『ねえさんっ!!』


見慣れた紅玉が快活な光を帯びてユイに向けられた。
腰まで伸ばした銀の髪を無造作に結わえた、自分の妹は得意げに胸をそらし、傍らに連れていた幼い少年を前へと押し出した。
恥ずかしそうにうつむきながら自分を見上げる少年にユイは見覚えがあると気づくと同時に大きな驚きが彼女の心中を駆け巡った。

渚カヲル。

世界的な音楽家、渚家の一人息子。
ユイは元々バイオリニストだった事もあり、カヲルの両親をよく知っていた。
何故その子が妹の元にいるのだろう?

『今日からうちで面倒見る事になったの』

あっけらかんとそう述べる妹にユイは開いた口がふさがらなかった。
カヲルの両親がそんなに簡単に許すはずがない。
きっと強奪同然に連れてきたのだろう。

『だってこの子に寂しい思いさせてんのよ?』

親の資格たるなし!!と豪語する少女に
まだ子供といっていい年齢のあなたが
そんな事言ってどうなのとユイは頭を傾けたくなったがその言葉は口にせずにいた。
大きなお腹をかかえて家出同然に家を出た妹は立派に子供を育てていて、自分の姪に当たる、妹の娘は快活なしっかり者だった。決して楽ではない生活の中、しっかりと一人立ちをして生きている少女を見て自分は決して真似できないとさえ思った。
頑固で自由奔方で手がつけられないほど激しい気性の妹。
でもユイは歳の離れた、そんな妹が大好きだった。
今回の行動は軽率だったとは思ったが、妹のため。そしてカヲルという少年のため。
ユイは少年の両親に話をつける事を決心した。



そして。



怪しく光るサングラスをかけたユイの夫、ゲンドウのひげ面と。
背後に青白い炎を揺らすユイの笑顔の前でカヲルの両親は寿命の縮まる思いをしたあと。
カヲルの全権をユイの妹であるユニにほぼ強制的に委ねさせられたのだった。



カヲル、4歳。
10年以上前の事だった。
















One and Only

第3話
色気より食い気な彼女




















ほわっとはにかむ、可愛い少年。
快活で元気印のチャーミングな少女。


「ちがーーーーう!!まるで違う!」


どことも無く響いたナレーションにアスカは大きく頭を振って否定すると、ひょぉっと言う音を立てて指を振りかざし、カヲルとレイを指差して声高らかにいった。


「それが今!!なんでこんな仏頂面になるのよ。サギもいいことだわ!!」


碇家の玄関で顔を合わすなり、仁王立ちの姿勢で失礼な事を抜かすアスカをカヲルとレイの絶対零度の吹雪が襲う。


「サルが何か言っているわ」
「人様には礼儀正しくってしつけられなかったのかい」
「き、きぃ〜〜〜〜〜〜」
「あらあらまあまあ。いらっしゃい、二人とも」


戦争が勃発しそうなところにユイがパタパタと軽快な足音を立てて玄関にやってきた。
クリーム色のシャツと茶色のタイトミニに白いエプロン姿に穏やかな笑みを浮かべている。


「こんばんは、おば様」
「こんばんは、ユイさん」

そしてそんなユイに、先ほどとは打って変わった態度でカヲルとレイが穏やかに挨拶を返した。
ユイの後ろでアスカがこめかみを引くつかせていたが、二人とも眼中にないのか無視である。


「二人ともどうしたの、急に来て?」
「はい、母さんから荷物が今朝届きまして」


そう言ってカヲルは大きな包みを取り出した。
カヲルはレイの母を実の母のように「母さん」と呼ぶ。
ユイとしてはその言葉を聞くたびに
嬉しい気持ちと哀しい気持ちが入り混じった、複雑な感情を覚えるのだ。
自分の妹を母と慕ってくれるのは姉として嬉しい。
だが。
自分がカヲルの母の立場で彼が他の女性を母と呼び慕うとしたら・・・・と思うと「母」としては哀しかった。そう思っていても、今はまとまっている彼らの家庭を壊したくはない。ユイはカヲルとレイにその心中を悟られないように心の奥にしまいこむと、ありがとうとカヲルから荷物を受け取った。
カヲルの手から自分の手にその荷物が移ると、とたんずっしりとした重さが腕ににのしかかり、ユイは驚きに目をぱちぱちとさせた。


「温室育ちのマスクメロンだそうです」
「今、富士の山奥にいるらしいわ」


カヲルのコメントにレイがさらりと一言付け加える。
富士の山奥。
何の取材に行ってるのあの子は?



『えっへっへっへぇ〜〜〜〜っ富士の樹海で大ぼうけ〜〜〜んっ』



つるはしを振りまわす冒険者という嫌な想像が浮かび上がり、ユイの額に縦線が延びそうになった。ま、まさかね。あの子がそんな事・・・・ありそうで怖い・・・・。
あとで携帯に電話入れてみようかしら・・・・。
少々誇張気味な想像(だがユイ本人は大真面目)の想像に
ユイはため息を一つつくと顔を上げて自分の姪とその幼馴染を見やった。


「晩御飯は?」
「これからです」


カヲルの言葉にユイはちょうどいいわ、と破顔した。


「じゃあレイと一緒にご飯食べていきなさいね。
まもなく主人もシンジも商店街の夕市から帰ってくるから」
「分かりました・・・・買い物・・・・?」
「そのようだね」


10年前と変わらない色つきのサングラスをかけた、ひげ面の怪しすぎるおっさん。
線の細い頼りなさげな少年。
誘拐犯とその被害者に間違われやしいかという失礼すぎる感想を胸にカヲルとレイは靴を脱いで碇家の玄関に上がった。


「カヲル君、綾波!!」


カヲルたちの姿を見るなり、喜び勇んで食卓に飛び込んできたシンジにカヲルたちは口元をほころばせた。シンジのすぐ後ろに続いていたゲンドウがサングラス越しにじろりと彼らを見やったが、その奥で瞬く優しい光が二人の歓迎を暗に告げていた。




「ほう、メロンか」
「ええ、それがとても立派なの。あとでよく冷やしていただきましょうね」
「うむ」


ユイの手から注がれたビールをゆっくりと味わいながら、ゲンドウはユイの手料理に手を伸ばす。和風でまとめた惣菜はどれも味付けは完璧で、ビールによくあう。ゲンドウが夕市で買ってきた新鮮なイカも刺身となってたっぷりのしょうがが添えられていた。


「シンジー、しょうゆー」
「あ、これ?」


アスカが差し出した手にしょうゆを渡してあげながら、シンジもおかずを手早く自分の採り皿に分けていく。まったくをもって手抜かりがない。


「肉、いらないから」
「わかってる」


カヲルはカヲルでわがままなお姫様のために料理を取り分けてやっていた。


「ユイ、お前も一杯どうだ」
「ありがとう。じゃあ少しいただくわ」


ゲンドウから差し出されたビールにコップを向け、ついでもらうと、ユイは上品にゆっくりと口にした。その様子を見てカヲルとレイは感嘆の声を上げる。


「・・・・お母さんと大違い・・・・」
「同じ血を引く姉妹なのになんでこうも違うんだ、驚異に値するよ」


レイの母、ユニは風呂上りのビールを大ジョッキにこれでもかっというくらい注ぎ、一気飲みをするのが習慣だった。


『ぷっはぁっ〜〜〜〜!!くぅっ、やっぱ風呂上りのビールはさいっこう!!』


そのあと椅子の上に膝を立てて座りなおすとイカの干物とかを豪快に食いちぎってご満悦なのである。完全にオヤジであった。


「ミサト先生みたいだ・・・・・」


カヲルたちの話を聞いたシンジの言葉にユイが思い出したように笑った。


「ああ、そういえばユニは葛城さんと同級生だったわね。確かクラスメイトで友人。だから似ているのかもねぇ」
「同級生・・・」
「クラスメイトぉっ!?」
「友人・・・・ね」
「類は友を呼ぶ、ってやつかなぁ」


初耳ともいえる事実に子供たちはそれぞれの感想を述べている間、ユイは昔を思い出すように遠くを見やる。


「そう・・・あの子もシンジと同い年ではしゃぎまわっていた頃もあったのよ。私は歳が離れていて・・・。一緒に遊ぶ事はなかなか出来なかったから・・・・そんなあの子達を見ているとうらやましくて」
「ユイ・・・・」
「あら、やだ。こんな事を思うなんて歳とりすぎたのかしら・・・・」


哀しげに微笑むユイの肩にゲンドウの大きな手が置かれた。


「何を言う。君は若い」
「あなた・・・・」
「ユイ」


ユイの白い手が肩に置かれたゲンドウの手と重なった。


「シンジ!!そこの酢の物!!入ってるエビばっか食ってるんじゃないわよ!」
「いちいち見てないよ、そんなの!!」


甘い空気が漂うなか、そんな二人にお構いなしに、シンジとアスカの間で熾烈なおかず争いが繰り広げられていた。


「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」


そんな二人を前に勝手にしてくれ、とカヲルはもくもくと食事を口に運ぶ。


「おば様たちのノロケで食欲がなくなったわ」


ゲンドウとユイのやり取りに片手で自分の顔をパタパタ仰ぎながらレイがわずかに顔をしかめて見せた。


「・・・・自分の皿をこれだけぺろりと平らげておいてよく言えるね・・・・。尊敬に値するよ」


おかず山盛りだったはずの皿がすっかりからとなり、うずたかく積まれたその数に、目をやりながらカヲルが呆れて息を吐き出すと、レイはレイでこれはまだ腹八分目にもならないわとやり返した。


「・・・・人間、腹八分がちょうどいいの」
「・・・・君のいう腹八分目は十二分だと思うのは僕だけかい」
「それはあなたの感覚。あなたはわたしではないわ」


・・・・一体月どれくらいの食費がかかっているのだろうかと綾波家のエンゲル係数を考え。
食に関する関心の十分の一でも自分にむけてくれたならと。
カヲルはうずたかく積まれた皿をやるせない気持ちで見やるのであった。


















あとがき

いつまでたっても恋人夫婦なゲンドウとユイ。
対してレイとアスカは食い気優先。
シンジは微妙。
前途多難すぎる恋にため息をつきたくなるカヲルでした。