誰かのいなくなった日。
 それは「僕」という人間が消えてしまった日。



 暗やみに浮かんだ白のぽっかり、ぽっかり切り取られたまぁるいお月様。
 何もないはずの僕の心に、何故か同じものがぽっかりと、あるような気がした。
 空を見上げて、脳裏を過ぎるのは、太陽の眩さ。けれど、けれどそれの本質はどちらかといえば、夜に浮かぶ球体のようだったと思う。静かだった、優しかった、儚かった。
 綺麗だと、心に鮮烈な印象を残すものは大抵が、永遠ではなく。手に触れた途端に消えてしまうような、そんな類のもので。今、自分の心にあるものはそれと同じものなんだと、どことなく、思い。
 触れたら消えてしまうから、―――――消されてしまうから。
 そっと、そっと。

 例えばそれは、ちらちら舞い降る薄紅の、花弁の鮮やかさ。
 例えばそれは、しとしと注ぎ降る透明の、水雫の優しさ。
 例えばそれは、はらはら散り落ちる、木々の終わりの切なさ。
 例えばそれは、音も無く、世界を染め上げていく真白い綿の、暖かさ。

 そんな。
 そんな、良いもので、素敵なもので。
 心にぽつんと一つある、月。

 そっと、そっと。 

 

 膝を抱えて、虚空を見つめる。見つめる先にいたはずの誰かは、いない。心にぽっかり、皓の船浮かべ。たゆたう何処か。
 誰かのいなくなる以前、僕は僕だったのに。
 誰かのいなくなる以前、僕は人間だったのに。
 誰かのいなくなる以前。


 僕は泣くこともなかったのに。


 触れてはいけない、記憶の底の。
 その綺麗な月は、今どこにいるのだろうか。




誰かのいなくなった日









あとがき
Misaの燦月様より頂いたアウステパックで好きな小説の一つです。
掲載許可いただいたので・・・アップしました。
大事な物を忘れている・・・・本編でのアウルの言葉を思い出して切なくなります。