肌を焼く太陽の熱線が和らぎ、乾いた風が穏やかに吹き始めたオーブ。 その中心街に位置するプラント大使館は白い石造りでアメリカのホワイトハウスを彷彿させる。正面玄関の上にはプラントの旗が風にはためいていた。 2四半期―― 一年の半分が過ぎ、残り3、4四半期の活動内容の調整会議のため、プラント最強評議会の議員たちがこの地に訪れていた。 新米議員、イザーク・ジュールの朝はモーニングコーヒーから始まる。 メイドの淹れた濃い目のコーヒーを片手に新聞に目を通すのが日課だ。彼はいくつもの新聞を取っていて、それらは政治や経済新聞など実に多岐に渡る。政治家たるもの世界情勢に疎くてはならないからだ。そのあとしっかりと朝食を取ったあと、朝のシャワーを浴びて身支度を整える。 45度きっちりに眉の上で切りそろえられた前髪。襟足も申し分ないくらい揃っている。 靴は顔が映りこむほど磨かれ、糊の聞いたスーツには皺一つ無い。 「よう、イザーク!迎えに来たぜ」 「おはようございます」 そして決められた時間ぴったりにディアッカとシホが彼を迎えにくるのだ。 シホはディアッカに挨拶を先にされてしまったのが気にくわないのか、秀麗な眉をひそめてきつい視線を彼へと向ける。それともイザークが政治家となっても同期のころと変わらない接し方を不躾だと思っているのか。 どちらにせよ、シホはディアッカに対して友好的ではない。 ディアッカはディアッカで毎度のことですっかり慣れてしまったのか、そんな彼女に笑みを返すだけだ。 そんな二人のやり取りはコンマ数秒の間で行われる。無駄な時間を使いすぎてイザークの時間を費やしてはならないからだ。 「今日の会議は何時からだ」 「はい。午前10時、オーブ官邸、南の会議室にて行われる予定です。出席者はオーブ代表カガリ・ユラ・アスハ。代表補佐アスラン・ザラ、ユウナ・ロマ・セイラン……」 アスラン・ザラの名前にイザークの片眉がわずかに上がる。その変化はごくわずかでまず気づかれないだろうが――現にスケジュールを読み上げているシホは気づいていない――ディアッカだけは別格だ。イザークの見せた変化に相変わらずだな、と苦笑するのだった。 拠り所、 在りますか? 番外編 オーブの町並みが流れて行く。昨夜の雨で道という道に水溜りが出来ていて、枝という枝から滴っている水滴が太陽を映して光っている。 この国にも秋が訪れ始めていて、町並みが明るい色を帯びてきていた。朝の早い八百屋には秋の野菜や果物が置かれ、まだ開店していない店の窓には秋ものセールの告知があった。その光景を見つめながらイザークは腕時計へと目をやる。いつもよりずっと遅く出たはずだったのに、8時半をやっとすぎたばかりだった。 「午前10時とはずいぶんとゆっくりだな」 「昨日着いたばかりだったから気を使ったんじゃないの」 「俺は無駄な時間は嫌いだ!!」 車中で文句をがなりたてるイザークにディアッカはハンドルを回しながら肩をすくめる。彼としては時間までゆっくりしたいと考えていたのだが、イザークが其れを許さない。 人間そんなにせっかちで好いのかとディアッカはつくづく思う。 そんな人間に10年は付き合っているのだからよく続くものだと我ながら感心してしまう。 「……ん?」 後ろでもれ出たイザークの声に彼の見ている方向へと視線を走らせると、一組のカップルが仲良く腕を組んで歩いているのが見えた。 遠くからでも分る鮮やかな水色と金髪。 アウルとステラだった。 「そういやぁ今日は定休日か。朝早くから仲の良いこった」 なかむつまじく話をしながら歩く二人はディアッカたちに気づいていない。兄貴分のスティングはいなかった。気を使って別行動なのだろう。 「ディアッカ、近くに付けろ」 じっとなにやら考えていた彼の真意を悟ったディアッカは仰天してしまい、思わず聞き返してしまっていた。 「え?まじ?」 「つべこべ言わずにやれ!」 予想通り返って来た怒鳴り声にディアッカは大きくため息をつくとハンドルを切る。 「俺のせいじゃないからな。許してくれよ、お二人さん」 シホは状況をつかめずにきょとんとした顔をしていた。 そう。 少ない言葉でイザークの真意を汲み取れるのはディアッカだけなのだ――。 「ん?」 「アウル……?」 突如現れた黒塗りの車にアウルは眉をひそめて立ち止まった。つられてステラも立ち止まり、彼の見ているほうへと目を向けた。 黒塗りの車がスピードを上げてこちらへと向かってきていいる。 ……雨上がりの道をあんなスピードで横切られてしまったら。 アウルはそのことに気づくと慌てて道路側のステラを引き寄せようとつないでいた手を引いた。 だが、時は既に遅く。 跳ね上げられた水がステラの淡いレモン色のワンピースを茶色に染め上げていた。この日のために、とステラが新調したばかりだったワンピースを。ステラの肌にも跳ね上げられた水が滴り落ちている。 自分の無残な姿を悟ったステラの大きなすみれ色にもみるみる水が溢れ、零れ落ちていった。 大事な少女を泣かされたアウルは当然、烈火のごとく怒り、地を蹴ると、ゆっくりとはいえ、まだ動いている車のボンネットの上に飛び上がった。 「降りて来い、コラぁ!!」 だんだんと遠慮なく、思いっきり踏み鳴らす。それにあわせて靴跡は増えてゆき、ぴかぴかに磨かれたボンネットが見る間に無残にへこんで行った。 「こら馬鹿、やめろ!!」 狼狽を含んでいたとはいえ、聞きなれた声にアウルはいったん足を止め、フロントガラスを覗き込んだ。目に映ったのはあせるディアッカと目と口をOにしたシホ、そして何事も無かったようにふんぞり返っているイザークだった。 「どういうつもりだ、このオカッパ野郎!」 「相変わらずうるさい輩だ。最後の一人はどうした」 車から出てこようとしないイザークにアウルは窓越しに怒鳴り散らすが、イザークはそんな彼の怒りなどあっさりと受け流してしまう。其れが余計アウルの怒りを買った。 「スティングは図書館!当分出てこねぇよ!それよりステラをどうしてくれんだ!水かぶってしまったんじゃねーか!」 「……そうかそれは仕方ない。おい、ディアッカ」 話もロクに聞かずに、さも用は済んだというようにイザークが奥へと引っ込むと、アウルが逃がすまいと窓に頭を突っ込んで怒鳴る。 「聞いてんのか、てめぇ!」 「この二人を後ろに乗せろ。ブティックに向かうぞ」 「へいへい。お二人さん、さぁのったのった」 いつの間にか降りてきてアウルの後ろに回ったディアッカが溜息交じりに彼らをなかへと促す。 アウルとしてはこんな展開を認められるはずが無い。 せっかくのデートをお釈迦にされて、今度は何ゆえ連れて行かなければならないのか。 「ちょっと待て!勝手に……」 「つべこべ言わずに乗れ」 ディアッカはがみがみ文句を言うアウルを強引に車の中へと蹴り入れると、ステラは丁重に車へと乗せる。頭から着地したアウルが怒りのうなり声を上げたが、お構いなしに車を発進させた。 到着したのは町でも有名な高級プディックだった。定期的に行われるバーゲンを除いて一般人はまず立寄らないところだ。 まだ9時を過ぎたばかりで当然開店していなかったが、ディアッカがブザーを鳴らして、インターホンごしに一言二言言うと、支配人らしい女性が慌てて出てきた。 銀の髪を後ろに結い上げ、気品を漂わせた女性だった。めがねの奥のブルーには知性が光っている。 彼女はイザークに会釈をすると、柔らかな物腰で口を開いた。 「ジュール様、申し訳在りません。前もってお電話をいただければこのようなご不便はおかけする事はございませんでしたのに」 「かまわん。こちらも急な話だ。すまないが、この二人の服を見立てて欲しい」 イザークが後ろに佇むアウルとステラをあごで指し示すと、女支配人のブルーが彼らを頭のてっぺんからつま先までさっと流した。それはほんのわずかの時間で、其れも軽くなでつけたかのような観察で、アウルたちがそれに気づかないくらいだった。 女支配人はゆっくりと微笑むと、扉を明けて身をずらし、一同をなかへと招いた。 堂々と入って行くイザークに続いてシホ、そしてステラ、アウル。最後にディアッカと女支配人が続いた。 「なんで僕もなんだよ」 大量のドレスと共に試着室へと消えたステラを待つアウルが深いそうに顔をしかめた。ワンピースを汚されたステラはともかく、なんの被害も無かった自分には必要ないと思ったからだ。 第一、こんな肩の凝りそうな店は苦手だった。 「貴様は俺に恥をかかせる気か。一人に与えておいてもう一人をほったらかすことなどできん。それに!!」 イザークの指先が鋭く空を切り、ぴたりとアウルにすえられた。 「そんな安物で恥ずかしくないのか?!」 「な……っ!!」 アウルの額に青筋がはしった。今身につけていたのはジーンズと秋のシャツはステラと一緒に見立てて買ったものだった。其れをけなされて良い気分のはずが無い。 だがイザークとしても人の好意を素直に受け取れないアウルの態度が気に食わなかった。 険悪な空気の流れに気づいたディアッカが慌てて中にわって入る。 「はいはい、ロープロープ」 ディアッカとしては二人の気持ちが分らないでもなかった。二人とも言葉を選んだらもっと相手にうまく伝わるはずなのに、と二人をけん制しながらその疲れに肩を落とす。けんかが始まる前に女性陣が戻ることを彼は祈るばかりだった。 「アウル〜」 純粋な喜びの混じった弾んだ声と共に。 間もなくステラが新しいワンピース姿で彼の元へと戻ってきた。ボディラインを浮き立たせるデザインに前と同じ柔らかなレモン色べティー・ブープ風のリボンがかわいらしく映える。 材質はなんだろうか。 ずいぶんと軽そうな素材だが透けているわけではない。スカートの生地はどれくらい使っているのかと思うほど、ふんわりとした広がりを見せていた。一回転させると、華のように大きく広がる。 「似合ってる……、うん」 それ以上の言葉が見つからずにいるアウルの腕にステラが嬉しそうにまとわりつくと、彼を店の奥へと引っ張った。 「おい……」 「お店の人が、今度はアウルだって」 アウルは困惑してイザークたちを省みたが、ディアッカはヒラヒラと手を振って笑い返すだけ。イザークは腕を組んで厳しい表情のままだ。 「早くいらっしゃい」 奥からでてきた女支配人とシホが嬉しそうに彼らを手招きしていた。引きずられるようにしてアウルが奥へと消えると、ディアッカは笑ってイザークを振り返った。 昔と寸分変わらない、両手を挙げておどけた表情。 「女はいつの時代でも強いねぇ。そう思わないか、イザーク」 「フン」 「ありがとうございました」 女支配人に見送られながらアウルたちはその店をあとにした。車に揺られながらアウルは自分の服をまじまじと見つめる。 軽くて丈夫そうな材質。 シャツに合わせた秋色のカットソーとズボン。 支配人とステラの見立てだ。 アウルとステラが着ていたのはステラの膝の上の紙袋の中だった。 「これたかそー」 そうつぶやきながらアウルは明細をこっそりと盗み見て固まった。 ――零が三つほど違うんですけど。 明細書に打たれていた零の多さに自分の着ている服をつまみあげた。これは下手に洗濯機にかけられない、そんな気がしたのだ……とはいえ、最初は気を使って手洗いなどするようになるアウルだったが、それも最初のうちだけでまたいつものように洗濯機に放り込まれるようになる。 習性とは早々変わらないものだ。 「今日、うち、休みなんだけど」 「其れは分かっている!俺も10時から会議だ!! 」 「だったら俺らを巻き込むなよ……」 そんな会話の横でステラは太陽の下で輝く海に見入っている。強い海風が髪を舞い上げているのも気にする様子が無い。 「カガリ・ユラ・アスハとアスランも出席する」 「ふーん。つーことは紫のユウナも一緒か」 ユウナ・ロマ・セイラン。何時も何時もアスランと共にいる男(カガリも一緒だが)。 小指を立てて笑う男の姿が浮かび、イザークの眉間の皺が深くなった。 「おそらくな。アスランの軟弱さも気に入らんが、あの男はそれ以上だ!!気にくわん!!」 「あー、でもあれがキャラだからなー。素ってヤツ?結構仲良いみたいだよ」 「むぅ……」 仲が良いと聞いてイザークの口元がこわばったのをアウルは見のがさなった。もっとつっつけまいかとチャシャ猫張りの笑顔を浮かべたが、次の言葉でアウルは音を立てて固まった。 「あの二人はな……二人して手を組んで俺に挑んで来るんだぞ!!最近笑い方まで似てきやがった!!」 『いやだなぁ、ジュール議員。関税は今のところここが限界なんだよね〜。ねー、アスラン?』 『そうそう。頑張ってるんだけどなぁ』 フフフフと、小指を立てて笑う二人。 気づいていないのか意図的なのか。 その光景を想像してアウルの口からうめき声が漏れた。窓から目を離したステラが不思議そうにアウルを見つめている。 「き、気持ちわる……」 「そうだろう!!わかってくれたか!!」 「アンタも苦労してんだな!」 こぶしを握って力説するイザークと賛同するアウルのやり取りを聞いてディアッカは笑みを浮かべた。 なるほど。 共にアスランをこき下ろせる同士はアウルくらいだろう。 アウルたちを見つけたのは偶然だったが、会議までの良い時間つぶしになった事は確かだった。 ストレスの多い政治では適度なガス抜きと緊張を解きほぐす必要がある。その点、アウルとふぁんたむ・ぺいんはうってつけなのかもしれない。 「シホ」 「なんでしょうか」 前から目を離さずに、傍らのシホに声をかける。 間をいれずに返ってくる、凛とした声。 常にその姿勢を崩さない彼女のストレス発散手段があるのだろうかとディアッカには不思議でならない。 「明日の夜、ふぁんたむ・ぺいんの予約を入れますか。3人でメシ食おうぜ」 「あ……はいっ」 ふっと和らいだシホの気配。 目だけ動かして彼女を見やると、何時がいいかと嬉しそうにスケジュール帳を覗いている。 なるほど、とディアッカは合点が行った。 イザークとすごすプライベートこそが、彼女の安らぎなのだろうと。そして自分は。 亜麻色の少女が脳裏に浮かんで消えた。 今夜は久しぶりにメールを入れてみよう。 もしかしたら滞在中にあえるかもしれないと淡い期待を抱いて――。 アウルたちを見つけた路地が見えてきた。 もうすぐ会議の時間。 ここでお別れだ。 そう思うと、イザークは少し寂しさを覚えた。 暇つぶしのつもりで二人を巻き込んだが、共にいた時間は思っていた以上に早く過ぎ、心なしか、こころが軽い。不思議なものだと、彼は思った。 「アウル、どこ行く?」 「そーだなー海行ってみっか」 「わぁ……いいの?」 二人の仲の良い会話に顔が自然とほころんでゆく。 会議まで時間がある。もうしばらく付き合ってやっても良いか。 「海まで送って行ってやる」 「へー、気前が良いじゃん」 アウルがひゅうぅっと口笛を鳴らす。ステラも花のような笑顔を浮かべ、すみれ色が宝石のように輝いていた。 「イザーク、ありがとう」 「今回だけだ」 ワイワイと賑やかな笑顔を見せる二人にそっけなく答えると、窓へと目をやった。 素直じゃねーの、というつぶやきもあえて聞こえないフリをする。反論する気も、怒る気もしない。ただ、照れくさかった。 町並みが流れて行く。 窓を開けると、潮の香りに混じって秋の匂いがした。 あとがき 何時もお世話になっているYUN様へ捧げます。 少しリクと変わってしまいましたが一時の時間を過ごす彼らを描いてみました。 誰かかしら拠り所があると思います。 イザークにとって頑張れる元はディアッカやシホ、アスランであるのはもちろんですが、政治に何も関係ないアウルたちも拠り所、ガス抜き出来る場所じゃないかなぁと思いまして。 戦後パラレル。こんな可能性もあると思います。 補足ですが、社会では一年を4つに分けます。 学校のように一年は4月から3月までです。 一四半期は4月〜6月。 二四半期は7月から9月 三四半期は10月〜12月。 二四半期は1月から3月 までです。 |