本格的な暑さに入る前のとある日に
一つの哀しい事故が起こった。









土砂降りの中の訓練で疲労しきった
総勢18人ものの少年兵達が訓練場の池で溺れたのだ。







その日以来。
少年達の死を悼むかのように
彼等の命日には雨が降るようになったというーーーーーー。














Forget Me Not


















真っ青だった空が真っ赤に染まり、リーンリーンと遠くで虫が鳴き始めている。


「あ〜今日の訓練も終わり。疲れたなぁ〜〜〜」


忙しい1日終えた空の下でルナマリア・ホークは大きく伸びをした。


「お疲れ様でした、ホーク教官」


その様子を見ていた彼女の同僚の一人が笑ってねぎらいの言葉をかける。


「ん〜〜〜、あなたもね」


ルナマリアも同様にねぎらいの言葉を返すと顔を洗うために洗面所へと向かった。

彼女はこの夏から新しく入隊してきた若人の教官として海に近いとある街に赴任してきていた。
当初赴任先はプラントと思われていたのだが、プラントと地球国家間の親善教官として
地上の軍養成学校に赴任を命ぜられたのだった。

多数の犠牲者を出したナチュラル・コーディネーター間の戦争から2年。
わだかまりを残しつつも互いに歩み寄ろうと二つの国家は平和の道を模索し始めていた。
その一段階としてナチュラル・コーディネーターの融和。

共に学び、生活する。

ナチュラル・コーディネーター問わない教官の下での教育が打ち出され、共に学ぶこととなった。
そんな中、戦中ナチュラルと共に戦った功績を認められたルナマリアは
その教官の一人として勤務せよとの命令を受けたのだった。

彼女が赴任した所は少年兵を養成する学校だった。
中学を出たばかりの幼い少年達が軍人を目指して親元を離れ、自立してゆく場所。
彼等には大事な者を守りたいという意志の持つ者だけではなく 、
少年達の中には家庭の事情で入隊してきた者もいて、入隊動機は実に様々だったが、
皆共に同じ 場所で学び、生活をする。
入隊当初から彼等は食事や寝所付きで更に給与を受け、ここを卒業して軍人となるまでは
訓練が彼等の仕事なのだ。
当然、教官の命令は絶対であった。

命令を受けたとはいえ、ルナマリア自身は教官を務めるのは今回が初めてだった。
そしてそんな彼女が受 け持ったのは18人の少年達のいる班だった。
当初はとても不安だったルナマリアだったが、それは少年達も同じ。
だがきっちりとした江戸っ子気質に年下であったシンの面倒を見てきたこともあったせいか、
彼女は間もなく少年達に姉と慕われるようになっていた。


「食事も引率しなくっちゃねー。子供じゃないんだから自分で行けばいいのに」


入隊後の一月は教官が自分の受け持っている班を引率して3食、共に食事に行く。
軍隊の基本である集団生活に慣らし、協調性の基礎をつくるためで有る。
めんどくさいという口調とは裏腹に彼女は何処か嬉しそうで、その足取りは軽かった。


「あ、ホーク教官だ!!」
「きょーかん、メシいきましょー!!」


発汗後の手入れを終えた彼女の教え子達が口々に彼女を食事へと誘う。
彼等はとても嬉しそうで。
無邪気に笑って手を振ってくる。
そんな彼等一人一人が実の弟のように可愛くて
疲れていたにもかかわらず、ルナマリアは元気よく振り返した。


「はいはーい、ちゃんと整列すんのよー?」
「「押忍!!」」


共に声を掛け合い、生活する様子はまるで一つの家族のようだった。





そしてやってきた休日。
土曜・日曜は休養日としてもうけられ、少年達は門限までに外出したりして自由に過ごせる。
だが、教官のルナマリアは休日とはいえ、教え子の身上把握や書類整理に追われてなかなか休めな
い。その上次週の訓練スケジュール調整や課題作り、訓練メニューを考えなければならないのだ。
もちろん、定期的な面談も有るのでその事前の調査もする必要があった。


「うーーーー」


ルナマリアが書類の上で唸っていると彼女の携帯が振動して、メールの着信を告げた。


『今日会える?』


簡潔すぎる一文。
送り主はシンだった。


「シン・・・・?こっち来てたの・・・・?」


ルナマリアは驚きに目を見開いてつぶやいた。
それもそのはず。
シンはアーサー艦長の艦でこの街から大分離れた、インド洋に出ているはずだった。
今の今まで何の連絡も無しに、急にこのメールを寄越したのだ。
彼らしいと言えば彼らしいが、急にそのようなことを言われても仕事をほっぽっていくわけにはい
かない。ルナマリアは溜め息をつくとメールの返事を打った。


「今日は仕事で駄目。明日なら何とかなるけど・・・・っと」


返信すると、直ぐに返事が来た。


『明日の朝、迎えに行く』


迎えにって・・・・。
アーサーの艦がこの街に寄ることなど聞いていない。
どうやってくるのだろうとルナマリアは瞳をしばたたかせた。





次の朝。
ルナマリアの教え子達は私服に着替え、生活隊舎の前で整列していた。
外出前の点呼である。


「整列、番号!!」
「いちっ!」
「にっ!!」


週番の少年が同期達に番号をかけると彼の号令通りに少年達が番号を言ってゆく。


「じゅうはちっ!!」


きっちり18人の少年がいることを確認すると、ルナマリアは簡単な注意事項を述べる。

「しつけ時間は19時半っ!しっかり守って危ないことのないように」


解散の前、週番の少年が敬礼と叫ぶと、皆ぎこちなくも精一杯の敬礼をルナマリオに贈った。


「ホーク教官にたぁいしっ敬礼っ!!」
「いってきますっ!!」
「いってらっしゃい」


それを照れくさく受け取ってルナマリアも彼等に敬礼を返したのだった。






海辺で待てって・・・・何考えてんのかしら、シン


メールのやり取りでの指定場所でルナは溜め息をつきながらシンを待っていた。
あの後仕事を大急ぎで進めたとはいえ、未だ終わってはいない。
だがシンがわざわざ会いに来てくれるというのだ。
約一月ぶりの再会。
アカデミー時代からずっと共に過ごしてきた彼らにとってこれだけ離れていたのは初めてだった。
ルナマリアとしても会えるのならシンに会いたかった。
仕事を早々に切り上げてきたルナは今夜は徹夜ね、とつぶやく。

指定の時間近くなると遙か海の向こうで轟音と共に何かが近づいてきた。
それは最初は点のようで猛スピードでこちらへと近づいてくる。
やがて見えた、見覚えのある機影にルナマリアは驚きに声を上げた。


「インパルス・・・・!?」


先の大戦でシンが乗り、彼がデスティニーに乗り換えた後はルナが受け継いだ機体。
それが何故ここに?

フォースシルエットとなっていたインパルスはルナの姿を確認したのか、少し離れた所に着陸した。
ルナが機体の方に駆け寄ると、クレーンに捕まって降りてくるシンの姿があった。



「ルナっ!!」


まるで主人に巡り会えた子犬のように、瞳をキラキラさせて駆け寄ってくるシン。
ルナが言葉を発する前に彼の全体重が勢い良く彼女にのしかかり、彼女は危うく転倒しそうになった。


「ルナっ、久し振り!!」
「久し振りって、あんたね・・・・」


久し振りといっても一月も立っていない。
息が詰まるほど抱きしめられながら、
文句を言いつつもルナもやはり嬉しくて同様に彼を抱きしめた。


「これ、どうしたのよ?」
「?なにが?」


きょとんとルナマリアを見るシンに、彼女は溜め息をつくとインパルスを指さす。


「インパルスをどうして持ってきたのって聞いてるの」
「どうしてって・・・・そうしないとルナに会えないから」


大変なことをあっさりと言うシンにルナマリアの開いた口がふさがらない。


「あんた、んなことでこれを持ち出すなんて!!何したか分かってるのっ!?」


搭乗機の無断持ち出し。
下手すれば軍法会議ものだ。
否。
発覚すればまちがいなく。
だがシンはルナの剣幕などお構いなしに
荷物をとりにインパルスの方へと戻ってゆく。


「せっかう近くまで来たんだから一刻も早くルナに会いたいって言ったら
アーサー艦長が快く許可をくれたんだ。テスト飛行って言う名目で。
さすがにデスティニーは目立ちすぎるからこいつになったけれど」


そう言ってインパルスを見上げるシンにルナマリアは頭痛を覚えられずにはいられなかった。
快く、とシンは言っているけれど。
きっと影でアーサー艦長は泣いている事だろう。
胃に穴開けなければいいけれどと心の中で合掌する、ルナマリアだった。


「・・・・でどうするの?」
「ん〜〜〜、この辺はルナが詳しいだろ?案内してよ」




私服に着替えたルナマリアとシンは街を歩きながら一つ一つの店を見て回っていた。
港が近いこともあって活気があり、品数も豊富だ。


「いらっしゃーい、今日は珍しいものが入ってるよ!!」
「これとこれをまとめて買うからこれだけまけてよ」

「ただいまからタイムサービスだよ!早い者勝ち!!」

あちこちでにぎやかな会話が聞こえてくる。
荷車の音。
鐘の音。
沢山の人々が行き交い、生活感の溢れた空気が辺りに漂う。


「こんなにあっても料理する必要も暇もないのよね」


元気な声を聞きながら商店街を周るルナは残念そうにそうつぶやいた。
料理好きの彼女は今はそんな暇もないのだという。
そんな彼女の横顔を見やりながらシンはずっと気になっていたことを聞いた。

「どう?初めての教官は」
「何も知らない子達に一から教えるのだから大変」
「そっか」


そういえば少しやせたな、とシンは心配そうに彼女を見つめる。
特に顎のラインがとがってきていて、肩が薄くなった。
病気にならなければいいけれどと、心配になった。


「無理はするなよ。もし・・・・さ。もしあまりにも大変だったら戻ってこいよ」
「何言ってんのよ。命令を途中で投げ出すわけにはいかないじゃない」
「ルナの方が大事だよっ。そ、それに軍を辞めても他に道があるし・・・・さ」


最後の方は顔を真っ赤にして言うシンに、ルナマリアは彼が言わんとしているが分かった。
同じように頬を染めると、大丈夫と笑った。


「私の教え子達はみんな素直で良い子達ばかりよ。大変だけれど教えがいのある弟が沢山出来たみたいで、楽しいわ」
「・・・・あっそ」

そんな彼女とは裏腹にシンは不満そうに口をとがらせると、ルナの手を引っ張ってずんずんと先を行く。
急に変わったシンの態度にルナマリアは頭上に疑問符を浮かべて慌てて付いていった。


「どうしたのよ?」
「別に。楽しいのは良いよ。でもさ」


そこでシンはルナを顧みた。


「今日のルナは俺の貸し切りだからね」


そう言ってまたぷいっと前を見て先を行く。
頬がほんの少し紅くなっている。
そんなシンに対し、可愛いヤキモチだなぁとルナは口元の笑みを隠しきれなかった。



「あっ、ホーク教官だっ」
「え、マジ!?」


ルナマリアがシンと土産物屋を見ている最中に元気の良い声が背後にふってきた。
振り向くと彼女の受け持っている班の子供達だった。
3,4にん一緒に行動していたらしく、一人の声に残りも皆一斉に振り返る。
そして確かにルナマリアだと分かると喜びに目をキラキラさせて走り寄ってきた。


「ルー班長も買い物デスかっ!?」


その中の一人がルナにそう呼びかけると、シンは何がルーだよ、馴れ馴れしいと顔をしかめた。
けれどルナマリアはその呼び方を気にした様子はなく、ニコニコと挨拶を返していて、
それがなおシンを不愉快にさせた。
そして不機嫌そうに自分達を見るシンに気付いた少年達は
値踏みするかのような視線を彼に向けてきた。
中には敵意を向けてくる者さえいた。


「きょうかーん、この人誰ですか?」
「えーっとね」


返事に困っているルナマリアに少年の一人が口を挟む。


「もしかしてルー班長のカレシ?」


とたんに非難の声が上がった。


「えーーーーっ、こんなの?!」
「うっそ」
「30点だね」
「50点満点中の?」
「うんにゃ100点中」


好き勝手に言う少年達にシンの怒りゲージが上昇してゆく。
口元を引きつらせ、拳を握った。

このクソ生意気なガキんちょどもにげんこつを喰らわせることが出来たらどんなに気が晴れるだろう。
だが自分は大人だ。
こいつらは子供。

どんなに逆立ちしたってルナの恋人は自分で彼等にはなれやしない。
それにルナの彼氏になれるまでどんくらいの苦労したと思ってンだよ、こいつ等。
でもルナには教官としてのルナの立場があるし・・・。

様々な思考がシンの頭の中を駆けめぐっている間、ルナマリアは必死に少年達をなだめていた。


「この人は私の同僚ではるばる遠くから会いに来ていてくれたから街を案内して回っているのよ」
「恋人じゃないんですね?」
「え?え・・・と」


こ・い・つ・ら〜〜〜〜。


困り果てるルナマリアの隣でシンは頬をぴくぴくさせ、必死に笑顔を作りつづけていた。





「ごめん・・・・」
「良いよ、別に」


辺りはすっかり暗くなっており、リーリーとどこかで虫が鳴いている。
シンに送られて士官学校の門の前で来たルナは彼に謝った。
あれから教え子達に散々つきまとわれ、
彼等から解放されたのは少年等の門限間際だった。
被教育者達の門限が夜の8時。
しつけ時間はその30分前の7時半。
急いで帰ってゆく少年達を見送り、
ようやく二人の時間をもてたときは大分遅くなっていた。


「アイツらに悪気在ったわけじゃないし。ルナが相当好かれてのも分かったし」


口調は穏やかだったが、口元をへの字にまげていることから
不機嫌なのはわかる。
ルナマリアは心底悪いと思って再度謝った。


「ホント、ごめん」
「良いよ、もう」


そんなルナマリアに機嫌を損ねたままでいては悪いと思ったシンが
表情を和らげて彼女を抱き寄せて囁いた。


「・・・・また会おうな」
「ん」


シンに腕を回してルナマリアが頷いた。


「アイツらを可愛いと思うのは分かるけど、一番は俺っ!!」
「ぶっ、何言ってんのよ」


一番を強調するシンに思わず吹き出した。
子供達と張り合ってどうするのよ、と思ったが敢えて口にしないで置いた。
そこまで自分を想ってくれる彼の気持ちがくすぐったく。
嬉しかったから。


「好きよ、シン」
「・・・・俺も」


闇夜を照らす月の下で二つの影が重なった。







「ルナマリア、これ来週のスケジュール」

夜遅く帰っていたルナマリアに彼女の同僚が待っていたかのように書類を差し出した。


「ごめん、間違いがあって。この時期は重要な行事があるの忘れてたわ」
「重要な行事?」


書類に目をやりながらルナマリアが聞き返すと、同僚は頷いた。


「そう、今週末に慰霊祭が在るのよ」








慰霊祭。
それは数十年前。
血のバレンタインより遙か昔の事。
コーディーネーターがまだ数少なかった頃の出来事だった。
土砂降りの中の訓練で疲労しきった総勢18人ものの少年兵達が
訓練場の池で溺れるという事故が起きた。
慰霊祭は命を落とした彼達を慰める儀式で有り、
毎年この時期に行われる。
これは彼らを慰めるだけではなく、二度とそのようなことが起きないようにと戒めの意味もあった。

この事故が起きる以前は教官の生徒いじめが度々あったという。
彼らの気に障ったことが少しでもあった場合、過酷な罰が待っていた。
少年達は半ば教官達のストレス解消に利用されていたのだった。


事件について調べれば調べるほどそのむごさに
ルナマリアは怒りを覚えられずにいられなかった。

純粋に信頼を向ける少年達になんて仕打ちをしていたのだろう。
事故が起きるまで何も出来なかったのか。

情けなさと悲しさに唇を噛みしめた。



「これが課題曲ですか?」


渡された楽譜を見て少年があどけない顔で聞いてくる。

死んだあの少年達もこのような表情をしていたのだろうか。
目の前の教官を信じ、まっすぐに目を見据えて。

そう思うとルナマリアは胸が締め付けられた。

彼らにこのような顔を見せてはいけない。

ルナマリアはそう思い直すと、顔を上げて彼らをまっすぐに見据えた。


「そう。鎮魂歌。亡くなったあなた達の先輩のために心を込めて歌ってあげようね」
「「押忍!!」」
「「はいっ」」


真剣な表情で口々に返事をする少年達にルナマリアは静かに微笑んだ。




それから数日間。
訓練の合間に鎮魂歌の練習は続いた。
皆真剣に歌と向かい合い
うまく覚えられないでいる班員達を他の班員達がサポートし、
皆一丸となって練習していた。
ルナマリアはその光景をとても頼もしく見守っていた。
自分は決して彼らを同じような目に遭わせない。
短い間ではあるが、皆家族なのだから。
そんな中、少年の一人が思い出したかのようにルナマリアに言った。


「今年も降るんでしょうか?」
「何が?」


彼女が首をかしげてみせると少年は窓を見やって答えた。


「毎年、彼らの命日になると必ず雨が降るそうなんです」


前日どんなに晴れていても。
天気予報に晴れと在っても。
この街周辺だけは必ず雨になるのだと。
そして不思議なことに。


「慰霊祭が終わると同時に雨が止むんだって」





からんと。
アイスコーヒに入った氷が音を立てて溶けた。
慰霊祭はもう明日に迫っていた。
ルナマリアは執務室でもう一人の同僚と慰霊祭の詳細のある書類に目を通し、
明日の不備がないように最終チェックを入れていた。
真夜中ということもあり、ほとんどが寝静まっていてしずかだ。


「お先。明日もあるんだから休みなよ?」
「ん。さんきゅ」


書類を持って自分の部屋に戻ってゆく同僚に手を振ると
ルナマリアはまた書類にもどった。


どれくらい時が経ったのだろうか。
ルナマリアは自分のくしゃみで目を覚ました。


「やだ・・・うたた寝しちゃったのね」


窓を見やるといつの間にか降り出していたのか。
激しい雨音が聞こえてきていた。


「窓締めないと雨、入って来ちゃうね」


ルナマリアは窓によって締めようとすると、
ふと一つの人影が目に入った。

わずかな外灯に照らされた人影。
歳は13.4くらいだろうか。
訓練服を着てじっと佇んでいた。


「何やっているのかしら、この時間に。しかも雨の中よ!?」


まったく、何処の班の子かしら。


ルナマリアは上着をひっ掛けると慌てて外に出た。
外に出ると先ほどの少年がぼんやりと立っていた。
誰かのお下がりか、古ぼけた訓練服に帽子を目深にかぶり。
雨の中ずっと立っていたせいか全身ずぶぬれだった。


「そこの君!何処の子?」
「・・・・・?」


駆け寄ってきたルナマリアに少年は不思議そうな視線を向けてくる。
ルナマリアは一つ溜め息をつくと少年をこのままにしてはいけないと彼の手を取った。
だが取った瞬間、その手の冷たさに彼女は目を見張った。
少年の手はとても冷たく、まるで氷のようだったのだ。


少年のに自分の上着を与え、ルナマリアは彼を執務室に連れてきた。
温かいココアを作り、少年に渡すと所属を問うた。


「何処の班?」
「3年の・・・・ティラー教官の班・・・・・」
「3年のティーラー・・・・ね?」


3年、という言葉にルナマリアは顎に手を当てて考えた。
この学校には様々な過程の教育が行われている。

幹部コース一直線の幹部課程。
技術コースの軍曹課程。
一般兵士課程。
それに陸・海・空と在るのだ。

この学校では学年があるのは軍曹課程のみ。
それも4年間在るのだ。
3年、というからには軍曹課程の子だろう。

ちなみにルナマリアが受け持っているのは一般兵士の前期課程。
軍曹課程は千人近くにも及ぶという。
そんな被教育者を抱える中でしかも自分とは違う課程の被教育者を特定するのは不可能に近かった。


「明日になれば分かるか。あなた、今日ここで休みなさい。学校の当直には一言言っておいてあげる」


ルナマリアの言葉に少年はとんでもないと言わんばかりに首を激しく振った。


「自分は今訓練中です。皆とはぐれただけで懲罰ものだというのに」


顔を見ると本当に幼い。
しかも女の子と見まごうばかりの可愛らしい少年。
寒さと怯えのせいか、顔面は蒼白だった。


「訓練中?」


真夜中に?
しかもこの激しい雨の中?


「だったらその教官に話つけたげるわ。異常よ、それ」


時計を見ると零時をとっくに過ぎていた。
もう慰霊祭当日だ。
慰霊祭だと言うことで全校で訓練もないはず。
どう考えてもおかしい。

ルナマリアは電話をとると当直を起こし、電話で事情をを説明した。
そして少年の名前を聞いていなかったことを思い出し、振り向く。


「ね、君の名前は?・・・・あら?」


だが先ほどまでいた少年の姿はなく、彼がいた場所だけがぐっしょりと濡れていた。






「調べてみたけれど、ティラーという教官は3年の軍曹課程にはいないな。聞き間違いだとか?」
「でも・・・・そう言ってたわ」
「それに訓練の届け出もなかった。どう考えてもおかしいぞ、それ」
「ん・・・・」


夜間訓練や野外訓練には管理上許可がいる。
そしてその詳細は学校の当直だけではなく、ここに所在する
各部隊各課程の当直に知らされるのだ。
学校当直はパソコンを叩きながらルナマリアにそう言った。
寝ている所を起こされたのだが、少しも非難の色は見えない。
それがかえってルナマリアは心苦しかった。
だがそんな彼女の心の内を見透かしたかのように当直は笑った。


「気にしないでおくれよ。君こそいつも遅いんだ。明日もあるんだ。おやすみ」


このことは各当直に伝えておくからと、付け加えてルナマリアを気遣う彼に
彼女は素直に休ませてもらうことにした。



「あの子、大丈夫かな・・・・。ひどい目に遭っていないと良いけれど」


自分のベットに潜り込んむと先ほどの怯えた少年の顔が浮かぶ。
だが、日頃の疲れがでたのか。
一つ溜め息をつくとルナマリアは瞬く間に眠りに落ちていった。





「やっぱ今年も降ったわね」


同僚が灰色の空を見上げてつぶやくと、ルナマリアも同様に空を見上げた。
あちこちで立てられた屋根付き会場に音楽隊が待機していた。
そして別に立てられた天幕に生徒達もまた。


「泣いているのか、うらめしいのか」


別の同僚が溜め息混じりにつぶやく。

悲しんでるじゃないかな。
信じていた教官に裏切られ、何も出来ないまま死んだのだから。

ルナマリアは黙って灰色の空を見続けた。



『3年のティラーと言ったよな』


朝一で告げられた驚きの事実。


『あの事故の張本人にその名前があったよ』


3年軍曹課程。
ティラー教官。
当時大佐だった彼は日頃から少年達を虐待していたという噂のあった人物だった。
だが彼の親が軍に影響力のある人物だったということも有り、好き放題だったという。

事故当日彼は少年達に土砂降りの中、30キロという装備を背負わせ、
山での30キロ以上の行軍を命じた。
そして寒さと飢え、疲労で弱り切っていた少年達に更に池での進水訓練を強いたのだという。

雨で池は泥沼と化し、彼らはそれに足をとらわれた。
水を吸いきって更に重くなった装備品は重しとなり、
ついに力尽きた少年達は次々と沈んでいった。
そして同期を助けようとした者達もまた。


その教官は事の大事に気付かず、ひたすら怒鳴っていたと言うが、
しばらくして状況に気付いたときはもはや手遅れだったという。
その数は18名。
皆14、5歳になったばかりの少年達だった。


「あの子もそうだった・・・・・」


ルナマリアはその後他言無用と言うことで当時の記録をこっそりと見せてもらった。
その少年達の中に昨夜見た少年がいたのだった。

あの怯えた瞳。
死んでもなお、彼と同期達はここを彷徨っているのだろうと思うととても悲しかった。



雨は降り続けている。
激しく地を叩く音。
水の跳ねる音。
あたかもあの日を忘れないでというかのように雨は降っていた。
その雨の中、慰霊祭が始まった。

大きなうねりと共に壮大な音楽が流れる。
かつて少年達が夢見た卒業の際流される軍歌。
軍歌とは言え、重々しいものではなく、彼らの努力をたたえたメロディ。
望郷の歌。
国防軍歌。
国歌

少年達の過ぎし日々を
過ごしたかもしれない日々をなぞるように音楽隊が
その音を奏でていった。

そして最後に少年達が静かな鎮魂歌を歌う。

忘れないで。
忘れないで。
あの日々を。
あの想いを。

僕らは忘れない。
だからどうか安らかに。


忘れないで・・・・・か。


かつての戦いの日々がルナの脳裏によみがえる。

戦って。

殺して。

戦って。

殺して。


いつ終わるか分からない憎しみと悲しみの連鎖。
戦争は二度と起こしてはならない悲劇なのに何故ここにいるのだろうとふと思う。
兵士を生み出すこの場所に。

いいえ。

ルナマリアは頭を振った。

だからこそここにいる。
戦争の悲惨さを伝えるために。
そして守る意志の強さ・大切さを訴え、継いで行くために。
偽善かもしれない。
自己満足かもしれない。
だけれど軍人の自分に出来ることはそういう事ぐらい。

そして学ぶ方も人間。
兵士も人間。
道具ではないのだと。

オーブの港町にいる3人組を思い出す。
水色の彼は。
金色の彼女は。
萌黄の苦労人は元気だろうか?

彼らも道具として生み出され、道具として扱われてきた。
それも二度とあってはならないこと。

だって人間なのだから。

そうよね。
君たちもそれを訴えたいからここにいるんでしょう?
でもいつまで留まるの?
終わりはあるの?


ルナマリアは空を見上げたまま死んだ少年達に語りかける。
聞こえるとは思っていないけれど聞いてくれたらなと思った。

雨は降り続いている。

少年達の歌声が響いている。
静かに静かに。
死を悼み、未来への誓いを歌う。

歌声が終わりに向けて次第に細くなり、弱くなって行くとき。
群衆に紛れてルナマリアは雨に濡れた少年達の姿が見えた。
愕いて隣を見ると同僚もまた見えたらしく、愕いて彼女を見返した。

少年達はずぶぬれのまま。
皆安らかな顔をして静かに聞き入っていて。
やがてゆっくり。
ゆっくりとその姿は霞んで行き。
歌声がやむと同時に彼らの姿はかき消えていった。






執務室の窓からランニングしている教え子達が見える。
みんな元気に声を掛け合い、呼吸を合わせて広い敷地を走って回っていた。


「あの後、本当に止んだのよ。あれだけ降っていたのにぴたりと」


電話越しにルナマリアはそう言った。

ふううんというシンの気のない返事にもう、と溜め息をついて彼女は続けた。


「歌が終わると同時に弱まって本当に止んじゃってびっくり。・・・・・ね、シン」
『・・・・なんだよ』
「私達は道具でも人形でもないよね」
『・・・・・』


シンは何かを考えてるかのように少し黙ると。
やがてぽつりとつぶやいた。


『・・・・・当たり前だろ』
「ん・・・・。今度休暇があるんだ。その時会えない?」


シンの答えに満足したようにルナマリアは微笑むと窓から身を乗り出した。
彼女に気付いた少年達が走りながら手を振ってきた。
ルナマリアも元気に振り返す。


『ホントかっ!いつっ!?』


うって変わって元気になったシンの声に苦笑しながら
ルナマリアはカレンダーを見やって答えた。


「え・・・・・と8月のはじめから半ばまでかな」
『え〜〜〜〜、まだ一月以上在るじゃんか〜〜〜〜』


不満そうな声を上げるシン。
今どんな顔をしているのか容易に判断が付く。
きっと頬をふくらませて口をへの字にさせているのだろう。
クスクスと笑いがこみ上げてくる。


『何笑ってんだよっっ!良いよ、俺から会いに行くから、次の土曜日1日空けとけよっ!!インパルスで迎えに行く』


ええ〜〜〜〜っとアーサー艦長の泣きそうな声が電話越しに聞こえた。
いいじゃないっすか、その分働くからさっ、というシンの声も聞こえてくる。
しょうがないなぁ。
ルナマリアは笑うと机の上の上着に目をやった。
あの雨の日に少年に渡した上着。
慰霊祭から帰ってくるときちんと折りたたんでおいて在った。
濡れてはいたが、折り目正しくたたまれ、その上に小さな花。
その花はルナマリアの机の上にあるコップに差してある。

小さなコバルトブルーの花が風に揺れている。


勿忘(わすれな)草。


・・・・・どうか、僕らを忘れないで。


志半ばに力尽きた少年達からのメッセージ。


「さて・・・・とあの子達もそろそろ帰ってくるわね」


しばし花を見やっていたルナマリアはやがて立ち上がると部屋を出て行った。
訓練の終了を告げる笛の音がどこかからか聞こえてきた。


















あとがき

シンルナの入ったルナ視点戦後パラレル。
時間軸は「マイ・ダーリン」の後。
ですから戦後パラレルではルナマリアはしばらく不在となります。

ルナって良い教官になるのではと思って今回のお話が出来ました。
ペイン達の出番はなかったのですが、シンの誕生日もあってこう言う形に。
シンって気を許すと甘えん坊にあると思うんですよね。
ルナにもシンにも幸せになって欲しい。
その願いも込めて。

ここまで読んでくださって有り難うございました。