One and Only

第1話

恋は一歩通行

















背中越しに感じる、ごつごつとした木の感触。
冷たい、青々とした緑のにおい。
耳元で通り過ぎてゆく風の音がする。
グラウンドからはホイッスルや歓声。

学校の敷地の外からは車のクラクションやタイヤの軋む音。
けれど。
今いる木の上ではその音も遠く

夏の焼きつくような熱は幾重にも重なった枝が
さえぎってくれてすこぶる快適だ。

そしてなによりも。
ここではうっとしくまとわりついてくる者も。
五月蝿くさえずるクラスメイトもおらず。
誰にも邪魔をされず、一人でいられる。

表面的には人好きを装っているものの
カヲルは基本的に一人静かにすごすのが好きだった。
人当たりのいい、優等生の仮面をかぶるのにも疲れた
カヲルは退屈な授業を抜け出し、
風の音や小鳥のさえずりを子守唄に
校庭の木の上で少し早めのシェスタに入ることにしたのだった。

まぶたの上をよぎる光の海。
きらきら。
きらきらと。
あたかもダンスをしているかのように踊る。
その心地よさにカヲルは徐々に
まどろみの海へとその身を任せていった。



「カヲル」


静かな声とともに突然、
ひやりと冷たい手に呼吸器の一つである鼻を強くつままれ、
カヲルは心地よいまどろみから強制的に引き戻された。
呼吸困難に陥り、咳き込みながら起き上がると、
幼なじみのレイが氷のような眼差しで彼を見下ろしていた。
無表情だが、背後に静かな怒りのオーラを漂わせている。
常人ならば青ざめてしまうくらいの迫力なのだが、
何年も生活をともにしてきたカヲルには通用しない。


「うるさいな、なんか用」


そして無論、この幼馴染の前では人当たりのよい
優等生を演じる必要もないのだ。
カヲルは不機嫌そうに鼻を鳴らすと再び目を閉じた。
レイはそんな彼の態度が気に食わなかったらしく、
形のよい方眉をわずかに吊り上げた。


「うるさい・・・・?」
「うるさいものはうるさい。昼寝の邪魔」


目を閉じていても幼なじみがどんな顔をしているかは想像はつく。
この幼馴染は普段感情の起伏は乏しく、めったに感情を表さない。
人付き合いが下手で自らあまりすすんで
人と関わりを持ちたがらないくせに寂しがりや。
他人に対してはなにかと読みが鋭いのに
何故か自分のこととなるとてんで鈍い。
彼の親友の鈍感王、シンジとタメを張れる鈍さ。
しかも双方とも それに気づいていないのだから殊さらたちが悪い。
だが母性かなんなのか分からないが、
レイは意外と後輩たち(特に子供)に対しては面倒見がよく、
後輩たちは彼女を母や姉のように慕う。


・・・・それだからこちらの気持ちなどお構いなしだ。


自分がレイのに対する気持ちなど、知らないだろうし、
知ろうとも思わないだろう。
今もレイは自分の後輩のために 抗議しに来たのだ。
・・・・制服のスカート姿で自分が寝ている木の上にまでよじ登って。


「・・・・全くこんなとこまで他人のために怒鳴り込みにくるなんて、
たいしたお節介焼きだね。君は」
「・・・・そう思うのだったらもっとましなところで昼寝なさい・・・・」


・・・・論点がずれてる気がする・・・・。
いつものことだが。


「本題」


聞かずとも分かっていたが、カヲルは目を閉ざしたままとりあえず話をうながした。


「あ・・・・忘れるところだったわ」


ぽんと手をたたく音。


・・・・天然。


冷静沈着で何事にもそつがないように見えるが、
実は結構抜けているところがあるレイを
カヲルは目を開けてあきれたように彼女を仰ぎ見た。


「カヲル・・・・あなた私の可愛い後輩の魂のこもったラブレター、
読まずに突っ返したでしょう・・・・?」


射抜くようなつめたい視線をカヲルに注いだまま
絶対零度の声色でレイは問うた。


「何とかお言い、この冷血漢」


自分が関心持つ者以外にはとことん冷淡な癖に何を言う。
カヲルの口からため息がこぼれた。
そんな彼にお構いなしに、レイは口を閉ざしたままじいっと
彼の言葉を待っている。
このままでは永遠にここに居座るだろう。
カヲルは静かに瞬きをするとレイの方へと体の向きを変えた。


「余計な希望持たせる方がよけい悪いだろう?・・一度で懲りた」
「う・・・・」


カヲルが皮肉たっぷりにレイを見やると、レイはたじろいだ。
表面的には無表情なままだったが、
わずかに冷や汗をたらしているのが分かった。







数ヶ月前のことだ。


レイはカヲルの前に部活の後輩を連れてくると
いきなりその子を紹介しだした。


「この子、私の後輩。あなたのこと、好きらしいの」
「・・・・は?」


レイの唐突な言葉にカヲルはぽかんとした。

それがどうしたというのだろうか?
だがそれよりも。
レイが恋のキューピット役を買って出てきたことが
カヲルにはショックだった。


言葉を失い、ただ目をしばたたかせるカヲルに
畳み掛けるようにレイは言葉を続けた。


「あなた、まだ恋人、いなかったでしょう?付き合ってあげて」
「いないけど、何で・・・・」
「私のこと、嫌いですか?」


自分の言葉に被さるように割ってはいってきた少女にカヲルは
ちらりと視線を向ける。
レイと同じく小柄。
まっすぐな黒髪で肩のところで 綺麗に切りそろえられている。
その少女は必死な表情で彼を見ていたが、
顔も知らないのに、嫌いも何もないだろうと
カヲルは冷めた気持ちで 彼女を見返した。


「だから知らない君となんで」
「ものは試し。いいわよね?」


なぜつきあわなければならないのかと言うカヲルの言葉を遮り、
レイは有無を言わさぬ迫力でカヲルの交際を取り決めてしまい、
彼は顔も知らない女の子とつきあう羽目になったのだ。
カヲルとしてはめんどくさい上に迷惑極まり無いことだったのだが・・・・。
あえて逆らわずにこの知らない子でつきあったのは
レイの気を引けるかもしれないというかすかな願いもあった。




このようにつきあい始めた二人だったが、
結局一月もたたないうちに破局となった。


いつだったかは はっきり覚えてない。


ただ、雨の降る、寒い日だった。
ふたりで傘を差し、肩を列べて歩いた映画の帰り道。
映画は一般的な 恋愛もので、
カヲルにとってその内容はこの上なく陳腐で退屈なものだった。


くだらない。
なぜああも仰々しいものなのだろう。
現実とは かけ離れすぎていた、ばかばかしい内容。


映画の内容もデートのこともすっかり意識の隅へと追いやり。
さて明日の日直は僕と誰だったけな、
とカヲルは意識を既に明日の方へと向けていた。
 

そして交差点で信号待ちをしていたとき。
さっきまで黙って隣を歩いていた 少女が不意に口を開いた。


「渚先輩、綾波先輩が好きなんでしょう?」
「・・・・・」


カヲルは彼女の言葉にとまどいつつも 「ついに来たか」と思った。
だが気持ちは思いのほか冷めていて、
それを冷たいねぇ、と苦笑するもう一人の自分がいる。
カヲルは 何もいわず、少女の方へと顔を向けた。


「知ってました。渚先輩、いつも綾波さんの事いつも見ていたし。」
「いつから」
「最初から。私、渚先輩のことずっと見てたから。
でもつきあえたら 好きになってもらえるかなって・・・・・。
もしかしたら、と思っていたけど、 やっぱりだめ・・・・みたいですね・・・・」
 

うつむいてきゅうと唇をかみしめながら、言葉を絞り出す少女。
彼女の表情は黒髪に隠れて見えなかったが、たぶん泣いているのだろう。
彼女もカヲルの気持ちに気づいていた。
他人には見えているのに、なぜレイ本人には伝わらないのだろうか?

そんなことを考えながらカヲルは 少女越しに
ぼんやりと灰色の景色を見つめる。
ちかちかと信号の色が 変わり始める。


「今までありがとうございました。じゃ、さようなら」

 
そう言うと少女は信号が変わり始めた歩道を走ってわたっていった。
カヲルは後を追わなかった。



「それで追わなかったの。冷血漢。人でなし。馬鹿。
アスカじゃないけど、あんた、馬鹿」

 
話(とはいっても一部省略され、かなり簡潔になっている)を
聞くなり怒り出したレイをカヲルはうるさげに一瞥すると、
家政婦のはるがいれたお茶を静かにすすった。

現在、カヲルの両親は海外に長期出張中で
カヲルは綾波家に預けられている。
綾波家はレイの母親、レイにカヲルしかおらず、
レイの母親はシングルマザー(いわゆる未婚の母)なので
父親はいない。
そしてレイの母親は作家で全国を飛び回り、家を空けることが多く、
通いの家政婦であるはるが家を切り盛り していた。
ちなみにレイの母親はシンジの母親、 ユイとは姉妹である。


「・・・・のんきに茶をすすっている場合・・・・?」


怒りのあまり、今にもポットのお湯をカヲルに
ぶちまけそうな物騒な空気を漂わせるレイを
家政婦のはるは後ろではらはらと見守っている。
カヲルはそんなレイを恐れる様子もなく、彼女を一瞥した。


「僕は君の人形じゃない。僕のことは僕の意志で決める」
「・・・・でも。・・・・あの子、かわいそうよ・・・・」


カヲルの凍えるような冷たい声にレイは一瞬言葉を詰まらせた。
それでも後輩のためにあくまで食い下がろうとする。
なぜそこまでするのだろうかとカヲルは内心いらだった。


「最初からお膳立てなんてしなければ良かっただろう?
自分のことは自分で決める」

いつになく拒絶を示すカヲルの態度に、
レイはそれ以上 追求する事ができず、小さく溜息をついた。
だが不満は消えず、ソファーに腰を降ろすとクッション越しに
非難のまなざしを向けた。
・・・・もちろんカヲルは素知らぬ顔で無視を決め込んだ。。



 


後日、レイは後輩の下へ謝りに行った。
少女はレイから話を聞くと苦笑した。


「・・・・何だ。結局渚先輩、言わなかったんだ」
「・・・・?なにを?」

話をつかめず首をかしげるレイに少女は少し皮肉をこめて笑った。
彼女の精一杯の強がりと・・・・。
最後の意地悪。



「教えてげない。自分で答え見つけてください、先輩。
先輩は優しいけど。少し、周りを見ないところあるから」





そんなやり取りを思い出し、レイはポツリとつぶやいた。


「周りを見ない・・・か・・・」
「何を今更」


そんなレイに間を入れずにつっこんだカヲルを
むっとして睨むレイだったが、ふと真剣な顔になる。


「カヲル、あなた好きな子、いるの?」
「え・・」


ぎょっとするカヲル。


ここはチャンス・・・・かい?


心臓が早鐘のように鳴り出し、彼の白い頬が見る間に赤く染まってゆく。


「・・・・・」
「周りを見ない、か・・・・。言われてみればあなたのこともよく分かってないもの」


珍しく無表情を崩し、考え込んだ表情で顔で黙り込むレイを前に
カヲルは狼狽した。


ここは告白すべきか。
でも木の上でかい・・・・・・。


もう少しましな場所で
寝ていれば・・・・・と思考している間、
レイはぱっと顔を上げるとそんな事など
さほどたいした問題ではないというように
こう言った。


「・・・・ま、いっか」


いくら考えても、あの少女の言いたかったことは分からない。
分からないことをいつまでも考えても仕方ないこと。
そのうち、分かるわ。
・・・・・たぶん。
だから今はよしとしよう。
ええそうしましょう。

勝手に自己完結して満足そうな笑みを浮かべたレイだったが、
収まらないのはカヲルのほうだった。


・・・・・ま、いっか・・の一言で片づけられた。


さっきまでの自分が非常にばかばかしくなって、
カヲルは逆に怒りがこみ上げてきた。

「考えても答えは出ない。カヲル、あなたもいう気はないのでしょう?
・・・・カヲル?」
「・・・・ろ」
「?!」


ただならぬ気配にレイは顔をかすかに引きつらせた。
常に冷静沈着のつもりなのだが、今のカヲルの前では
そうはいっていられない。


「落ちろ、今すぐ」
「・・・・落ちろじゃなくって降りろ、間違いでしょう・・・・?」
「同じだね」
「・・・・殺す気」


木の上でがさがさともみ合う音が下からも分かるくらいに聞こえてくる。
同様に木も他所でやってくれ、と言わんばかりに迷惑そうに激しく揺れている。


「何やっとんのや、上で」


その木下ではトウジとケンスケが呆れたように木を見上げていた。


「毎度毎度のことでよく飽きないね、夫婦げんか」
「ほんま、シンジ達と変わらんやっちゃなー」


第三新東京市は今日も平和だった。









あとがき



以前某掲示板で投稿していた
学園パロディ、幼馴染シリーズ。
カヲルを主役に、アンケートによりヒロインを
リナレイから本編レイへと変更して再構成しました。
レイの設定は感情表現の下手な普通な女の子。
カヲルはちょっとひねた貞元カヲル。
エヴァに登場してきた本来の主役であるシンジはもちろん。
アスカたちも登場予定です。
そしてオリジナルキャラであるレイの母、
家政婦のはるが登場してきます。
ちなみにレイの母はなにかと出張ってきていて、
名無しのままでは苦しくなり。
やっぱり名前があったほうがいいと意見をいただきましたので
ユニと命名しました。
ヒロインが動から静へと変わり、
初期プロットがどこまで変わるか・・・・。
お付き合いいただけるとうれしいです。