くすんだ色彩の見慣れた街を覆う灰色のベール。
 排気ガスと雨と霧の交じり合った湿った空気の匂い。
 そんな風景に目を向けながらアウルは手の中の携帯を耳に押し当てていた。


「よかった・・・・番号変わっていたらどうしようかと、思った・・・・」

 音にならない微かな雨音に混じってシャニの穏やかな声が耳元に響く。
 ステラを失い、先ほどまで周りは孤独で寒々とした想いをしていただけにその声の暖かさにアウルは泣きたくなった。


「ん・・・・変えるの忘れていた・・・・」


 これは半分本当で半分嘘だった。


「変えるな、ばか」
「・・・・」


 出来るわけないよ、応えたくてももはや声にならず、口からは嗚咽だけが漏れてでた。
 変えよう、変えようと思いながらも変えられずにいた電話番号。
 返さないけど机の奥にしまってある手紙。
 離れなければならないと思っていてもやっぱり自分はどこかで彼らと繋がっていたかったんだと、アウルは改めて気づいた。



「・・・・なんかあったんだろ?」

 嗚咽は聞こえているのだろうけれどあえて気づかないフリを
するところがまたシャニらしくて、それがまた嬉しい。
 
 優しい中兄。


「なんで?」


 まるで示し合わせたように電話をかけてきた彼にアウルがそう問うと、なんとなく、という気の抜けるような返事が返ってきた。


「虫の知らせ・・・・?よくわかんないけど・・・・」


 かけなくちゃって、そんな気がした・・・・と彼は答えた。
 彼自身、本当に分かっていないような口調。



「なんだそりゃ」


 まだ涙の混じる笑声を上げるとシャニが困ったようにだってそうだモンとつぶやくのが聞こえた。



 シャニはいつだってそうだった。
 彼には不思議な力が働いているのか、当たる天気予報だけではなく、なんとなく、という感覚で相手のタイミングを呼んだ行動に出る。


 アウルが密かに家を出るとき、シャニだけはなぜか感づいてのだけれど彼の気持ちを察したかのように引き止めなかった。
 ただ。


「負け犬にだけは・・・・なってくるなよ?」


 まるで未来を予測したような一言だけ餞別代りに贈って。


「なんかあったんだよね?哀しいことが」


 ああ、やっぱりそうだ。
 シャニは知っている。
 自分に何があったのか。
 そしてやっぱり誰かに聞いてもらいたいという気持ちがあったのか。
 アウルは促されるままポツリポツリと事の顛末を語り始めた。


 一人の女の子を本気で好きになってしまった事。

 その子は良いところのお嬢さんで婚約者がいたけれど、もう引き返せないところにまできてしまっていて。こっそり付き合っていた事。

 結婚の約束までした事。

 彼女の家の人に二人の事がばれて彼女と別れさせられた事。


「割り切って忘れるつもりだったけれど、出来なくってさ。なさけねー・・・・」


 全て洗いざらい話したあと、アウルは自嘲気味に笑った。


「・・・・其のままだった情けないね」


 慰めの替わりに返ってきたため息混じりの返事にアウルは返す言葉も無く黙り込んだ。
 分かっていた。
 シャニが自分を見送る間際にくれた言葉を守れなったのだから。
 冷たくあしらわれても仕方のない事だと分かっていた。
 だがシャニの言葉には続きがあり、それもアウルが思わず息を呑んでしまったくらいの彼らしからぬ、過激な言葉だった。


「その子を掻っ攫ってきなよ」


 アウルは思わず電話を取り落としそうになった。
 映画でもマンガでもあるまいし、本気かよと神経を疑いたくなるくらいの言葉だったから。電話越しでも容易に伝わっていたかもしれないアウルの動揺など意に介した様子も無く、シャニは先ほどの言葉を繰り返す。


「掻っ攫って・・・・帰って来な」


 あっけに取られるアウルに畳み掛けるようにシャニはそう言った。
 そして。


「さっさと連れて帰って来いよ!!ヴァーカ!!」


 電話の向こうから飛んできた声にもアウルは驚きは驚きを隠せずに大きく息を吐き出した。
 電話越しではなかったから遠かったけれど、その声は。
 彼は近くにいるのだろうか。
 シャニと一緒に聞いているのだろうか。


「クロ・・・ト・・・・?」


 最も仲の良かった従兄の名を呼んだ。
 彼とはアウルが北海道で出たままそれっきりだった。
 挨拶もせず、手紙も出さないで。
 クロトもまただんまりを押し通していて、音信不通だったこの2年間。
 そう、2年経っているのだ。
 あれから。
 それなのに、従兄のクロトはまだ自分を気にかけてくれていたのだろうか?


「クロト・・・いるの?」


 もう一度従兄の名を呼んだ。
 シャニの含み笑いの後、通話がいったん遠ざかる感じがしてクロトと彼のちょっとしたやり取りがかすかに聞こえてきた。
 出ろ、というシャニ。
 絶・対に!!嫌だというクロト。
 電話の向こうの微かなやり取りのあと、シャニがまた電話に戻ってきた。


「クロトはいるよ。オルガもお袋も皆傍にいて、聞き耳立てている。親父は仕事だけど・・・・」

 
 シャニの言葉にアウルの胸が熱くなり、また涙がこぼれそうになる。
 彼らは勝手な自分を想ってくれている。
 心配してくれている。
 一人ではないんだと、思ったから。


「根性見せて連れて来い。男だろう、っておふくろも言っている」
「でも父さんと母さんと同じ事なんて出来ない。そうなるまいってずっと思ってきたから」


 あれほど厳格で秩序を重んじる叔母が、自分も母のことでつらい想いをしていたというのに、ステラを連れて帰って来いと彼に励ましの言葉をくれている。だけど、アウルにはそれが出来るわけがないと哀しげに答えた。


 一瞬の沈黙。
 貸せ、というナタルの声が聞こえた。


「アウル、ナタルだ。分かるか」
「おばさん・・・・」


 2年ぶりの声を聞いて電話の向こうで叔母が安堵の息を漏らしたのが分かった。自分ことが心配でならなかったのだろう、シャニから電話を受け取ったらしかった。


「アウル、お前は自分の両親を恥だと思っているのか」
「・・・・・」


 思いもよらなかった言葉に一瞬言葉が詰まる。
 アウルは目を固く閉ざすと喉もとから言葉を搾り出すようにその問いに答える。


 両親のことを思い起こすのも哀しくてつらくて。
 ナタルたちを裏切って遠い地へ逃げた彼ら。
 自分達のエゴのために周りに迷惑をかけた。
 顔も知らない両親を悪く言われるのがいやだったけれど、そう思わなかった訳がない。


 だからこそ、自分は身を引いた。


 そうアウルが告げると、ナタルが電話の向こうで哀しげに息を吐くのが聞こえた。


「ばかものっ!!」


 だがそれはすぐに怒声に取って代われ、アウルは思わず電話を取り落としそうになった。


「貴様は自分をこの世に出してくれた両親をそういうのか!」
「・・・・だって」
「それは何も知らない人間の言うことだ!!」


 厳しい叱責の言葉にアウルは目をパチパチさせて携帯電話を見やった。耳を離してもはっきりと聞こえてくる叔母の声と硬い言葉使い。
 
 叔母は元々は軍出身だったらしく、教官を務めた事もある優秀な女軍人だった。どういうわけか今は農産業の社長夫人に収まっているが、軍人気質はそのままでたまにそういった言葉使いが出てくる。
 特に怒った場合に。


「確かに彼らの意思を無視しなければならなかった家の事情があった。何も出来なかった私にも非がある。だがな、そのために自分の人生を捨て、あとで後悔して送る人生に何の意味がある?!」
「・・・・」
「悔やんでばかりにいる、後悔の人生ほど無駄なものはない。後悔して他人のせいにして生きる人生は生きているといえるのか?!」


  アウルは何も言えずにただ黙っておばの言葉を聞いていた。
 電話の向こうも静まり返っていて皆叔母の言葉に耳を傾けているようだった。


「それくらいなら自分の意志でやりとおし、自分で出した結果なら悔いはないだろう。責めるとしたら自分だ。流され、望まない結果に他人のせいにして生きることは卑怯者以外なんでもない」


 ナタルはきっぱりとした口調で迷い無く、そういった。
 軍人らしいきびきびとした、真摯な口調。
 そういいきったあと、ナタルはふと口調を和らげた。
 その声には思い出を懐かしむ、遠い響きがあった。


「それにな・・・・お前の両親は・・・・彼らは幸せそうだったぞ」


 ナタルの声が震えた。
 こみ上げてきた涙を必死にこらえているのだろう。

 自分の父と母が幸せだったかもしれない・・・・。

 家族から友人から周囲から逃げ、事故死してしまった事実ばかりに頭が行ってしまっていてアウルはその事を考えもしなかったから、彼はナタルの言葉に胸をつかれた。
 周囲から蔑まれ、哀しいだけだった記憶が新たな色をもって塗り替えられてゆく。


 ねぇ、幸せだったの?


 記憶の中の父と母にそう、呼びかけた。


「一度だけ・・・・・くれた手紙にお前と彼らの写真が同封してあった。彼らは誇らしげにお前を抱いていたぞ」


 気丈な声は次第に途切れがちになる。
 それでもナタルは必死に言葉を紡いだ。
 ずっと伝えられずにいた言葉を。
 アウルがまだ子供のうちは黙っていようと思っていた事実を。
 だけどやはり言っておくべきだったと後悔しながら。
 そして間に合ってくれ、と願いをこめてナタルは続ける。


「たくさんの迷惑をかけてごめんなさい・・・・でも幸せです。可愛い息子に恵まれ、毎日を『生きて』います・・・・と」


 幸せだと胸を張って言えると綴った母の手紙。
 ぽたりと透明なしずくが落ち、アウルの手の甲が濡れた。
知らず知らずのうちにアウルは泣いていた。


「お前の父と母は自分達の道を『生きた』んだ。お前は妹が・・・・彼らが生きた証だ。私の可愛い甥だ。誰がなんと言おうと」
「・・・・」
「人生の価値は自分で決めるものだ。他人じゃない」


 従兄のオルガの声だった。
 もはや平静を保てなかったナタルの替わりに出てきたようだった。
 ひさしぶりに聞く彼の声は相変わらずどこか斜めに構えた感じがあったけどお決まりの皮肉はどこにもなかった。


「しっかりやる事やってそれから帰って来い」


 長兄らしくしっかりとした口調でオルガはアウルを諭す。


「結果はどうであれ、俺たちは待っている」



 -----待っている。

 アウルには居場所がある。
 帰る場所がある。
 彼らの暖かさが嬉しくてアウルは電話越しに泣いた。


 雨は替わらず降り続いている。
 でもさっきまであれだけ絶望と孤独感に満ちていた風景が今は少し、違うものに見える。
 やれるだけのことをやってみよう。
 自分を誇らしげに抱いて笑っていた両親に。
 自分を愛してくれている人たちに。
 









 頑張ったよ、と笑えるように。




















 
  愛おしい君に
       
     笑顔を

























 マユが机の上で宿題に向かっていると、彼女の兄、シンがひょっこりと顔を出した。


「マユー、お前の携帯電話の充電器、貸してくれない?」
「え?マユの携帯、おにーちゃんのと違うでしょ?」
「しってる。だからちょっと貸して欲しい」
「う、うん・・・・?」


 マユの携帯とシンの持つ携帯は型が異なるゆえ、その充電器に互換性はない。それを借りに自分の部屋を訪ねてきた兄が不思議でならなかったが、マユは素直にうなずくと机の引き出しから充電器を取り出した。
 その間もシンは落ち着かない様子で視線をさまよわせている。そんな彼の様子にマユはふと彼をからかいたくなる衝動を覚え、意地の悪い笑顔を作って見せた。


「な〜に、おにいちゃん。もしかして別の誰かさんの携帯を充電したいのかなぁ?」
「ばばばばばばば、ばかっ!そんなんじゃないよ、貸してくれるのか貸してくれないのか、どっちだよ?!」


 軽く受け流されるだろうと思っていたのに、予想と反してシンは飛び上がらんばかりにそれを否定すると、マユの手から充電器をひったくるように受け取るとあっという間に姿を消した。


「な・・・・なんなの・・・・?」


 扉が勢いよくしまり、すごい勢いで遠ざかっていった気配にマユはただぽかんとしていた。


「あ”〜、マユのヤツ鋭すぎるよ。どうなるかと思った・・・・」


 部屋に戻るなりシンは大きく息を吐き出すと、ポケットに入れておいた携帯を取り出した。
 ポケットから現れたのはマユと同じ色のピンクの携帯。
 とても可愛らしいデザインでとても男の持つものではない。
 シンは差込口を確認すると充電器のソケットを携帯のソケット口を注意深く合わせた。


 かちん。

 まるで示し合わせたようにぴったりと収まる携帯と充電器の端子。
 携帯の充電のライトが明るく点灯した。


「やった・・・・」


 シンはほっと安堵の息を漏らすとその携帯を手に床に座り込んだ。
 ある程度の充電を待ってじっと携帯を見つめているうちに数日前の出来事が脳裏に蘇った。


『話は付けた。彼はもうステラに近づかないと思う』
『レイ・・・・』


 確固たる確信を持ったレイの言葉にシンは何を根拠に、と紅い目をしばたたかせた。
 レイは其の時のことを思い出すように一瞬遠い目をすると、またシンのほうへと向き直った。


『俺が思っていたように悪いやつではなかった。もっと別の出会い方があったらよかった・・・・』


 其の時レイの顔に痛みが浮かび上がって見えたのはシンの気のせいだったのだろうか?
 よくよく見つめなおしたが、レイはいつものレイに戻っていて、シンに背を向け、近くの使用人に何か指示を出していた。


『悪いやつじゃないだろ・・・・ステラが好きになったんだから』


 シンはレイには聞こえるか聞こえないかの声でそうつぶやいた。
 ステラは一見ぼんやりとしているが、人間の本質に関しては勘の鋭い子だった。
 それとなく人間の本質を感じ取ってしまう、そんな感覚の持ち主。
 長い闘病生活の中で周囲を観察時間が多かった環境から身についた鋭い感覚なのだろう。


『あとはステラの携帯の処分だな。早いうちに』


 レイの言葉にシンはあ、っと息を吐き出した。
 携帯を処分されたらステラが恋人と連絡をとる術が無くなる。
 それはシンにとって都合が良いはずだが、彼はなんとなくそれを処分させたくなかったのだ。
 何故だけはよく分からなかったけれど、どうしても処分させたくない。
 ステラの恋人のことを知りたいだけだと、自分に言い聞かせ、シンは携帯を取り戻す術を考えた。

 それではどうするか。
 どうやってレイの手から携帯を取り戻すか。

『レイ様、だんな様がおよびです』
『父が?』
『はい。お嬢様のことで』

 そんな時運よく、レイは彼の父親から呼び出しがかかった。
 ステラのことで、と聞いたレイの顔にわずかに緊張が走ったが、彼はすぐにうなずいてみせると近くのメイドに手にしていた携帯を渡した。そして早急に処分するよう良い含めると、彼は足早にその場を去っていった。


 チャンスだった。


 シンはそのメイドの元へと行くと、その携帯を自分に渡してくれるようにと頼み込んだ。当然メイドは戸惑いの表情を浮かべた。


『ですが・・・レイ様が・・・・』
『レイには黙っておく。俺が責任もって処分するから』
『でも・・・・』
『ね?お願い』


 めったに見せない甘えた表情を作って見せるとメイドは顔を赤らめ、それならば、とあっさりと携帯をシンに渡した。


『このことは内緒にしてくれる?』


 自分のキャラクターではないと内面吐き気を覚えながらもシンは目一杯の愛嬌をこめてにっこりと笑う。
 狙い通り、メイドはコクコクとうなずいた。



「もうそろそろいいかな・・・・」


 シンは充電器をつないだまま、ピンクの携帯-----ステラの携帯を開いた。
 充電したおかげで生命をとり戻したかのように画面が明るく灯る。


「ごめん・・・・ステラ」


 この場にいない持ち主に謝るとシンはまず着信履歴を開いた。


 現れたのはシンやレイの番号。ステラの父親。マユ。見知った番号が連なっていた。そして数度あった事のある、ステラの親友、ルナマリアの番号も。
 だがステラの恋人だというアウル・ニーダの番号は無く、登録していないのかとシンはいぶかしげに眉を顰めた。


「あった・・・・。アウル・ニーダ」


 それでも根気よく探し続け、ようやく名前を探し当てると、シンは小さく息を吐き出した。
 たくさんの番号の中にまぎれるようにぽつりとあったアウルからの着信履歴。5本指でも数えられそうな回数しか入っておらず、それは彼らの間の通話の少なさを暗に物語っていた。


「電話・・・・ほとんどしてないんだ」


 だから気づかれなかったというのだろうか。
 そうまでして守りたかった恋だったのだろうか。
 
 知らず知らずのうちにシンは唇をかみ締めていた。
 続いてメールの欄を開いた。
 電話と異なり、メールの欄はアウルとステラ、彼らのやり取りで埋め尽くされていて、中には大事に保存されているのもあった。
 シンは画面をしばらく見つめていたが、やがてゆっくりと日付の古いものか開いていった。


 内容は日常のものがほとんどだった。
 会えないことが多く、電話も出来ない。
 その分この250字で挽回しようとでも言うように彼らのやり取りがたくさんあった。



『アウルのメール短いよ。もっと長いほうが良い』
『るせーな。メール打つのにガ手なんだよ』
『間違いもいっぱいあるよ?要練習』
『うざっ!!おまーに言われたくねー!!メールの使い方も知らなかったやつに!!』
『アウル、いっぱい打ってきた。嬉しい』
『人の話聞け、あほー!!!』


「・・・・コントかよ」


 思わず笑い出したくなるものから。


『アウル、おはよう。ちゃんとご飯食べてる?ハンカチ、ちり紙もった?』
『はいはい。ちゃんとメシ食ってるよ。お前こそ出かける前に身だしなみチェックを忘れんな。女なんだから』
『ステラ、子供じゃないもん。ピーマン食べれないアウルより大人だもん』
『やかまし!!!ピーマンなんて食えなくても良いんだよっ』


「夫婦かよ・・・・もしくは母親と子供」

 ほほえましく思ってしまう内容のメール。
 そして。
 一つのメールの内容はシンをどきりとさせた。


『アウル、今日お泊まり行っても良い?』
『合い鍵渡してあるよな。勝手に入ってろよ。
僕が帰ってくるまで誰も入れるんじゃねーぞ』
『うん。アウル、早く逢いたい。大好き』


 この文面は明らかに恋人同士のものだという事実をシンに思いおこさせた。続くメールは甘いものが多く、赤面させられるほどで。

 そしてごく最近のメール。
 これはシンの事が書かれて長い文面になっていた。
 彼の帰りを楽しみにしているのだと笑うステラが想像できて、しくり、とシンの胸が痛んだ。

 ・・・・彼らは自分のことで引き裂かれたのも同然だったから。

 それでもシンはメールを読み続けた。
 自分のいない2年間のステラのことが知りたかった。
 アウルという少年を知りたかったから。


『シンに早く会いたいな』


 その言葉で締めくくられたメールには返信がなかったらしく、ステラが催促メールを出していた。


『アウル、メールお返事欲しい』


 だが応答なし。
 それはそうだろうなーーー。
 シンは誰とも無くつぶやいた。
 自分以外の男のことを長いメールで送られても嬉しいわけないからだ。それも喜びいっぱいのメールで。
 それでも懲りずにステラは送り続けていた。

『ステラね、アウルのことシンに言う。きっと分かってくれる。ステラのお兄さんみたいな人。とても優しくてステラの事分かってくれる』

 ここでようやくアウルの返事が来ていた。

『兄貴・・・・か。分かってくれると思うのかよ。許婚だろ』
『分かってくれるもん。あのね、なんとなくアウルと似ているところあるの。アウルと仲良くなれるよ、きっと』
『仲良く・・・・ねぇ。僕が似ているところあるんじゃなくて?』
『ちがうよ!アウルに似ているの。ね、いつかアウルも会って。ステラの大好きなアウルとシンだもん。仲良くなって欲しい。ステラもシンに紹介する。ステラの王子様だよって』
『ばーか』


 兄のような人。
 その言葉はシンにとってとてもつらかったけれど、それでもステラがあまりにも幸せそうだったから。
 二人が本当に幸福そうだったから。
 メールを読み進めるうちに彼自身気づかないうちに、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。


 自分がいない間の二年間、二人はこうやってひっそりと恋を育んでいたのだ。


「ステラ・・・・」


 ステラの悲しみにくれた背中が思い出され、携帯を握る手に力が篭る。
 きつくきつく目を閉じてこみ上げてくる感情を押さえつけた。
 嫉妬ではない。
 憤りではない。
 悲しみでも寂しさでもない。
 そんな物では片付けられない、強く、複雑な感情。

 手元の携帯には電波が通っていなかった。
 おそらく既に解約されていているのだろう。
 当然といえば当然だった。
 シンはメール欄を閉じて立ち上がると自分の机に上がっていた自分の黒い携帯を取り出した。そしてステラのアドレス帳を開くと、今度は自分の携帯のメール欄を開いた。

 パチパチという音を立て、メールの文面が打ち込まれてゆく。
 彼の紅い瞳は真剣にその文字を追う。
 やがて文面を打ち終えると彼はそのまま送信した。
 送信元は書いていない。
 相手側がメールを見るか見ないかは相手次第。


 見て欲しい。
 見て欲しくない。


 ふたつの相反する気持ちを胸にシンは目を閉じた。








あとがき


つづきます。あと2話くらい・・・(今度こそあと2話!!)。思った以上に長くなってしまいました。次こそはルナマリアを。

次回はそれぞれの思惑の中で一つの作戦が実行されます。