしている事、見届けてやる」 カガリの琥珀の瞳が揺れた。 彼女は何を思う? そう思いながらも俺は続けた。 「あんたが迷い、逃げようとしたら、連れ戻してやる。やり遂げるまで見張っていてやるよ。だけど、あんたが間違いを犯そうとする時は――」 最後まで言わずに言葉を切った。 これは誓いであり、決意。 そして――平和への自分の願い。 「……ありがとう」 今にも泣き出してしまいそうな笑顔でカガリは微笑んだ。 『シン、また……明日』 ステラが夢の中で言ってくれたように俺には明日がある。 生きているんだ。 未来を造れる。 前へと進める。 やってみよう、進んでみよう。 新しい道へと。 願いは同じ。 そして俺の想いも――。 俺はその日のうちに除隊手続きをすると、少ない荷物をまとめた。 同じ部屋だったレイはもういない。 でもあいつなら自分の信念ならば貫け、と静かに笑って見送ってくれたと思う。 ……きっと。 俺がザフトを出たのはそれから数日のち。 迎えの車を待たせて、俺は長年世話になったザフト基地の門の前で見送りに来てくれた面々を振り返った。 急だった事もあって、見送りはわずかだったけれど、俺はその方がよかった。 死ぬわけではないのに、ヴィーノは泣きっぱなしで、アーサー副艦長も泣きそうな顔をしていた。 ヨウランはあのお姫さんのところでがんばれよ、と声をかけてくれて。 そして……ルナは。 「ルナ、ごめん」 「バカ。あんたはあんたの良いと思った道、行きなさいよ……しっかりね」 泣き笑いの笑顔で自分を見送ってくれたルナマリア。 よりかかるばかりで何もしてあげられなかった俺の背中を彼女は押してくれた。 「傍にいてやる」 俺はカガリにそう言った。 その言葉に憎しみがあった。 でもそれ以上に強い感情も確かにあって。 「俺が……あんたを、守るから」 守る。 その言葉を胸に俺は車に乗り込むとカガリの待つオーブ官邸へと向かった。 『もうお兄ちゃんったらカガリ様にお熱なんだからー、妬けちゃうな。オーブ軍に入って手柄立てたらお話出来るんじゃない?』 『はは、そうだな。頑張ってみるか、シン?』 『嫌だわ、あなた。私はシンに軍人になってもらいたくないの』 通り過ぎて行った家族の笑顔。 暁に焦がれ続けていた俺。 形は異なれど、彼女の傍を選んだ俺はもう一度、自分から歩き出す。 新しい、未来へと。 あとがき サイト初のシンカガ小説。別館でリクして頂いたものです。 シン→カガリのお話になってしまったような気がしますが、シンの想いをこめました。 ここまで読んでくださった方も有難うございました! |