鬼ごっこするものよっといで
この木のぐるりへよっといで
右手をあげてかけといで

かくれんぼするものよっといで
この石だまりによっといで
左手あげてかけといで

口笛ふきふき じゃんけんぽん
ぶらんこゆらゆら あいこでしょ
蛙跳びするものよっといで
この子の後ろへよっといで
両手をあげてかけといで

鬼ごっこするものよっといで






















おーにごっこするもの……よっといで……























Recollection of onself,

the Beginning of the End




































人気の途絶えた、灰色の廊下を駆け抜ける靴音。


カンカン、カンカン。


先を急くその音は唐突に途絶えた。


「なにやってんのよ、バカシンジ!!」
「だって……ずっと走りっぱなしで……」


焦りを露に怒鳴りつけてくるアスカに辛うじて答えながら、シンジは咳き込んだ。

レイに――正確にはリリスの化身だが―鬼ごっこという命をかけたゲームをけしかけられたのは数十分前の事。

幼い少女は無邪気に笑い、二人を殺す、と宣言した。
無邪気な笑顔とは裏腹に紅い瞳に湛えた冷たい殺意から彼女が本気だということをアスカとシンジは容易に理解できた。

少女はただの幼い子供ではない。
人の形をした、人ならざるもの、人の始祖たるリリス。
彼らを殺す事など造作もないだろう。
だが少女はあえて彼らを殺さずに、鬼ごっこというゲームを持ち出してきた。100の猶予をも与えて。


「あのガキ、あたしたちをいたぶって楽しんでるのよ。イカレてるわ。もたもたしてると確実に殺される」


……殺される。


容赦のない事実が、冷たい恐怖がシンジの心臓をゆっくりと侵食して行く。鳥肌が立ち、足がガクガク振るえ始めた。

ようやく状況を飲み込み始めたシンジにアスカはやや呆れた眼差しを向けると、および腰になっている彼の腕を取り、引っ張り上げた。


「びびってんじゃないわよ。震えていればどうにかなるって訳じゃないの。あたし達は生きてここから出るの。分かってる?」


半ば自分に言い聞かせるように、そしてシンジを励ますようにアスカは
言う。以前の彼女なら怒鳴りつけてそれで終わりだったが、今は違う。


そう。
使徒と戦っていた頃の、そしてエヴァシリーズを一人で相手にしていた時の自分と違うとアスカは自負している。
冷静に状況を判断し、導いていける。
相手を見て、その出かたを伺う事も出来る。
少し、成長しているのだ。


「さ、行きましょ。あいつが追いついてこないうちに」


言葉が終わるか終わらないうちに幼い子供の童歌が響いてきた。



鬼ごっこするものよっといで
この木のぐるりへよっといで
右手をあげてかけといで



楽しげに歌っていた。
まるで遊んでもらって喜ぶ幼子のよう。
だが実際にアスカ達と遊びたがっているわけではない。
殺したがっているのだ。
この鬼ごっこはその前座。
童歌は悪意に満ちた、調べ。


「行くわよ」
「うん」


アスカがシンジの手を引いて走り出す。
力の抜けそうになっている足を懸命にしかりつけながら
シンジもまた走り出した。






――だが。







「……おかしい」


何度目かの角を曲がったあと。
狼狽を押し隠し、険しい表情でアスカがつぶやいた。
どんなに走りっても走っても同じ光景ばかりで一向に前に進んでいるように見えなかったからだ。何時もならとっくに出口にでていいはずだった。

シンジもその事に気づいて青ざめた。
嫌な予感を覚えて冷たい汗が背中を伝る。


アスカはそれ以上何も言わず、おもむろにポケットからペンを取り出すと壁に大きくバツを書いた。


「アスカ……!ラクガキはいけない……」


そう言い掛けて、睨まれたシンジは口をつぐんだ。アスカは訝しげな顔をするシンジに目もくれず、ポケットにペンをしまうと再び走り出した。慌ててシンジも後を追う

すぐあとに歌声がまた聞こえた。



口笛ふきふき じゃんけんぽん
ぶらんこゆらゆら あいこでしょ
蛙跳びするものよっといで
この子の後ろへよっといで




両手をあげてかけといで……





それからまた、どれくらい走っただろうか。
シンジの息が切れ切れになり、少し休もうと声をかけようとしたとき、前を走っていたアスカが突然足を止めた。勢い余ってアスカの背中にぶつかり、したたかに鼻を打って、尻餅をつく。
 
「なん……」
「やっぱり……!」


文句を言おうとしたシンジの言葉を遮り、アスカが大きく息を吐き出した。





何が、ととう前にシンジもアスカの視線の先に気づいて驚愕に
目を見開いた。

目の前の壁には大きなバツ印。
そう、大分前にアスカが書いたものだった。
その印が意味する事を悟り、シンジは恐怖のあまり、声を上げそうになった。
とっさに後ろにいるかもしれない少女の事を思い出し、無理やり悲鳴を飲み込む。シンジの心臓が早鐘を打ちはじめ、全身からは冷たい汗が吹き出た。


「アイツ……アイツ……!」


大きなバツ印を前にアスカは悔しそうに歯軋りをした。気丈に振舞っているが、彼女にも恐怖は確実に忍び寄ってきていた。自然と歯がカチカチと鳴り出した。


死ぬのは嫌死ぬのは嫌死ぬのは嫌。
天井からぶら下がった母の遺体。
襲い掛かる戦略自衛隊。
そして彼女と弐号機を蹂躙したエヴァシリーズ。
アスカの脳裏におぞましい記憶が蘇る。


「ア、アスカ……」


なんとかこの空気をどうにかしようとシンジは声を搾り出したが、その声はアスカの悲鳴じみた声にかき消された。


「アイツ、鼻っからあたしたちを逃がす気なんかなかったのよ!!」


紺碧の目には涙がにじんでいた。


「どういうわけか、あたしたちはメビウスの輪のようにおんなじ所ぐるぐる回ってる。アイツはそんなあたしたちを見て笑ってるのよ!!」


――結界だ。
シンジはそう直感した。
カヲルが前にセントラルドグマで使った時のあの力とよく似ていた。
性質が同じゆえ、少女もまた同じ力を持っているのだろう。


二人を結果内に閉じ込め。
そして二人が疲れ果て、力尽きたところを――。


少女はそのときをゆっくりと待つつもりなのだろう。
彼らが逃げられない事を知っているから。
誰も助けに来ないと思っているから。
その証拠に声は聞かせていても姿は見せていなかった。



「負けるもんか……っ負けるもんか……っ」



涙を浮かべながらもアスカは気丈だった。
こぶしを握り締め、呪文のようにアスカは繰り返す。
シンジはそんな彼女を見つめているうちに、徐々に一つの感情が生まれていった。


『おっとこのこでしょ!』


昔、ミサトが口にした言葉を思い出したのだ。
今自分が動かなかったら、情けないだけだ。
エヴァシリーズ相手に一人戦うアスカを前に何もしなかった、何も出来なかった自分のように。
立ち上がり、今度は自分からアスカの手を引いた。


「行こう」
「シンジ?」


涙に濡れた紺碧がシンジを見上げた。
その色に驚きの表情が浮かんでいた。
アスカを安心させるようにシンジは笑ってみせた。
本当は怖くて仕方なかったけれど、笑った。
アスカはどんなに勝気でも女の子。
自分は男だと今、自覚したから。
アスカを安心させたかったから。

希望もあった。


「僕らがずっといないといくらなんでもミサトさん、おかしく思うよ」


自分達がセントラルドグマに下りた事はIDカードを使った際、カードスロットの記録に残っているだろう。モニタにだって残っている可能性だってあった。

そしてなによりも。


「カヲル君と綾波だってネルフにきているんだ。綾波はカヲル君を感じ取る事が出来る。カヲル君だって。だから」


走りながらシンジは続けた。


「あの子が力を使っているのならカヲル君だって綾波だってきっとあの子に気づく」


きっときてくれる。
大丈夫。


その言葉でアスカの顔に生気が戻って行く。
絶望から希望へと――。


「大丈夫」
「う……ん」


自分の手を引くシンジの手を強く握り返し、アスカは笑った。

きっと大丈夫。
そう、思えた。




だが。
彼らの後ろを歩く幼い少女の気配は徐々に彼らとの距離を縮めつつあった――。














あとがき

鬼ごっこもいよいよ終盤です。カヲルとレイが少女に気づくのが先か。アスカとシンジが追いつかれるのが先か。鬼ごっこの行方は次回。