昔,人間の王子に恋をした人魚の姫がいました。 嵐の夜,助けた彼にすっかり心奪われた人魚姫はひたすら想いを募らせる日々を送ってました。 彼に会いたい。 どうしても彼が忘れられない人魚姫は魔女に人間にしてくれるよう懇願しました。 魔女はこう言いました。 たとえ人間になったとしても、王子がお前以外の人と結婚したときは,次の朝日が昇ると共にお前は水の泡となってしまうよ。 それでもいい。 人魚は迷いもなくそう答えました。 そして美しい声と引換えに人間となったのです。 しかし彼女の想いに気づかぬまま、王子は隣の国の姫と結婚してしまいました。 失意の人魚姫の元に姉姫達が水面から姿をあらわし,一振りの短剣を渡します。 その短剣で王子を殺しなさい。 その血を浴びれば 元の人魚に戻れるわ。 人魚姫は王子を殺そうと部屋に忍び込みましたが、彼の安らかな寝顔にどうしても彼を殺すことが出来ません。 どうして愛する人を殺せましょう? 姫が短剣を海に投げ捨てると,水面は一瞬血のように真っ赤に染まりました。 そして朝日が昇り始めると同時に,人魚姫は海へ身を躍らせたのです。 魔女の言った通り、姫の体はみるみる海の泡となってゆき、海へと消えました。 でも。 人魚姫の想いは泡となっても、きらきらと淡い輝きを放ちつづけたのでした。 ――私は人魚。 消える事も許されず、望まれる事もなく。海の底でたった一人、存在し続けるだけの孤独な人魚。 海のそこでゆらゆらと揺れる景色。 どこまでも続く果てしない、蒼。 息を吐くとこぽこぽと水泡が現れては消える。 いつからここにいたのか、分からない。 役目を終えても泡になれず、もうずっと一人でここにいた。 だから私は待っているの。 私を見つけてくれるひとを。 私をここから連れ出してくれるひとを。 私を望んでくれるひとを。 もうずっとずっと待っている。 ふと私を呼ぶ声が聞こえた。 遠くて小さいけど確かに私を呼んでいる。 目を開いて見上げる。 でも見えるのはゆらゆらとした,果てしない水面だけ。 私を呼ぶのは誰? その声に応えようとすると足元の何かが私を引き留めた。 見ると無数の水草が足に絡み付き、ゆらゆらと揺れていた。 再び私を呼ぶ声。 でもさっきより遠くなっているように聞こえる。 待って。 今,行くから。 私を置いていかないで。 一人に、しないで。 必死にもがいても,水草はいっそう絡みつくばかり。 声をあげようにも唇から漏れるのはこぽこぽといった泡の音だけ。 声の主にとどくはずもない。 ……やがて声の主はあきらめたのか。 ぱたりと声がやんだ。 また私は一人ぼっち。 一人,水の中。 そこで目がさめた。 大木の下に私はいた。 木漏れ日の柔らかい光を感じる。 黄金色に色づき始めた葉の隙間からきらきらと光を散らす動きをぼんやりと目で追う。 徐々に回復してきた意識に今度は頭の下に人の体温を感じ取った。 そして私の頭を優しくなでる,長くて,細い白い指。 「どうしたんだい?」 子供をあやすような,やさしい声。 見上げると同じ紅い瞳が私を見下ろしていた。 頭の下の体温は彼の膝だったのだ。 ?いつのまに? いつから彼の膝の上で眠っていたのかしら。 混乱して軽いめまいを憶える。 ……でもさっきの夢の名残か。 頭の下の体温が、そして髪をすく指の感触に安堵を覚えた。 心の底からほっとする。 人魚姫。 ヒトは想いを抱いたまま一人消えていった彼女を哀れむのだけど、私は彼女がうらやましかった。 例え実らなくても一人を想いつづける事を許されていたから。 そしてその気持ちのまま逝けたから。 私は消える事を許されなかった。想う事も許されなかった。私には役目が、あったから。 決して叶うことのない、想いを抱えたまま在り続けるしかならなかった。 「私のこと,好き?」 彼は笑みを深くして答えた。 「言わずもがなさ……。好きだよ」 言うまでもないときっぱりと言いきった彼だったけど,彼の手のひらは少し汗ばんでいた。 これは緊張の証。 そして,平静を装いつつも、彼の白い頬は紅潮していた。 「うれしい。からだ中がくすぐったいかんじ」 彼の言葉が嬉しくてつい、気が大きくなってしまったのだろう。体を起こすと勢いのまま彼の頬に口付けた。 驚きか戸惑いか。 ほんのりと色を帯びていた赤みがさらに濃くなり、彼は硬直した。普段見られない彼の狼狽振りにさすがにやりすぎたかしら、と後悔しかけたとき。 彼はそのまま腕を背中に回して抱きしめてくれた。 暖かい腕と唇の感触。 彼からは太陽の匂いがした。 私も彼に腕を回して、抱き返した。 強く強く。 人魚姫は愛する人の為に海の泡となった。 想いを抱いたままたったひとり、消えていった。 私は消える事もできず、居場所さえも失った。 残ったのは想いだけだった。 吐露する事もできず許されず。想いを抱えたままずっとひとりぼっちだった。 でも、もう私は一人じゃない。 私を想ってくれる人がいる。 そして芽生えた、新たな想いが私を海の底から出してくれた。光の中へと。 「カヲル、あなたが……好き」 孤独な海の底は遠い記憶の彼方。 もう思い出すこともないでしょう。 あなたが、いてくれるのなら。 あとがき 私的見解ですが、レイってゲンドウへの想いが強かった気がするんです。ゲームでもそんなかんじで、そうでないと自爆の時、最期に見たのはゲンドウだったという説明がつきません。本人は土壇場まで自覚できていなかったようですけどね。シンジへの気持ちは母に近い気がするって思うんですが、どうでしょう? ゲンドウにもシンジにも望まれず、たった一人だったレイ。彼女のよりどころはカヲルだといいな、と思って今回書きました。 |