雨は嫌い。

雨はあたしを孤独にさせるから。

雨はあたしに嫌な事を思いださせるから。

だから雨は嫌い。









                雨
                  のち
                     晴れ








「雨だ・・」

隣のシンジの呟きにアタシは顔を上げて、窓の外を見た。
けだるい金曜の午後最後の授業。
この授業が終われば明日とあさってはお休み。
退屈な授業に飽きたアタシの意識はすでに放課後の方へと向けられていた。

明日どこへ行こうか。
誰と行こうか。
その前に今日は景気づけにあんみつを食べに寄り道をしようかと
計画を練っていたのに。
この雨で最初の計画をお釈迦にされた気分になって無性に腹が立った。

「何でこんな時に降るのよ!!いい加減にしなさいよ!」

思わず立ち上がって空に悪態をついた。

「ア、アスカ・・。今、授業中なんだけど・・」

シンジのささやきに我に返ると苦手な国語の教師がこちらを睨んでいた。

「惣流さん、私の授業がそんなに気にくわないの?」

・・・・うわ、最悪。
もう!!
この雨のせいよ!
このどんよりとした!
うっとおしい空模様のせいよ!
雨なんか大嫌い!!




「因果なのものだな。提唱した本人が実験台とは」



雨は嫌い。
雨の日は全ての音を消してしまう。
まるで一人、世界から取り残されたよう。
暗い記憶だけがよみがえってくる。

実験の失敗で精神に異常をきたしたママは病室でたった一人。

命を絶った。

ママのお葬式は雨の日だった。
周りは黒い服を着た大人達。
皆ママの死を悼むわけでもなく、
因果関係や研究などといったうわさ話ばかりで
心の底からママの死を悲しんでくれる人は誰一人としていなかった。

泣いてはダメ。
アタシは一人なのだから。
一人になったのだから。
・・・・ううん。
アタシは最初から一人だった。
だってママは一度たりともあたしを見てくれなかったのだから。
ママが愛情を注いでいたのは一体のお人形。
成績で一番とっても。
運動会で一番とっても。
・・・エヴァのパイロットに選ばれても。
どんなに頑張ってもママの目はあたしに向けられる事はなかった。

そう、アタシは一人なのだから強く生きなけばならないの。
だから、泣いてはいけない。
泣かない。
そう誓ったあの日。


そして運命の2015年。
大気圏外に突如現れた第15使徒アラエルとの死闘。
その日も雨だった。
叩きつけるような雨はただでさえ連敗続きで
沈んでいたアタシの心を更に痛めつけてくれた。

脳裏によみがえる連敗の日々。

第13使徒バルディエル。
第14使徒ゼルエル。

アタシは手も足も出ず、倒したのはどちらもシンジだった。
男に負けた事。
勝たなければいけない敵に負けた事。
それまで常勝で保っていたアタシのプライドはズタズタだった。
それでもアタシは引けない。
今アタシがエヴァのパイロットをやめてしまったら何が残るというの?
誰がアタシを見てくれるというの?
母親にさえ見捨てられたアタシが。

けれどその使徒は
熱源のない可視光線でそんなアタシの心をえぐり出した。
忘れようと心の奥に閉じこめておいた記憶を。
アタシの傷をえぐり出した。

『一緒に死んで頂戴』

ママが命を絶った前日。
意志のない瞳でママはアタシの首を絞めた。
唐突だったその行動にアタシは恐怖で必死に抵抗した。

『いや、ママ!!アタシはママの人形じゃない!!』

でもママに映し出される自分を見て、直ぐにその恐怖は消えた。
ママがそう望むのなら一緒に逝こう。
ママが寂しいのなら傍にいよう。
だから・・・・。
だから。

『ママをやめないで』

けれど。
次の瞬間、ママはまるで他人を見るような目つきでアタシを突き飛ばしたのだ。そして咳き込むアタシを見おろして冷たく言い放った。

『あなた、誰?・・・・知らないわ』

ママはその後人形を道連れに自らの命を絶った。
振り子時計のように揺れていたママとお人形。
ママはアタシではなく、人形を選んだのだ。

心の奥底に閉じこめ、忘れていたはずの真実を15使徒はあたしの目にさらしだしたのだ。
半狂乱になって反撃したものの、手持ちの武器は大気圏外の敵には届く事はなく、
結局アタシは大嫌いな女に助けられた。

もう何も無くなってしまった。
もう誰もアタシを見てくれないだろう。
必要としてくれないだろう。
心を閉ざしたアタシがその時最後に覚えていたのは。


泣いている子どものアタシと叩きつける雨。


・・・・それだけだった。




第16使徒と第17使徒のことは直接は知らない。
その時のアタシは既に廃人同然でネルフの病院で寝たきりとなっていたから。
人類を滅ぼし、新たなる新生を迎えようという狂ったゼーレの補完計画に
碇司令が異を唱えた事から、ネルフはゼーレによる占拠命令で
世界とエヴァシリーズを敵に回す事になった、最後の戦い。

ジオフロントに攻め入るとされた古文書に記された第18使徒。
それは・・・・アタシ達と同じヒト。
・・・・人間だった。

弐号機とのシンクロを回復できず、寝たきりだったアタシは
ミサトの命令で弐号機と共に湖底に隠されていた。
ゼーレが最優先で狙うのはエヴァパイロット達の命。
そう判断したミサトは少しでも安全な所へと動けないアタシを弐号機に乗せ、
ジオフロント内の湖底に沈めたのだ。
そこで戦略自衛隊の攻撃で命を危険にさられ、怯えていたアタシは
捨てられたはずの母の存在をエヴァの中で感じ取った。

『死なせないわ』

とぎれとぎれだったけれど、確かに聞こえたママの声。

ママはアタシを捨てたわけではなかった。
ずっとエヴァの中にいてアタシを守っていてくれたのだと。

そう思った瞬間。
いつも心の奥での漂っていた
灰色だった雨雲が取り払われ、光が差し出した。
陳腐な表現なのかもしれないけれど、そんな感じ。
その後は無我夢中だった。
自分のため。
エヴァに宿るママのため、アタシは戦った。
でも電源ケーブル無しのエヴァの稼働時間は約5分。
倒しても倒しても復活を遂げるエヴァシリーズ。

そうやっているうちに電源切れで弐号機は力尽きた。
結局それ以上の奇跡は起こらず。
アタシはたった一人でエヴァシリーズに弐号機と共に
生きながらその身を裂かれていった。

絶叫。
絶望。
怒り。
憎しみ。

血に染まる視界の中で
アタシはひたすらエヴァシリーズに呪詛を吐き、彼等を引き裂こうと手を伸ばした。
でもその手が届くはずもなく。
アタシはロンギヌスの槍に貫かれ、死んだ。


・・・・そのはずだった。


気付いたらどういうわけかアタシは馬鹿シンジと二人きり。
紅い海の前にいた。
アタシの首を絞めていたかと思うと今度はメソメソ泣くシンジ。
こいつは幻だろうかと触れてみたらやっぱり本物。
弱虫、馬鹿シンジ。
すがるしか脳がないのか、あんたは。
そんなんだからアタシは一人で戦わなくてはならなかった。
アタシもママも痛い思いをしなければならなかったのよ?
あまりにも腹が立って。
あまりにも呆れてしまって。
アタシはシンジに精一杯の侮蔑を込めていってやった。

『気持ち悪い』


けれどアタシもこいつと同じ。
何かにすがらなくては生きていけなかった、弱虫。
誰かに愛されていなければ。
誰かに必要とされていなければ生きていけない、ちっぽけな存在。

ねえ、アタシあんたは嫌いじゃないわ。
でもあんたがアタシを見ててくれないのなら
アタシもあんたを見てあげないわよ。
あんたがアタシを一番に見てくれないのなら・・・・あんたなんていらないから。

手を差し出したならば握ってあげる。
好きだと言ってくれたら笑って好きよと言ってあげる。
抱きしめてくれたらきつく抱き返してあげる。

それを今のあんたに望むのは酷な事なのかしら。
だったらアタシが手をさしのべてあげる。
ただし一度だけ。

手を伸ばし、シンジの涙を払うと、
シンジは一瞬愕いて目を見開くとすがるようにアタシの手を握りしめ、また涙した。

大事だったのは手をさしのべること。
とても勇気のいる事だけれど。
それは大きな、大きな一歩となる。
水面に落ちた一滴の雫がやがて大きく波紋となるように

大丈夫、アタシ達はまだやっていける。
例え傷つけあう事があっても。
間違いを起こす事があっても。
それに向かい合って行けば。

傷つけて悪いと思ったら償えばいい。
間違ったと思ったら、二度と起こさなければいい。

そして何よりもアタシ達が欲する事。
「愛されたい」という事。

愛されたいのなら自分を好きになろう。
まずはそれから。

自分を愛せなかったら他人を愛せるわけがない。
他人を愛さなければ、自分も愛されるわけない。



そうでしょう、馬鹿シンジ。



そう思った瞬間。
どこまでも紅い海から光が舞った。
次々と生まれる光の粒はやがて沢山の人型へと形作ってゆき、
母なる海が本来の色を取り戻してくる。

『自分をイメージできれば』

ファーストの声がした。

『誰もが元の形へと戻る事が出来る』

柔らかい少年の声がした。

『たとえ傷つけあう世界であっても』
『皆がいる世界を望むのね?』

そうよ。
みんなが一つだったら触れあう事も声を聞く事も出来ないじゃない。

『そう』

薄れ逝く意識の中でファーストと銀髪の少年が笑うのが見えた。
光が世界を覆ってゆく。
何が起こったのかはもう分からなかった。
ただその光はとても優しくて、懐かしかった。






「あーっ、もうっ!!あの教師、しつこい!!」

アタシは悪態を付きながら玄関に向かっていた。
その後ろをシンジが苦笑いを浮かべて付いてくる。

「よそ見していた上に、授業の妨害するからだよ」
「アレはアタシのせいじゃない!この大嫌いな雨のせいよ!!」

そう言って腹立ち紛れに未だ降り続ける雨を指さした。
アレからアタシは職員室に呼ばれ、たっぷり30分近く小言を食らった。
たかだかあんな事で目くじらを立てるなんてあったまくるわ!
こうなったらテストでいい点数を取って、あの教師の授業寝てやるわ!!
天才、惣流・アスカ・ラングレー様に不可能はないのよ、見てらっしゃい!!

おおまたで玄関に在る傘立てに行くと、在るはずの、見慣れた赤の傘がなかった。
雨の大嫌いなアタシは傘はいつも学校に常備している。
俗に言う、置き傘ってヤツ。
ちゃんとあたしの名前が書いているはずなのに・・・どこのどいつよ、持っていった馬鹿は!!

「きーーーっ!誰が持っていったのよ!!見つけたら火あぶりにしてやる!!」

足を踏みならして怒るアタシをシンジはおろおろしてみている。
昔のこいつなら視線をそらしてそそくさと帰っただろう。
あともう一歩進歩してくれたらな、と思っていると。

「ねえ僕、傘持ってるよ」

シンジが蒼い傘を手にはにかむように笑った。
嬉しい。
こいつがそう言ってくれたのはすごく嬉しい。
だけれどアタシはもう一声欲しい。
だからアタシは言う。

「だから、なによ」

えーと言う顔をするシンジ。
やっぱそこまで望むのは酷なのかな・・・・。
ところが次の瞬間アタシは驚愕した。

「同じ所に住んでるから一緒に帰ろうって言っているに決まってるじゃないか。
何ぼけてるの?」

ぼけ・・・・?
ボケてるですってぇ!!
この馬鹿シンジ様はいつの間にかお偉そうになっていらっしゃる 。

「きー、馬鹿シンジ!!なにふんぞり返ってるのよ!!」
「それはアスカだろ!!」

周りがクスクスと笑っている。
恥ずかしくなったアタシはシンジを引っ張り、校舎を出た。

灰色の視界で雨が叩きつけてくる音がする。
シンジは隣で傘を差し掛けてくれている。
肩はくっつくかくっつかないかの微妙な距離で。
それでいてアタシが濡れないように気を使ってくれている。
ふと並んだシンジの肩の位置がアタシのと同じ高さである事に気が付いた。
1年前まではアタシの方が4センチは高かったはずなのに。
ちょっと悔しかったけれど・・・。
何故かそれがとても気恥ずかしく感じられた。


無言で歩く雨の中、
視界に入ってきた水色と黒の二本の傘。
それはアタシ達を待っていたかのように静かに佇んでいた。

「おや、今お帰りかい」
「・・・・」

カヲルはいつものアルカイックスマイルでにこやかにアタシ達に声をかけてきた。
彼の隣で水色の傘を差しているレイは無言で此方を見ていた。
相も変わらず無表情なのだけれど・・・・。
その表情のどこかに笑みが浮かんでいるような気がするのはアタシの気のせいだろうか?

「二人で相合い傘・・・か。仲が良いねぇ」
「アタシの傘がなかったのよ!!仕方ないから一緒に帰ってるだけ!!それだけなんだから」

ちゃかすカヲル。
紅くなって怒鳴り返すアタシは既に彼のペースにはまっているような気がする。
うー、視界が悪いから紅い顔は分かんないわよねと視線をずらすと。
後ろ手に回されたカヲルの手に気付いた。
その影に見えるは紅い、傘。
何故傘がなかったのか。
何故こいつ等がここにいたのか、アタシはすぐに分かった。

「謀ったわね・・・」
「何の事だい」

ばれているって事に気付いているくせに、白々しくうそぶくカヲル。
レイは今度こそはっきり分かるように笑みを浮かべていた。
二人していい度胸じゃない。
でも馬鹿シンジはまったく気付いていないようで
頭上に疑問符を浮かべて突っ立ていた。
こいつはどこまで馬鹿のかしら?
呆れると同時に笑いたくなった。
良いわ、今回はあんたらの思惑に乗ってあげるわよ。
特別にね。

アタシはシンジの袖を引っ張ると先を促した。

「馬鹿シンジ、行くわよ」
「え?う、うん。じゃあね。カヲル君、綾波」

先を急ぐアタシの耳にカヲルとレイの会話が入ってきた。


「羨ましいなぁ。ファーストも遠慮しなくても良かったのに」
「傘、あるもの」
「ちぇ」


ファースト相手じゃ一縄筋じゃ行かないわね。
ご愁傷様。

クスクス笑うアタシをシンジは不思議そうに見ていた。
でもすぐに彼も同じように笑顔になる。
心なしか足取りも軽い。

雨は嫌い。

雨はあたしに嫌な事を思いださせるから。
雨はアタシを孤独にさせるから。

でもこんな日でも笑えるのなら。
誰かが傍にいてくれるのなら。

雨の日があっても好いのではないかと思った。













あとがき

アスカ視点のアスカ×シンジ。
そしてカヲレイ。
アスカの描写はアニメ版ではなく、マンガ版を取っています。
アニメ版でのアスカの精神崩壊は唐突すぎた感じが強く、
マンガ版の方がしっくり来ましたので。
映画は二人きりのところで終幕となりましたが、
わたしはその後、皆帰ってきたという解釈にさせていただきました。
ベタかもしれませんが。
ちなみにこれは2度ほど書き直しました。
それでも分かりづらいかな・・・。
暗くて長い文章をここまで読んでいただき、有り難うございました



用語:
ジオフロント=ネルフが所在する地下。山や森林、湖がある。
エヴァシリーズ=エヴァ五号機から拾参号機までのエヴァ。
他のエヴァと異なり、見た目は生き物のようで
無限に動けるS2機関搭載。翼付き。
S2機関=無限エネルギー炉。