夏の朝は太陽が昇るのが早い。






 容赦なく照り付けてくる太陽と海上で発生している低気圧のせいで反則的に高くなっている温度と湿度の高さに鳥たちが元気を無くしている間、蝉だけは元気に朝から騒々しく鳴いていた。


「蝉がうるさいのはともかく、朝からなんでこうも暑いんだよ」


 目覚ましが鳴るのを待つまでも無く、シン・アスカはかけていたタオルケットを撥ね退けると勢いよく起き上がった。

 あまりの蒸し暑さに窓を開けっ放しにして寝たにもかかわらずこの暑さ。

 着ていたパジャマは汗を吸い込み、じっとりと肌にまとわりついていて気持ちが悪い。

 シンはバスルームに駆け込むとシャワーを浴び、手早く制服に着替えた。

 白さがまぶしい、半袖の夏制服の下に紺のインナー。

 この暑さでインナーがうっとおくて仕方なかったけれど、ロック部の古株、某M先輩の真似などしたくないので我慢する。

 前日用意した時間割の教科書が入った鞄を引っつかむと、シンは隣の家へと向かった。


 食事は隣のロアノーク家と取るのが彼の日課。


 大好きな少女の笑顔と敬愛する兄貴分の手料理を楽しみに今日も彼は向かう。

 余計なおまけが二つほどいるけれど、世の中にはいい事もあれば悪い事もあると彼は割り切るようにしていた。



「おはようございまーす」

「おはようさん。早いな。ステラもまだ起きてきていないぞ」

「え?」


キッチンダイニングで出迎えたスティングの言葉にシンは首をかしげた。彼としてはいつもの時間に来ていたはずで、彼の腕時計も壁にかかってある時計もいつもの時間を指し示していた。


「いつもの時間じゃないですか」

「おや、そうだな。ステラはおねぼうか。珍しい事もあるもんだな」


 ステラの行動を時間の目安にしていたスティングはここでようやく今の時間に気づいたようだった。

 のんきだなぁとシンは苦笑した。


「ステラとアウル、あとネオも起こさないとな。やれやれ、俺とした事が」


 のんびりオムレツ作っている場合じゃなかったな、と手にしたボールをおき、彼らをおこそうと二階へとあがろうとするスティングの進路にシンはすかさず自分を割り込ませて、彼を押しとどめた。



「俺が皆をおこしに行きます」


 嬉々とした笑顔を浮かべ、ドンと、胸を叩いてみせる。スティングはやたら張り切るシンを訝しげに見やっていたが、ちょうど手が離せない事もあって素直に任せてくれた。




「おっしゃーーーー!」




 スティングの許可を得て、シンは鼻息荒げに階段を駆け上がった。

 だがそのスピードに反して足音は最小限に……余計なものを起こしたくなかったから。

 邪魔者アウルと空気の読めない能天気仮面はいまだ夢の中。

 ステラと二人きりになれるまたとないチャンスなのだ、これを逃す手はなかった。



「待っててくれよ、ステラ!」




 ――ところが。




 がちゃり。



 シンが二階にたどり着くと同時に一番隅の部屋の扉が勢いよく開き、その中から怒髪天の様に頭を爆発させたアウルが出てきて。

 起きたての不機嫌度200パーセントの面差しで飛び込んできたシンをじろりと睨みつけた。


 なんでどうしてありえないはんそくっ!!


 何時もなら起こしに行っても起きないはずのアウルが何故この日に限って自分で起きてくるのか。


 シンは驚くと同時にどうしようもなく腹が立った。



「なんで自分で起きて来るんだよ!!」


 きちんと起きるべき時間に起きたのだから大いに理不尽な台詞だが、シンの心境はまさにそれだった。

 せっかくのチャンスだというのに何も今日に限って普通に起きてくる事のほうが彼にとって非常に理不尽に思えたのだ。

 アウルは答えずにまだ開ききっていない目をシンから外すと、青い眼球をステラの部屋の方へと向け、ぼそりとつぶやいた。


「なんか、起きなきゃいけないような気がした。ステラは?」



 この野郎、ステラの事となると神がかかりやがる!!



 シンは心の中でそう絶叫したが、表情だけは必死に平静を取り繕い、笑ってみせた。



「起きるにはまだ早い時間だと思うよ。ここはもう少し一眠り……」

「ステラは?」



 シンの言葉などに耳を貸す暇などないとでもいいたげにアウルは先ほどの質問だけを繰り返す。

 ピキっと音を立ててシンの額に青筋が立った。

 このワガママ傍若無人アオカビ、人の話を聞け!と怒鳴りつけてやりたい気持ちを必死に押さえつけ、にこやかに笑う。

 否、笑おうとした、という表現が正しいだろう。

 シンのこめかみは痙攣し、目は既に理不尽な怒りに満ちていたのだから成功したとはお世辞にもいえなかった。

 けれどそんなシンなど眼中にないようにアウルはおもむろにステラの部屋のドアノブに手をかけた。


「ステラー」

「勝手に入るなよ!」


 大またで中へと入っていったアウルの後を追うようにして、シンも部屋へとなだれ込でいった。


「ステラー?……やっぱまだ寝てた」


 じろり。

 
 髪をはねらせたままアウルはシンをにらむと大またで彼女の枕元へと向かう。シンも負けずにあとに続く。


「「ステラ」」


 重なり合った声にステラが緩やかに目をあけた。
 
 ――様子がおかしかった。

 彼女の目のふちは紅く、大きなすみれ色は潤んでいる。汗もびっしょりかいていて、パジャマが張り付いていた。呼吸も浅く、荒い。


「ステラ?」


 心配になって声をかけるシンを押しのけてアウルがステラのおでこに触れた。

 とたん険しい顔になり、そのまま部屋を飛び出した。

 シンはあっけに取られて見送ったが、アウルはすぐにドタドタと戻ってきて顔を出した。


「僕がスティング呼びに行っている間へんな真似したら楽に死ねると思うなよ!!」

「な……っ!」


 あまりにも失礼な言葉にシンが返事を返す前にアウルはあっという間に部屋から姿を消した。






















シンとアウルの
看病奮闘記


























 ドタドタと廊下を走る音がしたかと思うと、今度は「ふぎゃっ!!」と猫を踏んだような声がして、続けざまにゴロゴロと転がる音。

 そして最後にズシーンという音ともに家が揺れたあと、下の階からアウルの悲鳴とスティングの怒鳴り声が聞こえてきた。

 てんやわんやの騒ぎだと言うのにこの家の家長は一向に起きてくる気配がない。

 大物なのだろうか、バカなのだろうか。




「ステラ!!」

 間もなく階段を駆け上がる音共にスティングが血相を変えて部屋に飛び込んできた。

 いつもの緑色のエプロン姿に片手にはお玉、だが彼の金色の目はらんらんと輝いていてシンはその形相のあまりの恐ろしさに危うく腰を抜かしそうになった。


「熱、あるみたいなんだよ」


 後ろで氷枕を抱えたアウルが言う。

 さっき階段から落ちた名残か、彼のおでこは青くなっており、大きなたんこぶが出来ていた。


「ついでに僕の頭も痛いんだけど」

「そんなもん、唾つけておけば治る!!」


 ひでぇっと声を上げる弟を無視し、彼から氷枕を奪い取ると、スティングは早速ステラに宛てた。


「熱は測らないの?」


 シンがそう問うと、スティングは懐から体温計を取り出してスイッチを押した。ぴっと音がして液晶に数字が現れる。

 体温を測る前に氷枕を当てるという手順は違う気がしてシンは口を挟んだ。



「順番が違うような気がするんですけど」

「熱を測っている間、ステラに苦しめというのか、てめぇはっ?!」



 だが怒涛の勢いで噛み付いてくるスティングにこれは口出ししない方がいいと賢明な判断を下し、シンは大人しく口をつぐんだ。

 妹弟の事となると修羅と化すスティング。

 まさに触らぬ神に祟りなし、であった。










「38度5分。9度まで行かなかったのはまずよかった。入院の必要はないな」


 体温計の指し示した数値に少し安心したスティングはタオルでステラの額をぬぐってやると、汗ばんでいる彼女に気づき、彼女に着替えをさせるべく、箪笥から新しいパジャマを取り出した。

 ふと刺すような二対の視線に気づいて顔を上げる。

 何を考えているのか、彼を凝視する蒼と紅の目とかち合った。


「ステラを着替えさせるんですか、スティングさんが」


 シンの口調に険が含まれ。


「お前が着替えさせんの?」


 そしてアウルの口調にも、また。



「そうだ。それがどーした」


 ステラを一刻も早く快適にしてやりたいスティングはそんな彼らの様子など意に介する余裕などなく、着替えさせるから出て行け、とあっさりと彼らを部屋から追い出してしまった。


「さっさとメシ食って学校行け。遅刻するぞ」


 重く閉まるドアを前にアウルとシンの中に殺意が芽生えた事を彼はついに気づく事がなかった。






「大丈夫か?」

「うん……少……し……楽、なった……」

「そうか」


 体の汗をふいてやり、着替えさせてやると、ステラはほっとした笑顔を見せた。

 熱のせいで弱りきって弱々しい笑顔だったが、やっと見せてくれた笑顔にスティングの顔もほころんだ。

 冷たいジュースを持ってきてやるから、と優しく声をかけ、彼は部屋を出た。



とたん。



「オラァっ!!」
「おわぁっ?!」


 スティングは背後から強烈な蹴りをお見舞いされ、いつのまにか廊下に広げられた布団の上に倒れこんだ。


「よいしょっ」


 そして、瞬く間にそのままグルグルと布団に巻かれて、身動きが取れなくなってしまった。

 転がされたせいか視界がくるくると回る。

 その視界に邪悪な笑顔で彼を見下ろすアウルとシンが映った。


「な、何の真似だ!!」


 眉を逆立てるスティングにアウルは邪悪な気配をさらに濃くして笑った。


「いやぁ、何。俺らの幸せのためにスティングには今日一日休んでもらおうと思ってさ」

「スティングさん、あなたの尊い犠牲、俺は決して忘れませんっ」


 くっ、と涙をぬぐい、シンもまたうなずく。




「えいほ、えいほっ」

「こ、コラーーーー!!」




 スティングが反論する間もなく、布団に巻かれたまま二人に担がれてゆき、庭の隅にある物置に放り込まれてしまった。

 ほこりにまみれ、かび臭い匂いが鼻につく。

 こらまてと騒ぐスティングを無視し、彼らは物置を閉めるとと意気揚々と家に戻っていった。




 ……今をさかのぼる事十数分前。



 重く閉ざされた扉を前にシンとアウルは憤りを感じていた。


「スティングさん、ステラは一人の女の子だって分かっているだろうに……!うらやましい……じゃなかった、ずるい……じゃない、変態だ!!そんなヤツにステラの看病なんてさせられない!!ここは俺が……」

「僕でさえもう何年も一緒に風呂も入ってないのに独り占めかよ。俺らを学校にやってステラの看病させないつもりか」


 同じような事をつぶやきあっていた事に気づいた二人はお互いの顔を居合わせた。

 視線が交錯する。

 やがて二人はお互いうなずきあうとがっしりと肩を組み合った。


「シン、今だけ親友な!!」

「おう!!」


 スティング排除のちステラ看病ミッション。

 スティングがステラの着替えを手伝うことが許せない、と意気投合した二人は自分達を学校に追いやり、ステラに看病をさせまいとするスティングを排除しようと手を組んで実行に移したのであった。

 アウル命名によるこのミッションは当然のごとく、ネーミーングセンスわるっ、というか名前にさえなっていない、とシンの突っ込みが入ったのだが、それはまた別の話である。






 さて、邪魔者スティングを排除し、鼻息あらげに戻ってきたシンとアウル。

 閉めたはずのステラのドアが開けっ放しになっているのに気づき、そっと中を覗いた。



「ネオ〜〜〜」

「おう、よしよし。今日一日休み取ったから看病してやるからな」


 ステラをあやすネオの姿にアウルとシンの顔がこわばった。

 彼の排除も即座に決定した事は想像に難しくないだろう――。








「もう一名様ごあんな〜〜〜いっ!」




 スティングと同じように布団に巻かれ、げしっ、という蹴りの音共に物置にほうりこまれたネオは先客のスティングと対面した。


「や、奇遇だね」

「あんたはなんでそんなに呑気なんだ……?」

「まぁ一日骨休みの日だと考えればいいんじゃない?何時も君は苦労してるから。ご苦労さん」

「……」
 

 疲れきった表情の長男にネオは呑気にねぎらいの言葉をかけると、一日臨時休務を決め込んだ。

 しかし、物置の地獄のような暑さに悲鳴を上げ始めるのはものの数分後であった――。








 二人目の邪魔者をも排除し、ステラの看病と相成ったアウルとシン。

 お互い邪魔に思いはしたものの、ケンカばかりしていてはステラの看病どころではなくなる。


 各々は不可侵、という協定を結び、それぞれステラの看病を始めた。


「ステラ、氷枕取り替えてあげるよ」

「ジュース飲むか。お前確かりんご好きだったよな」

「うん……ありがと……う」


 かいがいしく面倒を見てくれるアウルとシンにステラは感謝の意を示して精一杯笑った。

 熱にうかされて笑うのも一苦労だったけれど、一生懸命な二人の気持ちが嬉しかったから。


「病気の時は7分粥がいいみたいなんだ」

「ふーん」


 アウルがといだ米の入ったざるを取り上げるとシンは鍋に米と分量の水を入れて弱火にかけた。


「水の量が多いからかき回してはダメ。糊みたいになるからって昔、母さんが言っていた」


 説明しながら、シンは思い出に、その懐かしさに胸がいっぱいになって、不覚にも視界がかすかにゆがんだ。

 アウルにバカにされては、と慌てて鍋の湯気に当てられた、とごまかしたけれど、アウルは気づいているのかいないのか、何も言わずに黙って鍋を見つめて続けていた。



 それからどれくらい時間がたったのか。

 鍋は相変わらずコトコト……と音をたてている。

 いつまで立っても出来る様子のないかゆにアウルはしびれをきらしはじめた。


「いい加減おせーよ。ステラが餓死しちまう」


 シンが私用で台所を離れた隙に、アウルは手を伸ばすとコンロを強火に変えた。
 
 もうほとんど出来上がっていたかゆがあっという間に焦げてしまい、ぶすぶすと煙を吐き出し初めて。

 その焦げ臭い匂いにシンが慌てて台所に飛び込んできた。


「なにすんだよ、このばかーーーーーーっ!!」


 シンが鍋を救出した頃は残っていたのはすっかり焦げ付いたおかゆの残骸だけ。

 同時にスティングのコレクションの一つであったなべもまた、無残にも煙を上げていて、ぴかぴかに磨かれたステンレスの銀色がおぞましいコゲ茶色へと変色してしまっていた。

 これをスティングが見たら雷が落ちる事は必須である。蒼くなったシンはアウルに食って掛かった。



「どうすんだよ、これーーー!」

「う、うるせーなっ。こうなった証拠隠滅すりゃあいいだろ」


 アウルはこげた鍋を引っつかむと、墨と化したかゆごと無造作にゴミ箱へと放り込んだ。

 ……当たり前だが。あとであっさりと発見されて二人は大目玉を食らうことになる。






 結局ステラのおかゆはレトルトでごまかす羽目になったけれど。



「ステラ、あーんして」

「あ……ん」

「次は僕だからなっ」



 ステラがおいしいと喜んでくれたから、それでいいか、と二人は笑いあった。








「クーラーよか交代であおいでやった方がよくね?」

「だなー。30分交代にする?」

「汗拭くのもこまめにやろうぜ……脱がすなよ」

「分かってるよ!」



 ステラの汗を拭いてあげている時、パジャマから覗く胸元やうなじにドキドキしたり。

 ジュースを飲ませるために起こしてあげるときにステラの体温をごく間近に触れることができたり。



「大丈夫?」

「うん。シン……アウル……ありがと……」

「当たり前だっての」


 ステラが甘えてくれる看病って役得だなぁとシンはつくづく思った。







 解熱剤が聞いてきたのか、夕方にはステラの熱は下がり、彼女の顔色もよくなっていた。

 シンとアウルは一息ついたが、それでも油断はならない。

 外気も涼しくなってきた事から窓を大きく開けて風を入れると彼らはベランダへと出た。

 ひやりとした風が彼らの頬をなでては去って行く。

 シンが部屋の中へと視線を移すとステラが穏やかな寝息を立ているのが見えた。

 アウルの方へと目をやると彼も彼女の方を見ていて、ふと視線が合った。

 アウルのマリンブルーが柔らかく細められる。


「今日は休戦な」

「だな」


 そしてシンも、また。




 穏やかに時間が過ぎようとしていた。





 ――ところが。





 ピンポンぴんぽーん!!


 派手な呼び鈴のあと、ルナマリアの声が近所にひびきわたった。


「ステラー!お見舞いに来たわよーーーっ」


 続いて彼女の仲間達の声も、また。


 「アウルせんぱーい、ステラさんにお見舞いもってきましたーーー!」

「おーい、シン、アウル、プリントもってきたよーっ」

「いるんだろー開けろって!!」

「あまり大きな声は近所迷惑だと思うのは俺だけか……?」



 騒々しい面々の来訪にシンは頭をかかえ、アウルは引きつった顔でベランダから仲間を見下ろしていた。













「アウル、シン、俺達の事忘れているんじゃねーか」

「おなか空いたースティング、ご飯は?」

「今、この状態でどうしろと?」



 そのころスティングとネオは物置の中で布団にグルグル巻きにされたまま、ひたすら救出を待っていた。


































あとがき

  アウルとシンがステラの看病をする風邪ネタ。

 賑やかに少しだけしんみりと。

 仲良いドタバタを目指しました。

 ここまで読んでくださって有難うございました!