僕の道標

















「うっわー、降ってきたわよ」



アスカの声に僕は窓の方へと目をやった。


授業も全て終了し、一日もあと残す事わずかになった午後遅く。
さっきまでの明るい空はどこへやら。
いつのまにか空一面を覆いつくしていた灰色の雲から生まれた大粒のしずくが一粒また一粒とグラウンドの土に不規則な模様をつくって行く。



「雨だね」


ポツリと洩らした僕の一言にアスカが僕をじろりと見た。そんな彼女の顔は怒りに満ちていてその端正な口元からは牙を生やさんばかり。まるで般若のように、と口が裂けてもいえないことだけれども、まぁ弁解すると愛嬌のある般若というべきか。


「見りゃあ,分かるわよ。今日は晴れると言ってたくせにインチキーーッ!!」


不機嫌さ全開にしてダンダンと床を踏み鳴らすアスカ。周囲のクラスメイトたちが何事かと好奇の視線を向け、担任の教師が渋い顔を向けてきたけれどお構いなし。それがいかにも彼女らしくて、おかしくて口元に浮かび上がってくる笑みをこらえるのが一苦労だった。


「傘は?」
「あんた,馬鹿ぁ?降水確率10%以下。晴れるって言ってたから持ってきてないわよ!」

アスカは雨が嫌いだ。それが濡れるだけが理由ではない事も僕は知っているから彼女がこんなにも不機嫌なのだと分かる。つらい、思い出があると知っているから。そうは言っても自然には逆らえない。彼女が怒り狂おうが雨はやまないだろう。ここは一つなだめて怒りを静めてもらったほうが周囲にとってもいいし、彼女の健康にも良いだろう。


「まあまあ。怒っても状況は変わらないし,疲れるだけだよ?」
「うっるさあい!あんたこそ、こういうときによくまぁ、のほほんとしてられるわね!」


なだめるつもりが逆に火に油を注いでしまったようだ。
おまけに怒りの矛先がこちらに向いてしまった。
困った,と思ったそんなとき。


「しょ、しょうがないよ、天気予報だって外れることだってあるんだから。いまさら騒いでもどうにもならないよ,アスカ」


ちょうどいいタイミングで、シンジ君が僕達の間に割って入ってきてくれた。


助かった。


ホッとしてシンジ君に感謝の笑みを送ると、彼もにっこりと笑顔を返してくれた。

そして頭で茶を沸かさんばかりに湯気を出して怒り狂っているアスカを彼はなだめにかかる。


周りも見てみぬふりをして退却か傍観の姿勢だ。
トウジ君やケンスケ君はアスカが騒ぎ始めるや否や巻き込まれてはかなわんといわんばかりにそそくさと離れていってしまって薄情にも教室の反対側の安全地帯からこちらをうかがっている。委員長も心配そうに二人を見てはいるが,割ってはいる気配はない。

レイは昨日、深夜まで続いたシンクロテストで今日は休みだ。今いる中でアスカを静められるのはシンジ君だけ。じゃれあいにも見えなくはない二人のやり取りを見て、いつもは隣でアスカをけん制してくれていたレイの不在を寂しく感じた。

アスカのなだめ役はシンジ君に任せるのが一番好い。なぜならシンジ君はアスカとの長い同居生活で彼女をなだめすかす術をよく知っている。何だかんだ言って彼が一番長く彼女の傍にいたのではないだろうか。もしかしたら彼女の両親よりも、長く。

周りもそれがわかっているのだから敢えて口は出さない。
いや、出せないと言うべきか。
それとも出したくないと言うべきか。


・・・両方だろうね。


ちなみに僕は後者だ。
彼女のテンションにはちょっと敵わない。



年寄りじみた自分の思考にふと苦笑した。
冬月副司令の影響かな。



冬月コウゾウ。
僕の保護者。


「近頃の若い者にはついていけんよ。歳だな」
「何言っているんですか。まだ若いでしょう」
「何を言う。私より君だよ。若い身空でそんなに年寄りじみていてどうする」


ネルフに身を寄せてからの生活は僕にとって新しさや驚きの連続だった。今までの僕は純粋に自分のために,そして他人のために言葉を使ったことも,考えたりも何かをしたこともなかった。

ゼーレに言われるがままに彼らの言葉を自分の言葉と思い込んでただ生きていただけだった。

だからあの時。

アダムと思って対面したのがリリスと知ったとき。
今まで僕は何のために存在していたのかわからなくなった。

やはり生きるのはシンジ君達リリンの方なのか。
そう思ったとき。



僕は死を選んだ。



そしてサードインパクト。
ひとつの終わりと再生を迎えた今。
僕は光の中に生きている。


純粋に笑い。
泣き。
悩み。
そして怒る。


そんな毎日。


そんな今に戸惑い,受け入れるのが精一杯でシンジ君やアスカのようにはまだなれない。彼らのようになれるとも思えないけど。

僕はそんな二人がうらやましい。

・・・・レイ。
二人を見ていると君に逢いたくなってしまったよ。
一日と離れていないのに。






「カヲル君はどうする?」



シンジ君の声にふと我に返った。
気がつくとホームルームはとっくに終わっていて,皆帰り支度をはじめていた。



「なによ、あんた。目開けたまま寝てたわけ?器用なやつねぇ」


シンジ君の隣でアスカがあきれたようにこちらを見ている。


「寝ていたとは失礼だね。物思いにふけっていたと言ってほしいな」
「長すぎるわよ」
「アスカ!」


揶揄するような口調を向けてくるアスカにシンジ君が顔をしかめるとアスカも負けじと彼を睨み返す。

「何よ,馬鹿シンジ、あんたどっちの味方なのよ?」
「なんでそういう方向になるんだよ?」


・・・こんなふうに僕の存在を忘れて二人はいつもの喧嘩を始めた。トウジ君やケンスケ君いわく「夫婦喧嘩」というやつらしい。


喧嘩をするほどなんとやら。
・・・かな?


「あんた,最近やたら反抗するわね。馬鹿シンジの癖に生意気なのよ!」
「いててて,何すんだよ,アスカぁ!」
「うるさいわねっ!!」


ギリギリとシンジ君の首を締め上げにかかるアスカ。
先程の威勢の良さはどこへやら。打って変わってやられっぱなしのシンジ君。


「ぐえ・・、わ、笑っててないで。・・・・助けてよぉ,カヲルくーん」
「おだまり!!こいつにはしつけが必要なのよ!下僕のクセに!!」


この光景が今の二人にあまりにも似合いすぎていて自然とまた笑みがこぼれる。それは周囲もまた同様だったみたいで彼方此方からクスクスと笑い声が聞こえてきた。


ちょっと可哀想な目に会わせちゃったかな。
アスカも手加減すれば好いのに。
でも、みててあきないなぁ、うん。


そんな僕に毒気を抜かれたアスカはシンジ君を離すとあきれたように僕を見た。
解放されて咳き込むシンジ君。


「・・ったく、なんか調子狂うわね,あんた」
「そうかい?」
「年寄りくさいっ!!」


びしぃっ!!という擬音がついてきそうな勢いで指をつきつける。


「あ、それ言えてるかも・・・」


彼女の隣でシンジくんもぼそりと。



む。
少しばかりむっときたね。



「ひどいなぁ,シンジ君。君もかい」
「え、あ、あ、の・・。それは悪い意味でなっくって。ええと・・」
「親友に討たれたシーザーの気分のようだよ・・」
「ち、ちがうよ、カヲル君!」

ブルータス!君もか!!ってね。

少しばかりすねた素振りを見せてそっぽを向くと視界のすみでシンジ君が泡を食って頭を抱えながらしきりに考えてあっちをうろうろ。
こっちをうろうろ。
必死に僕へのフォローを考え中なのが見えた。
こっちはからかったつもりなのに,真剣に捕らえてしまうのはシンジ君らしい。


あ、つまずいた。
膝を思いっきり打ったらしく,のた打ち回ってる。

あ。
今度はおでこを強打した。

・・・・・。
・・・・・・。
僕は思いっきり悪いことをした気分になった。


「あんた,馬鹿ぁ?何踊っているのよ?」
「アホちゃうか?」
「思いっきりアホだね」


トウジ君とケンスケ君は腹を抱えて大笑い。
アスカも笑いをこらえながら再びこちらへ向き直った。痛みにうずくまるシンジ君をほったらかしにしたまま。


「いいのかい?」


一応心配して見せると、アスカはシンジ君を一瞥して軽く鼻を鳴らした。


「あいつはしぶといから、あれくらいで死にやぁしないわよ。それより、あんた」


びしぃっとまた指先が鼻先に突きつけられた。それより、という言葉からシンジ君は後回しで僕になにやら言いたい事があるようだった。


「ん?なにかな?」
「なにかな、じゃないわよ。どうにかしなさいよ、その言動」
「?」


意味を取れないでいる僕に彼女はふかーいため息をついた。


「遠い目するんじゃないわよ、ってこと。あんた、時々ふっ,といなくなりそうな危なっかしさがあるからさ」
「心配してくれてるのかい,嬉しいねぇ」


げしっ。
アスカの蹴りが脛にきれいにはいった。
・・・痛い。


「茶化すんじゃないわよ,蹴られたい?」
「もう蹴ったじゃないか」
「ちょっと順番が入れ替わっただけじゃない!男の癖にうだうだ
言うんじゃないないわよ!」


かなり理不尽のような気がする。大いに不満な僕を無視してアスカは更に続けた。

「ファーストもそうだけど、あんたはもう一個の個人なのよ?道具でもない、誰がための存在でもない。あんた自身のためにあんたは存在してんの。分かってる?」


虚をつかれた言葉に僕が返事に窮していると分かってるの、と彼女は繰り返した。


「・・・・・ああ、分かっているよ」
「ほんとうにぃ?」


いぶかしげに覗きこんでくる紺碧に僕は微笑んで見せた。彼女を安心させるように。


「もちろんだよ、ありがとう」
「わかりゃあいいのよ、ふん」







本当だよ、アスカ。
僕は今自分のために生きているから。
どこかへ行くには残してゆくものが多すぎるからどこにも行かないよ。
でも君の気持ちが嬉しい。
ありがとう。









傘をくるっとまわすと水玉がくるくると宙に舞う。
はじけては飛んで、はじけては飛ぶ。
まるでダンスみたいだ。
そんな光景がめずらしくて僕は幼子のようにひたすらそれを繰り返す。

水は落ち着く。
たとえこんな雨の日でも。
LCLの中でまどろんでいた遠い昔を思い出す。


誰だか思い出せないのだけど仮にも「彼女」としよう。
『彼女』は銀河いっぱいに生命を広げようとアダム、そしてリリスを含む無数の生命の箱舟を放った。

アダムはこの地球へ。
別のところへと旅立つはずだったリリスはこの地球の引力に捕らわれ,共に同じ星へと落ちた。

でも。

彼女が同じ星に落ちたのは、もしかしたら「アダム」が「リリス」と
離されるのを拒んだせいなのかもしれない。
・・・・・今となっては分からないけど。


そのアダムの魂は僕の中にある。
サード・インパクトの後、静かに眠っている。
リリスと違って表に出ることはなかったけど,リリスの復活に呼応して彼の気配をはっきりと感じられた。シンジ君を導くときに手を貸してくれた。


「僕の時はもう終わっている。これからは君には自分の為に生きてほしい。僕の分まで。彼女と共に」

僕は彼女と歩んで行けなかったけど、君なら出来るだろう。
『彼』はそう言って寂しそうに微笑んだ。

彼女。
彼の半身,リリス。
リリスの魂は今ファースト・チルドレン。
綾波レイの中にある。



少し前のLCLの海の中でレイと再会して二人で手を取り合ってこの世界に戻ってきた。
彼女も水みたいだ。
一緒にいると安心する。
彼女の隣こそが僕の居場所なのだから。



・・・・逢いたいな。



逢いに行ってしまおうか。
寝起きできっと不機嫌かもしれないけど、無性に逢いたくなってしまったから。



「あ・・・・」



ふと視界に前を歩く水色の傘をとらえた。

・・・・・レイだ。
徹夜からの眠りから覚めたのだろう。
ネルフに向かっているみたいだ。


逢いたい。


そう思っていたときだったからそのタイミングの良さに嬉しくなって。
彼女の背中に追いつこうと僕は足を速めた。














あとがき
レイの出番がほとんどないカヲレイ・・・・。でもカヲル君の想いを書けたらな・・・・と書きました。設定はゲームのエヴァ2からも抜擢してます。余談ですが、PSPのゲームでもカヲル君、レイの事をかなり気にしているみたいですよ(笑)
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