今日は男子ならば期待せずにはいられないバレンタインデー。

 それはレニもセイジュも同じだったりする。

 もちろん女生徒の憧れの的である彼らの前には彼女らから贈られたチョコレートが既に山積み。
 今にもなだれを起こさんばかりに机の上であふれかえっていたが、レニはそんなチョコたちを興味なさそうに一瞥しただけで女子の悲痛な悲鳴に背を向けてさっさと教室を出て行ってしまった。

 セイジュは、というとにっこり笑って紙袋いっぱいのチョコを受け取ると苦虫を噛み潰したかのような男子達のもとへと歩み寄り、手にしていた紙袋を彼らの前にどんと置いた。


「チョコに飢えた君たちへの施しだよ」


 当然男子からは憤怒の声、女子からは悲鳴が上がったが、セイジュはお構いなしに悠々と教室を出て行った。


 そう、レニとセイジュが心から欲しいと思うチョコは一つだけ。
 この世でたった一つだったから。




















HeartfulValentine




















 鞄を肩越しに提げてマンションを目指してもくもくと歩くレニに並ぶようにしてセイジュは歩く。

 彼らの間を横切ってゆく冬風の鋭さなど気にならないほどセイジュは浮かれていた。

 バレンタインデーのことはだいぶ前からアーシェに吹き込んであるから抜かりはない(多分)
 あのカイルにも忘れさせるな、と十二分に釘を刺しておいたから間違いない(おそらく。でなければ死刑)

 彼女が、アーシェがチョコをくれるかもしれないと言う期待にこころなしか心は浮き足立ち、ついついレニにちょっかいをかけたくなった。


「レニはあのお姫様のチョコを期待してるの?」


 背中に投げかけた言葉にほんの少しだけ、レニの肩が揺れた。素直すぎる反応に図星かと、セイジュはほくそ笑んだものの、レニはそれ以上動じる事もなくセイジュの言葉を鼻で一蹴した。


「フン、くだらない」


 しかし、体のほうは正直で自然と早まったレニの足にセイジュはますます愉快げに口元をゆがめた。
 アーシェの事となるとレニは本当に分りやすい。
 もっとからかってやりたくなったセイジュはわざとらしくため息をつくと、その笑みを深くした。


「あっそ。僕は期待してるけど?欲しくなかったら僕がもらうよ」
「誰が……」


 いらないと言った、と言いかけてレニは止まった。
 セイジュのほうを振り返った無愛想な顔はこわばり、そのブルーにゆらゆらと動揺の光が瞬いている。
 その劇的な変化に何事かと眉をひそめたセイジュだったが、次の言葉に彼自身も固まった。


「ゆで卵一つさえ作れないアイツがチョコなんて作れるのか……?」


 その言葉に数日前、ゆで卵を作るのだと言って電子レンジで卵を爆発させた彼女の姿がセイジュの脳裏をよぎった。


 ……チョコの前に台所を破壊するのではないだろうか。でもまぁそうなったら魔法で修復すればいいし、あまりにもひどい惨事だったらレニに押し付けよう。アーシェならきっと半べそになりながらおろおろ見ているに違いないから慰め役は僕に任せてもらって……。


そんなふうにあれこれと考えていたセイジュだったが、耳に飛び込んできたレニの狼狽した声に現実へと引き戻された。


「チョコなんかでケガでもされたら……っ」


 は?とセイジュはやや呆れ気味に息を吐き出した。
 いくらなんでも、そりゃぁないだろう、と突っ込みたくとも、レニの形相を見たらそうは言えない。クールで素敵、と騒ぐ女生徒たちが見たらその評を一変させるだろうなぁとセイジュは溜息を吐き出した。
 いうなれば過保護なのだ、レニは。


 ――まぁ、僕も似たようなものかな。


 そんな風に思ってしまう自分がおかしくてクスクス笑うセイジュを、レニは怪訝な表情で一瞥すると背を向けて歩き出した。歩く、といっても小走りに近い。


「レニー、待ってよ」


 まだ笑いから抜け切れていないセイジュもそのあとを追う。
 ここで兄さん、と呼んでやったら止まってくれるだろうかと、頭をよぎった考えにセイジュはまたもや笑いをこぼした。


























「ただいま」


 レニに続いて敷居をまたぐと、部屋に漂う甘い匂いにセイジュは気づいた。香ばしく、甘いにおいはリビングの入り口から流れ込んできている。きっとキッチンからだ。
 レニも気づいたらしく、いそいそと玄関から上がって行く。
 その背中に頬を緩ませながら、レニに負けじとセイジュもまた、そのあとに続いた。








「おかえりなさーい」


 キッチンからパタパタと足音がしてアーシェが顔を出した。
 いつものワンピースの上に白いエプロン。銀の髪は白い三角巾で纏められている。彼女は二人の前までとくると手を後ろに組んで上目使いに見やると、照れくさそうに笑った。だがすぐに表情を引き締めると彼らの表情を探るようにおぞおずと口を開いた。


「今日、ね……ばれんたいんでーだよね」
「そうだね」
「フン」


 にこやかに微笑むセイジュの隣でレニが鼻を鳴らす。こんなときも腰に手を当て、えらそうにふんぞり返るポーズを忘れていない。

 すっごく欲しいくせに――。

 素直じゃないレニの姿がセイジュの笑いを誘うのだが、とりあえず今は突っつくのを我慢することにした。今大事なのはアーシェのバレンタインチョコ。レニを突っつくのはそのあとでも遅くはない。


「それで?」
「うん、それでクッキー……」
「「クッキー?」」


 セイジュとレニが鸚鵡返しに言葉を返す。
 チョコではなく、クッキー。
 相方のテンションが少しばかり下がったような気がしたのは多分、気のせいではないだろう。珍しく声のトーンがそろった二人を不思議に思いながら、とアーシェは首を縦に振った。


「カイルがね、お二人はチョコをもらいすぎて胸焼けしているでしょうからってクッキー」
「ふぅうん」


 余計すぎる気遣い……おまけにまるで自分たちが節操なしに聞こえるではないか。
 そんなに間違っていないのかもしれないが、今日はアーシェのためにチョコの山を置いてきたのだ。
 視線をキッチンのほうへと走らせるとカイルがキッチンから顔を出してのぞいているのが見えた。

 にこにこと笑みを浮かべる使い魔からは何も読み取れなかったが、明らかに不満げな双子の面持ちに気づくとあわてたように首を引っ込めてしまった。故意だろうか、それとも。どっちにしてもチョコはもらえなくなった。クッキーもいいがやっぱりチョコレート。あの猫はそれを邪魔したのだろうか。


 あの猫(ちゃん)あとでおぼえていろ(おぼえていてね)。


 心のうちに復讐の誓いをきっちりと刻み込んでいると、アーシェが遠慮がちに手にしていたクッキー皿を二人の前に差し出した。
 黄金色に焼けたクッキーからはチョコレートチップがのぞいていて、さぁ食べてくれといわんばかりの甘い香り。十分に食欲をそそるものだった。料理が苦手なアーシェにとっては会心の出来なのだろう。


「あのね……頑張ったんだよ?前みたいにお塩と砂糖、間違えていないから」


 少し得意げに、でもやはり照れくさいのか、頬をほんのり赤くしてはにかむアーシェはクッキーよりも魅力に見えた。


「塩と砂糖?」


 眉をひそめたレニにセイジュはふっと、笑いをこぼした。少し前のことを思い出したからだ。


 アーシェが初めてクッキーを焼いてくれたあの日。
 彼女は火傷をしながらも僕を気遣ってくれたっけ――。
 二人きりでいい雰囲気になっているところをカイルが乱入してきて……。


「……」
「おい、顔が怖いぞ」


 レニの狼狽した声に我へと返ると、顔を引きつらせた二人が視界に映った。
 カイルのことを思い出した自分はよほど怖い顔をしていたらしい。


「ちょっと前のことを思い出してね」
「……そうか」


 レニは何のことかまるでつかめなかったが、とにかく相当根に持っているらしいことは理解できていた。自分のことではないことを祈りつつ、彼はそれ以上突っ込まなかった。


 「まえのこと?」


 今ひとつ話をつかめていないアーシェにセイジュはニコニコと笑顔を向けて付け足した。


「そう、アーシェが僕にクッキーを作ってくれたあの日のこと」


 一人でアーシェを守り続けてつかれきっていたあの日……まるで昨日のように思い出される。




 その言葉で恥ずかしいことを思い出したのか、あ、と顔を赤くしたアーシェの皿からセイジュはお先に、と皿のクッキーをつまんだ。焦げた少しの苦味、すぐそのあとに広がってゆくチョコレートとクッキーの甘み。昔幼いころレニと食べたクッキーと同じ味がした。ほっとする、懐かしい甘みに素直な笑みが浮かぶ。


「チョコレートの代わりにはならないけれど、上出来。おいしいよ」


 素直なようなそうでないような感想にアーシェは反応に困っていたけれど、おいしい、という言葉に顔を輝かせた。


 やっぱりアーシェは笑顔がいい。


 上機嫌にレニにもクッキーを勧める少女を見やりながら、セイジュは残りのかけらを口へと放り込んだ。少し前まではアーシェがレニに向き合うだけでも不愉快だったけれど、今は違う。


 それだけじゃない。
 今は――素直に笑っていられる。
 本当の笑顔をくれた、彼女。
 チョコレートをもらえなかったのは残念だけれど。


 ここでふと、ひとつの考えが思い浮かんだ。


「僕がチョコをあげればいいか」
「?セイジュ?」


 セイジュのつぶやきにアーシェは頭上に疑問符を浮かべて首をかしげた。レニはぽかんとした表情で彼を見つめている。そんな彼らを気にすることなく、セイジュはアーシェの皿からもう一枚クッキーをつまんだ。
  自分の思いつきに心がまた浮き足立ってくる。

 ――そう。
 別にバレンタインが女から男でなければならないという決まりはない。


「アーシェはやっぱりイチゴチョコがいい?」
「?う、うん……?」


 勝手にやってろ、と呆れるレニに人の悪い笑みを見せると、セイジュは愛しい少女の額に口付けを落とした。




 聖なるバレンタインにはチョコレートは僕から君へ。悪魔だって愛を誓ったっていいよね?
 当然お返しは3倍返しだから。


 君には頑張ってもらうよ……?




















あとがき

かなり遅くなったバレンタインもの。
舞台は純愛編。レニが魔王となって魔界へと旅立つ、少し前のお話です。
レニはアーシェだけを想っているだけではなく、セイジュのやっぱり大事で。
良いお兄さんだと思います。
女の子から男の子へ、というバレンタインという習慣は日本のもの。
海外では友人や家族にも贈るのが一般的。
男の子からだっていいですよね?




















                                                                

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