あなたがいるから




コンコン。

窓を叩く音がした。
ここは4階。
それもこんな夜中に窓から訪問する人は一人しかいない。


「入れば?」


声をかけるとカラカラと窓が開いた。
窓から現れたのは一人の銀髪の少年。


「やあ、こんばんは」
「こんな時間に何?」
「月夜があまりにも綺麗だから」
「そう」


こんな時間にこんなところから訪問しておきながら悪びれたそぶりを一つない。
気を許した相手には遠慮を見せないカヲル。
毎度の事だからわたしはもうあきらめの境地にいる。
だけど、彼のそんなそぶりや行動はわたしに気を許してくれているということだから悪い気はしない。
いえ。
むしろとても嬉しくて、ついつい甘やかしてしまっているいるような気さえする。
彼が音もなく部屋に入るとひやりとした夜の冷気が私に触れた。


「寒くなかったの?」


季節が戻りつつあったこの地上に冬がその気配を見せ始めたというのに
彼は上着も着ておらず、いつもの制服姿だった


「え?歩いたらそうでもなくなったよ」
「風邪、引くわよ」


にこやかに微笑む彼に半ば呆れながらわたしはやかんを火をかけた。
わたしの部屋にストーブも給湯器もない。
でも強力なコンロならある。
やかんの湯気と温かいお茶で体を温めればいい。
程なくしてやかんが音を立て始めた。


お茶の湯気が部屋に立ちこめる。
差し出された温かいお茶を嬉しそうに受け取ると彼は安心したように息をついた。


「どうかしたの?」
「?何が?」
「ここに来たのは何かあったから、なんでしょう?」
「用がなかったら来ちゃいけないかい?」
「・・・・別に」


押し問答は無駄な労力。
わたしはそれ以上なにも聞かずに煎れたお茶に口を付けると,静かに彼の言葉を待った。






「・・・・・昔の夢を見た」


どれくらい彼は黙っていたのだろう。
視線をお茶に注いだまま、かれはぽつりとそう、つぶやいた。



「周りに沢山人がいて楽しそうなのに僕は一人それを見ているんだ。みんな僕に気付いているはずなのに誰も僕に話しかけない。・・・・僕も話しかけられない。寂しくて、哀しくて・・・・目が覚めた」
「・・・・」


見るといつもの笑みは無くて彼の手がわずかに震えていた。




『あんたの無表情とあいつの笑顔はおんなじようなものね』


いつかアスカが言った事があった。
いつもニコニコと能面のように笑みを張り付かせ、本当の感情が読めないからと。
そう?というと彼女はそうよ!と語気を強めて返してきた。


・・・・そうなの?
ちょっとした表情や仕草の変化が確かに存在しているというのに。
カヲルはわたしより多くの感情を知っているけれど、彼はそれをうまく表せないだけ。
だから笑う。


それは何故?


それは彼は一人の孤独を知っているから。
悲しみも寂しさも忘れるために笑ってきたから。
笑うことは彼自身が傷つかないための自己防衛。
それはいつしか彼から感情を奪って行ってしまった。


彼の過去に何があったのかは知らない。
彼が使徒として目覚めるまでの15年間、彼の人生があったのだと思う。
でも彼には避けられなかった運命があって、全てを捨てなければならなかった。
それが幻影となって彼の前に現れるときがある。
これは推測に過ぎないのだけれど。


「怖かったのね」
「君がいて。シンジ君がいて。アスカや赤木博士がいて。家族のような副司令もいる。皆がいる」


湯飲みをもつカヲルの白い手に手に力が篭る。


「いなく、ならない・・・・かな」


あのときのように、とつぶやくあなた。
わたしは腕を伸ばして彼の華奢な背中を包み込んだ。
ああ、彼の背中はまだこんなにも冷たい。


「誰もどこにも行かないわ。あなたもどこにも行かない。そうでしょう?」


あの紅い海であなたはそう約束してくれた。
わたしを一人にしないと。
だからわたしもあなたを一人になどしたりしない。
例え世界中があなたに背を向けたとしてもそれは変わらない。
あなたがいるからこそわたしがいる。
あなたがいたからこそわたしがいるのだもの。


あなたのいない世界に何の意味があるというの、わたしに?


今だってこんなにも近くにいるわ。
聞こえる?わたしの心の音。
分かる?わたしの存在。
わたしはあなたの、傍にいる。


「・・・・ああ、そうだったね」


カヲルから回されてきた腕が同様に私を包み込んだ。
彼の体温が頭のてっぺんから足のつま先までゆっくりと浸透してくる。
懐かしくて、眠たくなるような、そんな感覚。


「碇君もアスカも副司令も。皆どこにも行かないわ」


あなたが誰の手も届かない遠いところへ行こうとするのなら皆はあなたを引き止めるでしょう。
碇君なら泣いて。
アスカだったらあなたを殴って。
副司令は静かにあなたを諭して。
みんな、思い思いの気持ちできっとそうする。


あなたはもう一人じゃない。
タブリスでもない。
アダムでもない。


「カヲル、なのよ」


その一言にカヲルはその身を離してわたしを見た。
湖水をたたえたを鮮やかな血の色。
月の光を受けてキラキラ光るそれは溢れて彼の頬を伝った。
月明かりの中で揺れる彼の紅は本当に美しくて引き込まれそうになる。
不意にくん、と腕を引っ張られる感覚にわたしは抗う事が出来ず、彼に引き寄せられるまま互いの頬が触れ合せた。
そのまましばらくひやりとした濡れた感覚を感じていると、彼は一言ポツリとつぶやいた。



「・・・・そうだね」


まるで永い永い旅を終えたように彼は大きく息をついた。
月の光の中で抱き合うわたしたち。
互いのぬくもりの中で同じ夢を見る。



ねえ、カヲル。
わたし、いろいろな事たくさん言ったような気がする。
結局言えなかったけれど、わたしがあなたに伝えたかった事は二つあったの。
機会は逃してしまったけれど、いつか言えるかしら。


ひとつはあなたの傍にいたいということ。
二つ目はあなたが好きだということ。


誰よりも、あなたが好きだということ。





























あとがき



口にしないけれどレイもカヲルがすき。
少しずつ、自分の気持ちに気づき始めた頃の出来事。
前に書いた「秋と思い出と君」、拍手の「GoodDreams」とリンクしてます。

カヲルは使徒として覚醒前は彼には彼なりの人生があって、人として生きた時間があったと思うんです。
研究所とかに限定されていたのかもしれませんけど、その中で大事なものがあったとしても
不思議はないのではないでしょうか。
レイならカヲルの全てを受け止めてくれると思う。
逆も然り。
だからカヲレイが好きになったんだと思います。
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