遠くで『夕焼け小焼け』のメロディーが流れ始めた。
 この昔懐かしい童謡は市役所によって平日午後6時きっかりに流される、いわゆる時報である。
 空はすっかり紅く染まり、地平線の向こうで巨大な太陽がゆらゆらと揺れていた。


「すっかり遅くなったな、帰ろーぜ」
「わりぃ、忘れ物した!先帰っててくれよ!」


 同じサッカー部の同級生と雑談しながらの下校途中、部室に宿題の忘れ物を思い出したシン・アスカは慌ててその旨を告げ、方向転換をすると校舎の方へ走り出した。


「風紀委員がうるせーから、つかまんねーようにな!」
「了解っ!」


 シンは後ろの友人に大声でそう答えると、足のスピードを速めた。一年とはいえ、部でエースストライカーを務める身である。足の速さには自信があった。

 校舎の中へと駆け込み、階段を駆け上がりながらシンはふと友人の言っていた風紀委員の顔を思い浮かべた。
 うるさいかもしれないけれど・・・・途中で逢えまいか、と少し期待しながら部室の方へと階段を駆け上がっていく。


 風紀委員長、2年のルナマリア・ホーク。


 快活で笑顔が魅力的なシンの先輩だ。
 学年も部活もお互い異なるが、入学式でのちょっとした出来事が二人を近づけた。正確には知り合いになれた、程度であるが、本来ならばお互い知らないままで終わるはずだったのだから運命だとシンは信じて疑わない。
 サクラが舞い散る中での出会いだった。


『ちょっと君、一年?』


 入学そうそう面倒だと思っていた入学式をサボろうとぶらぶらと裏庭を散歩していた時だった。
 背後から声をかけられ、振り向いた。
 同時に突風が吹き上げ、サクラの花びらを舞い上げて、散らし、シンは片手で花吹雪から自分の顔をかばうように声の主を見上げた。


-----息が止まった。


 サクラが舞い散る中で紅と蒼の女神が静かに佇んでいた。風になびくワインレッドの髪、太陽光に輝く濃いネイビー・ブルの眼差し。2年の色を思わせる紺のリボンが胸の上で揺れていた。


『聞いてるの?』


 われを忘れてみとれていたせいか。
 少し苛立ちの混じった声に自分はぼんやりと突っ立ったままだと言う事を思い出して、シンは赤面した。きっと間抜けな顔をしていたのだろうと思うと恥ずかしくて仕方なかった。狼狽して良いわけを考えているうちにその女子生徒はゆっくりとシンのほうへと歩み寄ってきた。


『もうすぐ入学式よ?なんでこんなとこにいるの?』
『・・・・え・・・・とその・・・・』


 まさかサボるつもりでした、などといえなかった。
 だが良い言い訳も思いつかなくて冷や汗を流していると、彼女はなにやら勝手に推測を始めて一人でうんうんうなずいていたかと思うと、顔を上げて意味在りげに笑った。


『ははぁ・・・・あんた、もしかして迷子?』
『へ?』


 思いもよらなかった展開に間の抜けた声がシンの口からついて出た。それを図星を差されたためと勘違いした女子生徒はそれ以上言うな、分かっているからと手をパタパタと振った。


『ここ、敷地広いものねぇ。よかろう、このホーク先輩が君を案内して進ぜよう』
『ちょ・・・・ちょっと』


 返事もしないうちに手を取られて先へと引きずられてゆく。彼女の手の柔らかさ、そして暖かさに熱を帯びていたシンの頬がさらに紅くなった。恥ずかしくて顔も上げられなかった。
そんなシンの心境などおかまいなしに彼女はずんずんと先を歩いて行く。


『いいっていいって。困った時はお互い様。それも可愛い後輩のためだからね!!』


 振り向きざまに軽くウィンクされると、シンはもうなにも言えなくて。顔を上げられないまま、彼は入学式へと連れて行かれた。



「一目ぼれだったんだ!!運命だよっ、運命っ!!」



 シンは後にその出会いを熱っぽく語ったが、彼の先輩であり、相棒でもある少年は無情にも。


「あのキョーボーに?あん時サクラが一杯散っていて、太陽が真上にあったんだろ?ドップラー効果でお前の脳みそが恋だと勘違いしたんじゃねーの」


などと鼻で笑っただけであった。











行き先は墓穴ばかり
  
 されど命短し、

  恋せよ、少年



先の見えない恋愛方程式



















「おっとっと」


 勢いあまって部室を通り過ぎてしまい、急ブレーキをかけて戻る。ルナマリアにも逢いたいが、日も暮れかけているのでやはり急ごうと、シンは部室の扉を勢いよく開けて中へ飛び込んだ。


・・・・・だが、部室には先客がいた。


 夕焼けの差し込む部室に明かりもつけないで、なが机の上に折り重なるふたつの人影。


 シンの先輩で相棒のアウル・ニーダ。
 そしてサッカー部のマネージャーでアウルの恋人のステラ・ルーシェだった。


 二人とも帰ったはずではなかったけ、と首をかしげていたシンはステラのはだけた胸元と摺りあがったスカートから覗く白い太腿に気づくとどんなに鈍くても状況が飲み込めた。とたん体中の血が沸騰し、みるみる顔を赤く染め上げて行く。

 アウルは、というと、どう、誰が見ても不健全な状況の中で、しかも人前だというのに平然と文句を言ってきた。


「んだよ、良いとこだったのに。邪魔すんな、シン。」
「シン・・・・どうしたの?」


 ステラもきょとんとアウルの下から顔を出して、シンを見つめる。彼女が身を起こすと、アウルの影になっていた彼女の豊かな胸元が丸見えで、上に散らばるいくつもの紅い痕もくっきりと分かる。それを付けた相手は言うに及ばず、早く出て行け、といわんばかりにシンをにらみつけていた。
 ようやくシンが声が出せたのはたっぷり5分が経過ごしてからだった。


「あんた、部室でなにやってんだよっ!しかもステラを・・・・っ」


 顔を茹蛸のように真っ赤にしながらアウルに文句をまくし立てたが、アウルは反省するどころか左から右へと受け流すばかりだった。
 シンが疲れて果てて言葉を切ると、彼は意地の悪い笑みを浮かべてシンに背を向け、事もあろうに先ほどの行為を再開させた。
 ・・・・シンの目の前で。


「や・・・・、だめ・・・・だよ」


 ステラはさすがに人前は抵抗があったのか、抗議の声を上げて抵抗して見せたが、アウルの愛撫にすぐに甘い声を上げはじめた。


「別に良いじゃん?嫌じゃねーだろ・・・・?」


 シンを見やりながらアウルは「なぁ、ステラ?」とステラの耳元でささやくと、彼女に深く口づけた。
 シンはただあっけにとられていたが、彼女のスカートから下着が下ろされた時はさすがにこれ以上耐え切れないと、部室を飛び出した。

 叩きつけるようにドアを閉めると、猛烈な勢いで階段を下りていった。

 心臓が早鐘を打つように激しく打っていて。
 顔は燃えるように熱かった。


「なんなんだよ・・・・、場所考えろよ・・・・」


 二人が付き合っていたのは知っていたけれど、深い関係までに至っていたとは思いもしなくて。
 それだけに刺激が強すぎた。


「え?」


 最後の段を飛び降りようとした時、ちょうど階段を上ってきていた紅い影と鉢合わせてしまった。


-----ぶつかる!


「危ない!!」


 シンが大声を上げると、向こうも彼に気づいたようで見事な反射神経で後ろへと飛びのいた。
 間一髪、先ほどまでその人物がいた地点にシンが着地すると、怒ったその相手はは早速説教を始めた。


「こらぁ!!廊下も階段も走るのは禁止!!飛ぶなんてもってのほか!!!それに今何時だと思ってるの!!下校時間はとっくに過ぎているのよ!学年、クラス、氏名を言いなさい!!」
「ルナ・・・・先輩」


 逢いたかったけれど、逢えると思っていなかった紅い影の正体にシンが呆けているとルナマリアもシンに気づき、驚きに目をぱちぱちさせた。


「あれ・・・・?シン?あんたなんでここにいるのよ」
「ごめ・・・・ん。部室に忘れ物して取りに来たら・・・・さ」
「忘れ物?」


 シンの言葉にルナマリアは一瞬ぽかんとした顔を見せたが、思い出したようにクスリと笑った。


「あんたって子は・・・・。入学式といい、今日といい、おっちょこちょいだね」
「う・・・・」


 入学式は迷子ではなかったなどと彼女には死んでも言えない。シンが曖昧な笑顔を浮かべていると、ルナマリアが彼のほうへと手を伸ばしてきた。

こつん、と人差し指がシンの額を小突いた。


「あ・・・・」


 シンはとっさに一歩上がると、たった今触れられた額に触れた。ルナマリアが触れたところからじんわりと帯びてくる、熱。

 忘れ物を取りに行く時、逢いたいとこっそり思っていたことを思い出して。
 
 逢えた事が嬉しくて。

 その嬉しさを隠し切れずに笑みが浮かんだ。


「まったくあんた、怒られてるのよ?」


 ルナマリアはしかめっ面であるものの、その語調は優しい。すぐに笑顔に戻ると「忘れ物、取れた?」と問うてきた。


「あ!!」


 アウル達に気をとられすぎ、肝心のノートを忘れてきた事を思い出して、シンは大きな声を上げた。さーっと血の気が下がってきたが、今はもう部室に戻る気はしなかった。

否。

戻りたくなかった。

 ところがルナマリアはシンの気まずい沈黙を否定と受けとったのか、大きくため息をつくと階段を上り始めた。


「いーわよ。一緒に行きましょ。見回りもあるし」
「ちょっと待って!!」


 アウル達の事があるので、なにがあっても彼女を部室に近づけてはいけない。 アウルとルナマリアは同じクラスで席が隣同士であるものの、犬猿の仲として学年でも有名である。絶対に血を見る事になる。

 シンは慌てて彼女の手首をつかむと、引きずるように階段を下りて行った。後ろでルナマリアが戸惑いの声を上げていたが、無視してひたすら下を目指した。

 玄関に来てようやくルナマリアの手を離すと、とたん襲ってきた羞恥心。

 不可抗力とはいえ、憧れの女の子の手を握ったのだ。
 それも力いっぱい。
 それでも夢のようだった。
 シンは彼女の手の柔らかさとぬくもりの残る手を確かめるように閉じたり開いたりしてみる。アウルたちには腹が立ったが、今回は少し感謝したい気持ちになった。
 ルナマリアはそんなシンに気づかず、彼の目と鼻先の距離までくると、腰に手を当て、不満げに彼を見上げた。
 其の時シンは彼女の背丈がわりと高めだと気づき、自分とそう変わらない事にちょっとしたショックを受けた。


「肝心の忘れ物はどうしたの?」
「へ?・・・・うぇっ、ぶぶぶ室にはアウル先輩たちが・・・・」


 ルナ先輩、まつげ長いな・・・・。
 この甘い香りなんだろう、シャンプーかな、などと色々と考えをめぐらせている所を声をかけられて慌てたシンはうっかりと口を滑らせてしまっていた。


「アウル、たち?」


 アウルの名前を聞いたとたん、ルナマリアの片眉が擬音付張りに跳ね上がった。シンがしまったと、思ったときは既に遅く、全てを悟った彼女は怒りの咆哮を上げた。


「あの野郎〜〜〜、またかぁ〜〜〜!!この神聖な校舎をホテルかなんかと勘違いしやがって〜〜〜」


 ゆらりと身を揺るがせ、ルナマリアは怒りに満ちたネイビー・ブルーを階段へと向けた。


「ぶっ殺す」
「うわわっ、先輩、落ち着いて!!ステラもいるんだ!!」
「んなぁことぁ分かってるわよ!!あたしの可愛い後輩をあの馬鹿がだまして手篭めにしたのよ!!八つ裂きにしてやるわ!!」


 シンは余計なことを言ってしまったと、激しく後悔すると共に憤って階段を上ろうとする彼女を引きとめようと奮闘し続けた。ようやくアウルとステラが仲睦まじく階段を下りてきたときは、彼は心身とも疲れ果てていた。


「アウル・ニーダ!!」


 アウルを捕捉したルナマリアがうなり声を上げると、ステラとベタベタしていたアウルは顔を引きつらせてあとじさった。


「げっ、キョーボー!!逃げるぞ、ステラ!!」
「ルナ・・・・?」
「逃げるっての!!あ”ーじれってー!!」
「きゃ・・・・あうる?」


 先輩のルナマリアの怒りが理解できずにきょとんと小首を傾げるステラを抱え上げ、アウルが走り出す。
 さすがはサッカー部のゴールデンコンビの片割れ。
 怒り狂うルナマリアをあっさりと交わすと瞬く間に逃げていってしまった。


「くぅ〜〜〜〜。明日、覚えていらっしゃい!!」


 その間もシンはそんなに怒らなくても良いのになぁとぼんやりと彼らのやり取りを見ていた。
 同じ学年でもクラスでもないから分からないけれど、仲良くて賑やかに見えて胸がしくりと痛んだ。
 ルナマリアがアウルのために心身を疲れさせる必要さえないのに、と不満にさえ思った。


「せんぱい」


 シンは地団太踏んで悔しがる少女の方へと歩み寄ると、さっき、少女が自分にしたように人差し指を伸ばし。

 こつん、と額に軽く触れた。
 
 ルナマリアは怒りを忘れ、ぽかんとした顔で小突かれた額に手をやるルナマリアにシンは言った。


「アウル相手にあまりかっかしないほうがいいよ。疲れるだけだし。悠長に構えたほうが良いよ」


 その言葉はアウルとともに時間を過ごしてきてシン自身が出した結論。
 自分の経験だった。
 だからルナマリアも笑い飛ばせば良いのだ。
 馬鹿、だと。
 怒った顔より笑顔の方がルナマリアに似合っているのだから。

 シンはクスリと笑った。


「それにセンパイは笑うと可愛いですよ。怒っているより笑っている顔のほうの方がずっと、可愛い」


 反論しかけたルナマリアは口をへの字に曲げたまま固まった。今までうるさい、とか凶暴としか言われた事のなかった彼女にはその言葉は革命で。
 
 ・・・・・それでいて信じがたいものだった。


「恥ずかしい事をよく言えるわね・・・・心にもない事を」


 同情や成り行きで言われても真実味はない、とルナマリアは呆れた顔をしていたが、シンは揺らぎの意志でかぶりを振った。


 -----それが本当の、真実だったから。
 自分がずっと思っていたことだから。
 今も思う事だから。


「まさか。だって俺、入学式でセンパイに一目ぼれしたんだから」
「はい?」

 何の前触れもない、シンの突然の告白にルナマリアは驚きに声を失った。
 そんなはずはない、それも年下にと、ぐるぐると彼女の頭が回る。ブルーの瞳は大きく開き、、唇は力を亡くして半開きになっていた。

  ・・・・だが。

 一番驚いたのはシン自身だった。
 彼はここで告白するつもりはなかった。
 どうせならちゃんと映画のように時期を決めて、用意もしっかりしてかっこよく決める手はずだった。告白だって台詞は考えるに考え抜いたものにしようと。

 全ての計画がひっくり返ってしまい、途方にくれたシンは呆然自失状態のルナマリアに頭を下げて型だけの挨拶をすると、返事を待たずに脱兎のごとく、その場を逃げ出した。


 ルナマリアは追ってこなかった。


 角を曲がる間際にシンが少しだけ校門の方へと振り返ると、彼女はまだ固まったまま突っ立っていた。


 相手は年上で学年も部活も違っていて。
 好きな人の前では墓穴ばかりの自分。
 気持ちがどんなに強くても相手も同じ気持ちがない、一歩通行は恋愛の方程式というものは成り立たないもの。
 それも想いの丈が大きすぎても小さすぎてもいけない。


 ・・・・・バランスが取れない。


 この恋に先はあるのだろうか。






「前途多難だ・・・・ちくしょう・・・・」






 勢いだったとはいえ、自分の早まった告白をシンは激しく後悔するのだった。




 -------------恋の方程式の答えは・・・・まだない。




























シード学園とは別の、学園パロディ、シンルナ。

先輩のルナマリアに片思い中のシン。
マイペースなカップル、アウステ。

これは後にクリスマススペシャルのお話へと繋がって行くものです。そして輪廻の学園アウステとも。
学パロって書いていて楽しい。
ここまで読んで下さってありがとうございました。