この夏、あたしは一つの花に願いをこめた。







































 オイザリスの願い



























 



 外は雨。
 厚い雲に覆われた空に、どんよりとした空気で外の風景は灰色一色に見える。強風を伴った横降りの雨が吹き付けるように窓ガラスを叩いていて、新緑が激しく揺れていた。

 メイリンはその光景をぼんやりと見つめていた。
 紺青の瞳からは何の感情も読み取れない。
 ただわずかに紅くなった縁取りが涙の名残を見せていた。


「メイリン、ここにいたんだ」


 背後かけられた声に、メイリンはゆっくりと振り返った。紅いメッシュのかかった、茶髪の少年がこちらの方へと歩み寄ってくる。

 ヴィーノだった。

 メイリンを気にしてきてくれたのだろうか。
 彼は気遣わしげで、それでいてそれとなく自然に見せようと努力している表情をしていた。残念ながらそれは功をなしておらず、かえって同情めいた表情となってしまっている。
 メイリンは涙の痕が分かりやしないかと気にしながら、笑顔を作って笑って見せた。


「うん。窓の外見てただけ。また雨だよ。いやになっちゃうね」


 精一杯元気な声を作ったのに、ヴィーノは決まり悪そうに視線を泳がせた。何を言おうか、なにから切り出そうか迷っているようだった。

 ああ、慰めようとしてくれているのだな、とメイリンは苦笑した。

 レイから急に別れを告げられたのは数週間前だった。
 理由は今思い出してもつらくて、涙がこみ上げてくる。

 いつもの定期健診のあと、レイはメイリンを呼び出して自分の現状を告げてきた。

 自分の体調が思わしくなかった事。
 芳しくない検査の結果。
 遅々として進まない研究。
 自分はいつまで生きられるか分からない、だがそう長くは生きられないだろう、と彼は淡々と述べた。
 そして自分と別れて新しい幸せを見つけて欲しい、と言ったのだ。
 当然、メイリンは怒って抗議したものの、彼の顔を見て口をつぐんだ。
 何時も冷静でめったに表情を崩さない顔はゆがんでいた。
 必死に感情の波をこらえようとしている、顔。


「頼む」


 震える声で彼は言った。
 そんな彼を見て、どうして彼を攻められよう。
 彼とて苦しいのだと分かっていたから。

 テロメアの短い生命体。

 常人とは異なり、生まれ、生きてきた月日と体の内臓の加齢が伴わない。時の流れを無視し、加速的に加齢して行く内臓が苦痛に悲鳴を上げている。薬によって苦痛と加齢を和らげているのにもやはり限界があって、いつ命を終える事になるか分からない、時限爆弾のような身体。


 ----自分達が目をそらしてきた、事実。


 それもこれ以上の改善が見られなず、検査によってそのひずみが明るみに出た。冷凍保存という道で治療法が確立するまで行きながられると言うアンも出たが、拒否した。そこまでして何の意味があるのだろうと。いつか目覚めたとしても大切な者のいない世界など自分に何の意味があるのだろうと。
 だが、ますます蝕まれて行く身体、そして侵食してくる恐怖。
 共に同じ時を生きるのは叶わないのだと、突きつけられた現実。
 そして彼が最後にもらした言葉にメイリンはなにも言えなくなってしまった。



 最初の数日は泣いてばかりいたけれど、それで状況も変わるわけではない。レイに事情を知る者はごくわずかだったけれど、メイリンと彼の関係は周囲では公認のようなものだった。どこから漏れたのか、噂が広まるのは早く、周りに気遣わしげな視線や好奇の視線はわずらわしく、また下手に慰められるのは嫌だった。

 なによりも、レイを困らせたくなかったから。

 彼なりに結論だったと、自分に言い聞かせながら自分を奮い立たせた。そして元気に振舞ってきた。もうなんでもない、と見せるように。


「さぁて、仕事にもどろっかな」


 大げさに伸びをして、気負いよく立ち上がった。気おされたようにヴィーノが一歩下がったが、彼は意を決したように口を開いた。


「ね、ねぇ。今日終われば非番だよね」


 メイリンは本日夜勤だった。夜勤が明ければその明けは必然的に休みだったから、メイリンがうなずいて肯定を示すと、ヴィーノは遠慮がちに言った。


「あのさ・・・メイリンがよく行っていた喫茶店、あるだろ。一緒に行かない?一人じゃ行きにくいんだよね」


 下手な誘いかただ、とメイリンは思った。彼は懸命に自分を慰めてくれようとしているのだ。だが、今行くにはあの喫茶店は思い出が多すぎた。ヴィーノの気持ちを無碍にしたくなかったが、つらすぎる。


「ごめん。夜勤明けだから寝ていたいの。やることも多すぎて外出はちょっとね。ごめんねー」


 メイリンは彼を傷つけにないよう、言葉を選びながらやんわりと断った。ヴィーノはがっかりとした顔を見せたが、あわてて笑顔になるとじゃあ、またねとわらった。


 そんな彼にごめんね、とメイリンは再度心の中でつぶやいた。



















「メイリンもレイも全然、こねぇ」


 戦場ともいえるランチタイムが過ぎ、落ち着いた店内でテレビを見ていたアウルは不機嫌そうにつぶやいた。隣でテレビを見ていたステラも彼のほうを見てうなずいた。スティングはカウンターで食器を洗っている。顔はわからなかったが、きっと心配しているだろう。

 早々来るわけではないが、休みのデートにはよく立寄っていた二人。

 数週間も顔を見せないとなると、さすがに気になって仕方ない。
 連絡もなし。
 内部の情報源といえば、ルナマリアは単身赴任中だからシンぐらいしかいない。ここは直接乗り込んでいくかと、物騒な事を考えながらアウルはテレビ画面に目をやっていた。


 其の時、玄関に下げられた鐘が鳴って来客を知らせた。


「いらっしゃいませー」


 考え事の間最中のアウルに変わってステラが来訪に応えた。来客の少年は初めてらしく、しきりに店内をきょろきょろしていて、入り口から動こうとしなかった。





 赤いメッシュの少年-----ヴィーノは話に聞いていたが、初めて訪れるこの店に緊張してしきりに店内を見回していた。

 明るい茶色でまとめられた店内。
 大きな古時計。
 カウンター席にいくつかのテーブル席。
 緑、蒼、黄色の、自分とそう歳の変わらない従業員たち。

 ヴィーノにようやく気づいたらしい蒼の少年はものめずらしそうに視線を向けてきていて、それが客に対する態度かよ、とヴィーノはわずかに顔をしかめた。


「席へご案内します」


 だが、ステラの花のような笑顔にその不愉快さも霧散し、思わず口元が緩んだ。メイリンとは違うタイプだけれど、フワフワとしていて可愛い子だなぁと思いながら案内されるがまま席へと座った。


「え・・・とバラエティサンドイッチとカフェラッテ・・・」


 昼食は一応済ませてあったので軽めの食事を頼むと、ヴィーノは落ちつかなげに店内へと視線を走らせた。カウンターにいる強面のマスターらしき青年は忙しく手を動かしている。いじめっ子、というイメ-ジが浮かぶ蒼の少年は好奇のまなざしでこちらを見ていて、金の髪の少女はカウンターの方へと注文を告げていた。


 メイリンの話していた特長そのままの彼ら。
 マスターの青年はスティング・オークレー。
 蒼の少年はアウル・ニーダ。
 紅一点の女の子はステラ・ルーシェだと容易に区別ができた。


 メイリンの話によるとアウルと言う少年は自分みたいなタイプをいじり倒すのが大好きだときいていて、ここに訪れる前から内心ビクビクしていた。

 だが顔は知られていないはずだった。

 戦中でも彼らの機体の整備をした事はあっても、彼らとは直接顔を合わす事はなかったのだから。今や彼らの機体は別のパイロット達の手に渡り、遠方で活躍中だ。


「お待たせしました」


 ふと気づくと、メニューが運ばれていて、ヴィーノはステラに笑らいかけたあとと、メニューの方へと目をやると、目の前のサンドイッチに思わず声を上げそうになった。
 軽めの、と思って頼んだのが、ビッグサイズのサンドイッチがでんと、プレートの上に並んでいた。具もはみださんばかりにもりっとはさまれていて、一体何段重ねているのだろうか。巨大なサンドイッチの光景に目を白黒させていると、蒼が視界を横切った。


「はじめましてー、というべき?あんた、ヴィーノ・デュプレ?」


 アウルがいつのまに席の前に陣取っていて、チャシャ猫張りの笑顔を浮かべていた。ひいぃ、なんで知ってるの、と恐怖ともいえる表情を浮かべるヴィーノを肯定、ととったのか、アウルの笑顔が濃くなる。


「シンやメイリンからよく聞いてるよ」
「やっぱり・・・ヴィーノ・・・?」


 ステラもパタパタやってきてテーブル横に陣取り、スティングは動かなかったが、こちらを見ていた。そして前にはアウルがいて、どう見てもかごの中の鳥という構図にヴィーノは身を縮込ませた。


「写真も見せてもらっていたけど、見なくてもわかるな。聞いた話そのまんまじゃん」


 からから笑うアウルにヴィーノは反応に困って曖昧な笑みを浮かべた。とって食われやしないかとさえおもった。


「あ、食事中だったな。わりぃ」


 だが一応客だと思ってくれたようで、アウルが席を離れてくれ、ヴィーノがほっとしたのもつかの間。アウルがコーヒーを片手に再び戻ってきて前に陣取ったので危うくサンドイッチを吹きそうになった。


「相席、という事で」


 いや、だったら僕が動きます、と口元からついてでそうになったが、有無を言わせないアウルの迫力にヴィーノは壊れたおもちゃのように首をかくかくさせる事しか出来なかった。とんでもない量のサンドイッチに胸焼けを覚えながら必死に口に入れては、アウルの方へとちらりと目を向ける。

 アウルは窓の外を見ていたが、こちらの視線に気づくとにやり、と笑ったので慌てて視線を戻した。カウンターにも目を向けると、スティングとステラがカウンター席で休憩を取っているのが見えた。


「なぁ、メイリンとレイはどうしてる?」
「え?」


 急に話題を振られて、きょとんとしたが、自分に振られたのだと気づくと、ヴィーノは慌てて答えを返した。



「二人とも普通にしてるよ・・・見た目だけは」



 これは半ば予想していた展開だった。
 そして、ヴィーノが期待していた展開でもあった。
 レイとはシンやルナマリア、そしてメイリンを通して話すばかりでそう親しい間柄ではなかったけれど、今の彼とメイリンはどう見ても不自然だった。


 普段と変わらない二人。
 普通に会話して笑って。
 でも明らかに距離がある、二人。
 あんなに・・・仲がよかったのに。

 そしてなによりも、メイリンの明るさがなりを潜めてしまった。
 笑っているのだけれど、笑っていない。

 ずっと距離を置いて見てきた自分だったけれども、そんな二人が見るに耐えられなくて、何とかしたい、と思った。自分の行動は空振りばかりでルナマリアは遠方で単身赴任中、シンはシンで頑張ってくれているようだけれど、解決の糸口が見えていない。

 それで思い切ってここにきたのだ。

 レイとメイリンのデート場所だったからずっと敬遠してきた、この喫茶店へ。




「何とかここに連れてこようって、おもったけど、断られちゃってさ」


 アウルは黙って聞いている。そんな彼の横顔を盗み見て、ヴィーノは視線を落とした。


 何か糸口が見つけられまいか。
 そう思ってさそっても断られ、それでも何とかしたくてここに来た。
 なぜここまでするのか、そうしたいのか分からないけれど。


「ね・・・」


 横からかけられた声に顔を上げると、いつのまにかステラが傍に戻ってきていた。真剣な眼差しでこちらを見つめていて、彼女と自分の距離の近さと眼差しにヴィーノは顔を赤らめた。その瞬間、アウルの目つきがやや鋭くなったのに気づいて、慌ててごまかすように口を開いた。


「な、なに?」
「ステラ・・・メイリンに会いたい」
「え?」


 自分に言われても、と首をかしげるとアウルがそろそろ我慢の限界なんだよ、と口を挟んできた。


「直接乗り込んで行こうか、と思っていたところ」
「はい?」


 アウルの言葉にヴィーノは間の抜けた声を出した。
 民間人が基地に、それもザフト基地に乗り込む、というのは正直むちゃくちゃな話しである。面会、と言っても早々歩き回れるはずがないし、面会場所も限られてくる。

 以前アウルがシンの部屋に乗り込んで行った事はあるが、あれは前代未聞の事だったのだ。あの事をごまかすためにシンやアーサーがヒィコラ言っていたのをヴィーノはよく覚えている。


 それに。


 彼らが会いに行ったとしてもメイリンやレイがあってくれるかもどうかも分からないのだ。どうも雲行きが怪しくなってきたような気がした。


「ちょっと待って!!民間人がおいそれと行ける訳ないだろ!会ってくれるのかも怪しいのに」
「何のためにお前がいるんだよ」


 やっぱりぃーーー!!とヴィーノは内心悲鳴を上げた。
 断っても彼らは強引についてくるだろう。
 いや、絶対!!間違いない、とヴィーノは確信した。

 やはりここはヨウランかシンを連れてくるなりして一人で来るべきではなかった、と今更ながら後悔をはじめていると、傍らのステラが意を決したようにアウルの方へと向き直った。そして珍しく強い口調で行くのは自分だと言いだしたのだ。


「アウル、ステラが行く。ステラ、だけで良い。メイリンに話したい事、ある」


 アウルとヴィーノが驚きに目を見開く。話を聞いていたらしいスティングがカウンター越しからステラに問いかけた。


「レイは?」
「レイは・・・ね、きっとステラたちじゃ、声・・・届かない」


 アウルが意をつかれた様に黙り込んだ。
 ステラは自分達では駄目だと、言うのだ。
 レイを孤独から救えるのは自分達ではない、と。


 ・・・それはかつての自分にも言えた事だとアウルは気づいた。


自分を孤独から救えたのはステラだけ。スティングだけ。
そして自分をまた孤独にさせたのは、彼らだけだった。


「だから?」
「メイリンに・・・思い出して欲しいもの、ある。レイを動かせるの、メイリンだけだから」


 無理言ってごめんなさい、とステラはヴィーノに深々と頭を下げた。そんな彼女をヴィーノは無げに断れるはずもなく、無茶をしないことを条件に自分の名で彼女を基地に入れる事を了承した。そして一つ、大きなため息をついた。


 自分の身内の事ではないのに。
 かつては敵であったのに。
 今は友人のためにこうまでしたいのか。
 そんな想いはどこから来るんだろう。


 そう、思いながらヴィーノは残りのサンドイッチに手をつけた。








「なに、その花?」


 基地へと戻る途中、ステラが寄りたいと行った公園で、彼女が摘んできた小さな、黄色い花。見た事のない花の名を問うと、ステラははにかんだ笑顔で答えた。


「カタバミ・・・、これね、和名」
「和名?」


 意味が取れないでいるヴィーノが怪訝な表情をすると、ステラはゆっくりと説明した。


「東洋の、呼び名。これね、オイザリス、っていうの」
「ふぅん」


 すくなくともヴィーノの住むプラントにはない花だった。そういえば地球って見た事のない生き物がいっぱいあるとヴィーノは改めて気づく。もう見慣れ始めた地球の風景だけれどまだ見ていないものがたくさんある。同時に久しくプラントに戻っていない事も、また思い出された。プラントに残されている自分の家族はどうしているだろうか、とふと思った。

 間もなく門が見えてきた。ヴィーノは待つようにステラに言い含めると門の警備に当たっている兵士に事情を告げ、受付で手続きを行った。

門が開かれた。


「大人しく面会所で待っててくれる?何とかメイリンを言いくるめて連れてくるから」
「うん」


 メイリン、待っていてくれよ。
 もしかしたら、この子が何とかしてくれるかもしれない。

 淡い期待を胸に、ヴィーノは先立って歩き出した。






 

ところが。








 アウルと違って物分りが良さそうだと思っていたステラはメイリンを探してあちらをちょろちょろ。こちらへと顔を出したりと全く言うことを聞いてくれなかった。一刻も早く彼女に会おうとしているのだろう。似たような人影を見つけるとそちらの方へと走って行き、人違いだとわかると、ため息をつく。手にはあの黄色い花が握られたまま。

 これでは約束と違うと泣きそうになったものの、彼女を止める事もできずに、ヴィーノはただおろおろと彼女について回った。ステラを追いながらもヴィーノもメイリンを探した。
 夜勤が終わっているはずで、もう通信所から戻ってきても良い頃だった。まだ通信所に篭っているとしたら厄介だった。何せ自分は整備員であって、通信手ではない。機密保全という名目のため、原則として通信手でないと通信所には入れないのだ。よくない方向ばかりに思考が行って溜息ばかりがこぼれた。


「メイリン、お疲れ様」
「お疲れ様でした」


 そこへ通路の奥から聞こえてきた聞きなれた名前と声にヴィーノは、はじかれたようにその方向へと目を向けた。少し離れて先を行っていたステラも気づいたらしくパタパタと傍にやって来た。

 紅いツインテールに緑の制服の少女。

 間違いなくメイリンだった。
 ヴィーノが安堵の息をついていると、ステラが彼を追い越して彼女の元へと走っていった。ヴィーノが止める間もなく、瞬く間に彼女の元へとたどり着くと、手にしていた花を彼女の元へと突き出した。


「メイリン・・・これ」
「ステラ、あなた・・・」


 メイリンは突如現れた、こんなところにいるはずのないステラに驚くとステラと花を交互に見やった。そしてその花がいつかの花だと気づくと、ステラの真意を問うように彼女を見つめた。ステラは彼女をまっすぐ見つめかえし、たどたどしいけれどしっかりとした言葉で彼女に語りかけた。


「メイリンの願い・・・この子の、願い」
「え?」


 小さな花をつかまされ、メイリンは戸惑いを見せた。
 この子・・・それはこの花の事を言っているのだろうか。
 ふと数日前、この花のことでステラが言いかけた事をおもいだした。


『・・・野の花にはとても力強い言葉、ある』


 カタバミの花の言葉。
 その、願いは。


「メイリンの願い・・・・レイといる、事。ちがうの・・・?」


 ステラの言葉にメイリンは息を飲み、次の瞬間、顔がくしゃくしゃにゆがんだ。ずっと飲み込んできたものが堰を切ってあふれ出す。


「そうだよ・・・一緒にいたいの。でもね、レイ・・・それが重荷だって」


 定期的な治療、投薬の必要な身体だ。
 俺にはお前の手を握っていられる自信がない・・・。
 彼が最後に漏らした言葉。
 彼女の想いが重荷だと彼は告げた。


「重荷・・・違う。レイは、怖いだけ」
「え・・・?」
「メイリンが自分から、離れて行ってしまう・・・怖い・・・だから先に手、離した」


 この先にあるのは先の見ない、未来。
 いつそのレールが消えてしまうかもわからない、霧の先。
 それにメイリンは耐えられるだろうか、とレイは思ったのだとステラは言う。

 ふぁんたむ・ぺいんにきたあの日、彼がその想いを吐露したのは同じ造られた運命を強いられてきた者同士にその想いを託したかったのかもしれない。


「ステラたちも・・・同じだった。どうなるか分から、なかった」


 戦争に勝っても負けても行く末の決まっていた自分達。
 でもそれはいつなのかは分かることなく、壊れるまで戦い続けなければならなかったあの日。休息はあるのか。未来はないのかもしれないけれど、生きている限り明日が欲しい。


 スティングは怖かったと言った。
 握っていた手を離してしまいやしないかと。


 アウルは怖かったと言った。
 握っていた手を離されやしないかと。


 そして自分も怖かった。
 握ってくれていた手を離されやしないかと。


 それならばいっそ自分から離してしまえば・・・と思った。
 そうしたら。


「アウルも、スティングも、手を伸ばして・・・つかんでくれた」


 つなぎとめてくれた、とステラは微笑む。


「だからレイ・・・待っている、と思う。メイリンが手を伸ばしてくれる・・・の」


 待っている。
 その言葉にメイリンは唇をかみ締めた。
 涙が頬を伝う。
 レイはギルバートに救い出されるまでは、冷たい研究所の中で幼少時を過ごしてきた言う。

 闇に怯え。 
 つめたい地に怯え。
 そして自分の体に怯え、生きてきた。

 心も体も弱くては生きられないと思って閉じ込めてきた弱さ。
 それをシンにであって、ルナマリアに出会って、そしてメイリンに出会って、はじめてさらけ出した。

 弱さは強さの糧。
 弱いがゆえに強くなろうとする。
 道を切り開こうとする。

 ・・・だけどその道に迷いが生じたら。


「カタバミはね・・・オイザリスともいうの。この花言葉は・・・人の想い」


 ステラはゆっくりと語る。カタバミの。オイザリスの持つ意味を。
 オイザリスの花言葉を聞き、メイリンの目に生気が宿った。
 じっと聞いていたヴィーノが歩み寄ってきてメイリンの背中を押しやった。


「レイのところ行けよ」
「ヴィーノ」
「その花の意味、しらねーけどさ。その花味方につけてとっつかまえて来いよ」


 イタズラっぽくウィンクしてメイリンを見やる。其の時、ヴィーノの胸のおくが鈍い痛みを訴えたが、彼はあえて無視して続けた。


「いっそお前からプロポーズしちゃえ!」
「ヴィーノ・・・」


 メイリンは手の中の花を見つめ、ヴィーノを見つめ。最後にステラを見やった。そして力強くうなずくとくるりと向きを変えて走り出した。


 ただし、反対方向へと。


「どこ行くんだよ!!」


 ヴィーノが驚いて声を上げると、メイリンが元気よく怒鳴り返してきた。


「この花をいっぱい集めるの!!味方は多いほど良いでしょう!!」


 先ほどまでの湿っぽさはどこへやら。
レイに別れを告げられる前の、快活さが帰ってきていた。
 前ほど及ばないけれど、レイを引っ張りあげられるだけの強さが。メイリンはもう振り返ることなく、彼女の背中は見る間に小さくなってゆき、やがて通路の先へと消えた。


「あははっ、世話焼かす同期だな」


 ヴィーノが笑ってメイリンを見送ったあと、ほろりと自分から涙が零れ落ちた。


「あれ?あれ?」


 驚いたヴィーノは慌てて自分の目元へと手をやった。
 あとから後から、自分から溢れ出す涙。
 それは留まることなく、溢れて頬を伝った。
 そして涙に伴う胸の痛みにようやく気づいたようにヴィーノは息をこぼした。


「・・・馬鹿みたいだな、今更気づくなんてさ」


 同期として好意を持っていると分かっていた。
 それは友情とか親愛とかで恋でないと思っていた。
 否。
 そう、思い込もうとしていたのだろう。
 なぜなら彼女ははじめから手の届かないところにいたから。
 それでも好き、だったのだ、メイリンが。
 一人の女の子として。だから何とかしてやりたかったのだと、気づいた。
 今頃気づく自分も自分だが、メイリンもメイリンだ、とヴィーノは軽く毒づいた。


「ちっとは気づけよなぁ、ばーか!!馬鹿メイリン!!」


 おせっかいでおてんばで元気なメイリン。
 好きだった、女の子。
 最後までこれっぽちも自分の気持ちに気づいてくれなかった。
 涙をぬぐいながら馬鹿を繰り返していると、暖かい手が頭に触れた。
 顔を上げると、ステラが一生懸命彼の頭を撫でていて、微笑んでいた。


「ごくろう・・・さま。かっこ、よかったよ・・・?」


 そうかなぁとつぶやくと、ゆるいウェーブのかかった金の髪を揺らし、ステラがうなずいた。力いっぱいに。立派だったと。
 ふとプラントに残した母を思いだし。手の暖かさを思いだし。


 ヴィーノは泣いた。


 でも泣きながら彼自身、満足していた。
 たとえ、恋が実らなかったとしても。想いに気づいてくれる事がなくても。











 彼女が幸せになってくれるのだったら、それで良いと。











「今日の訓練もおわりだなー・・・ってまだやるのか?」


 後ろについてきたシンが不満げな声を上げた。


「俺だけで良い。お前はもう上がって良いぞ」


 振り向きもせずにそういうと、後ろでシンが長々と文句をたれた。
と はいえ、彼はレイから離れる様子がない。
 レイを心配してあれこれ気を使ってくれるのがわかったが、今のレイにとってはわずらわしいだけだった。
 少しでも訓練に没頭して忘れたい。
 メイリンのを傷つけてしまった事への負い目。
 そして大事な物を自分から手放し、自ら負った傷が癒える事を願う。
 そればかりだった。


「お前、なんでも一人で抱え込みすぎ」


 ボソリとシンがつぶやいたのが聞こえた。
 これも何度も聞いた言葉。
 分かち合うべきものはいない。
 いるべきではないのだと、レイは思う。
 最後まで共にいる事が叶わない者には。


「レイ!!」


 忘れられない声にレイは顔を上げた。
 あげた視線の先には息を切らせて走ってくるツインテールの少女。
 その手には小さな花束を抱えていた。

 メイリンはレイ達の前まで来ると止まった。
 肩を激しく上下させ、呼吸を整えると、彼女は顔を上げた。

 外に出たのか、制服には雨のあとが彼方此方に飛び散っていて、額は汗ばんでいた。身だしなみに気を使うメイリンだけにその姿は驚くべき事だった。
 レイとシンが彼女を凝視していると、メイリンは手にしていた花束をレイへと突き出した。


 金色の花が、揺れた。
 爽やかな緑の香りと、雨の匂いの混じった、命の匂い。


「レイ、あたしと結婚してください!!」
「はぁ?」


 声を上げたのはレイではない。
 シンだった。
 レイは言葉を失ない、ただ驚きに瞬きを繰り返していた。
 先日別れを告げたはずなのに、彼女は何を言っているのだろうかと。
 自分は彼女と生きる事は叶わないのだと、告げたばかりだというのに。
 レイは溜息を吐き出そうとしたが、できずに代わりにかすれた声が口元から滑り出た。


「俺は、言った筈だ・・・」
「だからこそ、一緒にいたいの!!」


 レイの言葉を遮り、メイリンは彼の袖をつかんだ。


「残された時間はわずかかもしれない。だったらその分、1分でも1秒でも長く一緒にいたい!!」


 今度こそレイは大きく息を吐き出した。
 呆れたからではなく、胸をつかれたから。
レイの言葉を待たずにメイリンは続けた。必死に訴える。

「何でも一人で抱え込まないでよ!あたしの幸せはレイが決めるんじゃないの!あたしの幸せの形はあたしが決める」


 あたしの望み、それは、あなたと一緒にいる事。



----あなたと生きる、事。



お願い、オイザリス、あたしの願いに力を貸して。


「だが、俺はお前をおいて逝くかもしれない。いや、きっと置いて逝く。その後はどうするんだ」
「その後の事なんて、なんで心配するの?レイと生きた分あたしは強くなれる。生きた分、残す物だってあるよ。何もしないうちに、何も残さないまま別かれるなんて嫌!」


 レイの体の事、テロメアの事は聞いていた。
 知らないフリをするのではなくて、受け入れていく。
 受け入れたつもりではなく----あたしは受け入れる。


 メイリンは真摯な眼差しでレイを見つめた。
 手の中の小さな花は力強い色彩を放っていて、まるでその花から力をもらっているかのように彼女はひこうとしなかった。


「あたしの事嫌いですか?」
「そう、いうわけでは・・・ない」
「何でも一人で抱え込むな、って言ったじゃないか」


 今度はシンが口を挟んだ。
 レイが彼のほうへと顧みると、シンの穏やかな眼差しとかちあった。
 シンらしからぬ、穏やかな眼差しはレイにかつての自分を重ねているかのようだった。そう、かつての自分とルナマリアを。


「苦しみも哀しみも憎しみも、半分こ。生きていくうちでそれを分かち合う誰かとめぐり合えるほど幸せな事はないぜ」
「シン・・・」
「さいっしょから突き放してどうすんだよ。スタートもしてないうちから」


 頭がよすぎるだけに最悪の事ばかり考える。
 戦争の戦略としては有効だけれども、人の人生だとしたらそれは。


「馬鹿、だと俺は思うっ」


 馬鹿を強調してシンが笑うと、メイリンも微笑んで続けた。


「レイ。あたしがレイを好きになったのも運命なのよ。諦めないから。振り向いてくれるまで絶対に諦めないわ」


 ----手を離そうとしてもかじりついてやるんだから。


「こんな、俺と一緒にいてくれるのか」
「レイだから、一緒にいたいの。レイ、あなたの人生の半分、あたしにください。」


 言葉と共に差し出された、金の花。
 ハート型の葉をつけた小さな花はプロポーズの花。
 バラの花束のように華やかではないけれど、それに負けない輝きがある。




「あたしと一緒に生きてください。一緒に生きて乗り越えていこう?」




 一人より、二人のほうがいい。
 だってそうすれば苦しみも哀しみも半分こ。
 幸福はきっと倍になる。
 あなたと生きた記憶はこの後の生きる糧となる。



「結婚してください」



 レイは目頭が熱くなって行くのを感じた。
 この少女は短い間としても共にいる事を望んでくれた。
 自分を、こんな自分を求め、受け入れてくれる。
 ゆっくりと自分の中に降り積もり、凍り付いていた絶望の氷が氷解して行く。


「俺でいいならば・・・」


 レイが金の花を受け取ると、メイリンの手が彼の手を包み込んだ。






 シンは二人の邪魔をしないようにその場を離れてテラスへと出ると、一呼吸置き、懐から携帯を取り出した。なれた仕草で通話ボタンを押すと、2コールで相手が出た。


「こちらβ、α、応答せよ」


 シンが電話越しにそういうと、賑やかな喧騒と共に返事が返ってきた。


『こちらα。守備はどうか、応答せよ』
「こちらβ、守備よし。作戦成功」
 

 一拍の間のあと。
 作戦の成功を旨に電話の向こうでなにやら沸いた声がしたあと、すぐに返事が返ってきた。


『こちらα、りょーかいっ。おっつかれー』


 電話越しの能天気な声がおかしくてシンはくすりと笑った。
 数週間分の緊張がほぐれて行く。


『こちらβ、了解。通信切る・・・「ちょっと待って、ステラは?」』


 通話を切る間際、アウルが慌ててステラの所在を聞いてきたので、シンは記憶をたどった。少なくとも見ていないと告げたとたん、今度は怒鳴り声が飛んできて早く連絡取らせないと乗り込むぞ、という脅しがきた。
 この野郎、と腹立たしく思ったが、乗り込んでこられたら溜まったものではない。溜息まじりに了承して通話を無理やり切ると、シンは空を見上げた。









雨が、上がり始めていた。
















あとがき



実はこの展開、姉のルナマリアと対を成しています。
花束を渡され告白されたルナマリア。
花束を渡して告白したメイリン。
状況は正反対・・・・ですけど対の意味もあります。
大輪と小さな草花ですが、その想いは負けないと思います。
調べてみたんですが、草花って本当に力強い意味が多いんですよ。
何故かな・・・・。次で完結です。