「・・・・どうして?」
「大事な嫁入り前にもしもの事があっては困るからだ」


 突然の外出禁止、そして自分に送り迎えを付けると言い出した兄にステラは驚きを隠せずにレイを見上げた。だがレイは温度を感じさせない、だが有無を言わせない声で彼女に続けさまにこう告げる。


「これから婚礼まで理由無く出かける事も一人で出歩く事も駄目だ。
シンに同行してもらうか使用人を付けるかのいずれかにしてもらう。
これは命令だ」


 ーーーー命令。
 厳しかったが、今まで兄から発せられた事のなかった冷徹な言葉にステラの目が揺れる。
 監視をつけられ、行動を制限されることは自分が半ば軟禁状態になったということを彼女が理解するのが難しくなかった。


アウル・・・・もう逢えない・・・・?















 
  愛おしい君に
       
     笑顔を


























 数日後、アウルはいつもの待ち合わせの場所でステラを待っていた。しばらくぶりのデートが嬉しくて早めについてしまい、そのままのんびりと時間をつぶしていたが、約束に時間を過ぎてもステラは現れなかった。


「・・・・連絡なし。どーしたんだよ、アイツ」


 いらだたしげに携帯を折りたたんで、ポケットにしまうとアウルは仏頂面でコーヒーをすすった。
 とたん口にひろがったコーヒー独特の苦味に彼は舌打ちをするとありったけのコーヒーと砂糖をコーヒーにぶち込んだ。そして苛立つ心の赴くがまま乱暴に何度も何度も掻き混ぜる。


「この間は結婚とか言って騒いでおきながら今度はすっぽかしかよ」


 打ち捨てられたスプーンがソーサーにあたってガしゃんと音を立てた。
 プロポーズの日から数日のち、何時もデートの待ち合わせの場所にしているコーヒーショップで約束した時間になってもステラは姿を見せず、遅れるともこれなくなったという連絡もない。
 今日だってこの間のことを打ち合わせるつもりだったのに本人はいまだ連絡つかず。わけわかんねぇ、とアウルは毒づくと再びコーヒーに口を付けた。


「うげ・・・・・」


 先ほどとは打って変わった甘ったるさにアウルは思いっきり顔をしかめた。




「いらっしゃいませー」



 不意に響いた店員の声にステラがきたのかと期待して顔を上げたが、店内に入ってきたのは一人の少年だった。

 歳は自分位か。もしくは年上。
 まるで血の通ってるように見えない美貌にやはり何の感情も宿さないアイス・ブルー。雰囲気からしてもこんな場所にそぐえわない、上品ないでたちの少年だった。
 客がステラでなかったことに落胆すると、アウルは手元のコーヒーに視線を落とした。カップの傍らに投げ出された腕にはめた腕時計が約束の時間はかれこれ1時間以上も過ぎていることを告げている。
 
 あと30分待ってこなかったら、メールを入れて理由を問いただしてやる、とアウルは毒づいた。

 本来ならば電話を入れてやりたかったのだが、自分達が隠れて付き合っている以上、やたらめったら彼女に電話をかけられないのも彼のストレスに拍車をかけている。


 ・・・・仕方がないことだと分かっていたとしても。



「・・・・何してんだ、アイツ」


 再び顔を上げると、先ほどの少年が席に着こうとも、声をかけてきた店員の声に応えようともせず、何かを探すように店内を見回していているのでアウルはいぶかしげに眉を顰めた。
 少年は何かを、もしくは誰かを探しているかのようでよくよく見てみると彼に誰かの面影を感じたが、誰なのかは思い出せない。
 まぁ自分には関係ないかと、少年から視線を外して携帯を取り出した。
 やはりステラからのメールも電話の着信もなし。
 アウルに眉間に皺がよった。怒りからではない。生まれたのは不安だった。

 ステラはぼんやりとしているが、意外と時間にはうるさかった。家庭の事情、とい言うやつだろう。お嬢様、という職業柄(厳密に言うと職業ではないけれど)スケージュールはひしめきあっているからデートの日時は大体はステラの都合に合わせられていた。今回のデートだって彼女から言い出してきたものだった。確認のメールまで来たのだから忘れるはずがない。

 何の連絡もないのはさすがに不自然だと思い、ふと嫌な予感がアウルの頭の隅を掠めた。
 彼に声がかかったのはそんな時だった。


「アウル・・・・ニーダか?」


 顔を上げるとさっきの少年が自分を見下ろしていた。
 近くで見ても冷たい目だ、とアウルは改めて思った。たとえれば北欧の冷たい冬の色。だがこんな眼差しを向けられるような覚えした事もないし、第一、この少年と面識さえないというのに相手は名乗らずに一方的にこちらの名前を聞いてきて。おまけに友好な雰囲気のかけらも無い態度で冷ややかに見下ろしてきている。


 ・・・・不愉快だった。


「あんた、なに?」


 当然アウルの口を突いて出てくる言葉はとげとげしく、ケンカ腰になる。


「アウル・ニーダか?」


 だが、少年はアウルの言葉に答えず、冷たく同じ言葉を繰り返すだけ。
 彼がアウル・ニーダでなかったら言葉をかわすことさえ無駄に思っているかのようにそれ以上なにもかたろうとしない。アウルは舌打ちをするとしぶしぶながら少年の言葉を肯定してうなずいた。


「そうか」


 とたん、少年の空気が変わった。
 対象を凍てつかせる冷ややかな眼差しから強い感情を宿すものへと変わったそれは鋭い刃となってアウルにつきささる。

 それは純粋な敵意だった。

 純粋がゆえにそれは強く、そして激しい。
 言葉を失うアウルにかまわず、レイは口調はあくまで淡々と、だが鋭利な刃を含む言の葉で口火を切った。


「俺の名はレイ・ザ・バレル・ルーシェ。ステラ・ルーシェは俺の妹だ」
「・・・・!」


 ガタン。
 アウルが立ち上がった拍子に傍らのテーブルが揺れ、こぼれたカップのコーヒーがテーブルを濡らしたが、アウルはただ呆然とレイを見ていた。

 ステラの兄が自分を知っていた事に驚いたからではない。

 ステラが来ない代わりにレイが待ち合わせの場所に来た事にアウルは事の顛末を悟ったからだった。


「ステラは・・・・?ステラはどうしたんだよ・・・?」


 小刻みに震えるこぶしを握り締め、言葉を搾り出すアウルをレイは冷ややかに一瞥すると着ていたブレザーの懐から一つの分厚い封筒を取り出した。


「ステラは来ない。そしてお前に会うこともないだろう」


 アウルの表情など意に介した様子は無く、レイは淡々と一方的に言葉だけを並べると其の封筒を彼らの間にあるテーブルに置き、アウルの方へと押しやった。


「手切れ金だ。足りなければ用意させる」


 アウルはレイから告げられた言葉で受けたショックのあまり目の前に置かれた封筒の意味をしばらく理解できないでいたが、
ゆっくりと冷静さを取り戻すと。怒りと屈辱で頬を高潮させ、レイにつかみかかった。


「ふざけんな!ステラどうしたんだよ?!」
「足りないのか」


 胸倉をつかまれ、激しくゆすぶられてもレイの顔色は能面のように変化を見せない。それどころかアウルの怒りなど何でもないと言うかのように受け流し、更なる増額を提案してきたのだ。

 そんなレイの態度に人としてではなく、動物かなにかのように扱われたような気がして。

 それが悔しくて哀しくて。

 アウルの声がふるえた。


「・・・・そんなもの・・・・いらねぇ・・・・っ。ステラは!ステラはどうしたって聞いてんだよっ!」
「ステラには婚約者がいる。お前など必要ないから逢わせないまでの事だ」
「婚約者が何だって言うんだよ!俺らは・・・・・っ僕は・・・・・」


 ステラに逢いたい。

 彼女を愛しているのに。

 自分に残っているのは彼女だけなのに。

 婚約者のいる彼女を愛したということで何故こうも蔑まれなければならない?


「ステラに婚約者がいるのを知りながら近づいたお前が俺は許せない」


 だがアウルの言葉等聞く耳など持たないとレイは絶対零度の言葉を投げつける。


「お前はシンからステラを、ステラからシンを奪うというのか」


 冷徹だったレイの言葉は徐々に熱をおび始め、彼の凍えた瞳の奥に憎悪の光が生まれ出てきていた。


「ステラに父を家族を、友人を!!全てを捨てさせろと言うのか、貴様は!!」
「あ・・・・」


 激高するレイの言葉に自分の両親がアウルの脳裏をかすめた。
 心の奥底に無理やり押し込めたつらい記憶が蘇る。


『お前は厄介物だ』
『お前のせいでアズラエルさん夫婦がどんな思いをしてきたか』
『お前の母親はたった一人の家族だった姉のナタルさんを捨てて行きずりの男と駆け落ちしたんだ』
『結婚も決まって結納も終わっていたというのに』
『人に頭など下げた事のなかったアズラエルさんが先方に必死に頭を下げるところを見たことがあるかい?』


 自分を見つめる親戚たちや従業員達の冷たい目。
 聞こえよがしにささやかれる噂話。

 父は婚約者のいた母に全てを捨てさせ。
 母は皆を裏切った。
 その息子である自分は厄介者。疫災だと。

 皆、口々にそう言っていて。


 父と駆け落ちをした母はそのあとどうなった?


 二人は事故であっという間に逝ってしまって・・・・。
 そして自分は一人、残された。
 残され、叔父夫婦に迷惑をかけて今こうして存在いる。
 だけど叔父たちのためにも両親のようになるまいと思って生きてきたつもりだった。

 


 ステラを連れ出すことは。
 ステラの家族を悲しませる。
 ステラから皆を奪ってしまう。
 家族から友人たちからステラを奪ってしまう。




 自分は両親と同じ事を繰り返そうとしていたのか。
 決して二の轍を踏むまいと思っていた両親と同じことを。

 
 恋に熱くなるあまり、我をしなっていた自分は・・・・両親と、同じだ。


「・・・・ばかじゃん?」


 ステラの事をバカバカと言っていた自分がずっと馬鹿だった。


 


 アウルは力なくレイの胸ぐらを離すと、魂を失ったようにフラフラとおぼつか無い足取りで店の出口へと向かった。

 彼の気配に反応してスライドする自動ドア。

 それが背後で完全に閉まる間際にレイの声が飛んだ。


「少しでもステラを大事に思ってくれるのなら・・・・二度とステラの前に現れないでくれ」


 レイの最後の一事。
 それは命令でも脅迫でも無く、ステラの兄としての懇願だった。























「・・・・ステラ?」

 閉ざされたステラの部屋の前にシンはいた。
 レイによって自宅謹慎を命じられたステラは部屋に閉じこもったまま、食事時になっても出てこようとしなかった。
 妹のマユが先陣を切って彼女に声をかけたが、ドアは閉ざされたまま。途方にくれて降りてきた妹に替わってにシンがきたのだが、やはり返事はない。
 彼は一つため息をこぼすと。


「ごめん、はいるよ?」


 ドアノブに手をかけてゆっくりとまわした。
 鍵はかかっていなかったらしく、ドアはあっさりと開く。
 恐る恐る顔を覗かせると、ステラがこちらに背を向け、ベットの足元でうずくまっているのが見えた。
 泣いているのか、彼女の細く、華奢な肩は小刻みに揺れていてかすかな嗚咽が聞こえてくる。


「ステラ」


 もう一度声をかけた。
 けれど返事はない。
ステラが心配で、彼女の顔を見たくてシンは彼女の方へとゆっくりと歩を進めた。


「・・・・一人に・・・・して」


 だが嗚咽の混じった静止にその足を止められた。


 俺は何も出来ないのか?


 彼女の背中にかたくな拒絶を感じ、シンは知らず知らずのうちに唇をかみ締めていた。


「ごめ・・・・ん・・・・なさ・・・い」


 ステラはただ一人にしてくれと、うわ言のように繰り返す。


 力にもならせてくれないのか。

 シンは傷ついた想いで彼女の背中を見つめたが、彼女は振り返ろうとしない。シンは自分の気持ちを押し隠し、夕食の用意が出来ている事を言葉少なげに告げると彼女に背を向け、もと来た所へときびすを返した。
 最後にもう一度振り返ったが、彼女はただ泣き続けていた。


 心が鋭い悲鳴を上げている。

 だけどどうする事もできない。
 
 自分はあの時、何も出来なかったのだから。



 シンとの話し合いのあと、レイがまずしたことはステラの軟禁と彼女から携帯を取り上げることだった。
 そして携帯からアウルという少年との次の待ち合わせをしると、やめてくれと泣きながら懇願するステラを押しのけ、彼はその少年に直接話を付けに行った。

 レイに釘を刺されていたシンはそれを見ている事しか出来ず、助けを哀願するステラの眼差しに耐えられず、顔をそむけた。
 其の時、彼の視界に隅の映ったのは。





 ・・・・・絶望に沈む、ステラの菫色だった。




















「駄目だ、でねぇ。アイツ、どうしちまったんだ?今まで無断欠勤なんてことなかったのに」
「どうしたんだろうな、アイツらしくもない」


 喫茶店のマスターにアウルの不在を告げ、スティングため息をつくと店の電話を戻した。


 アウルとレイの会合から数日。
 アウルの無断欠勤が続いていた。
 心配したスティングが何度か電話をかけたものの、着信はしているようだったが応答がなく、留守電サービスに繋がってしまう。


「ホント・・・・どうしちまったんだよ・・・・」


 スティングは途方にくれたように宙をあおいだ。
 外では雨が降りだしていた。



















 灰色に覆われた空から霧雨が降り注ぐ。
 新緑の葉を細かく揺らし、さわさわと耳元をぬらす、雨の音。


 アウル6畳間のアパートで一人、ぼんやりと外を見やっていた。
 開け放たれた窓から振り込んでくる冷たい雨の粒子は窓の縁とアウルの毛先を濡らす。それでもアウルはただぼんやりと窓に寄りかかったまま、片膝をかかえて微動だにしない。

 マナーモードに切り替えてある携帯から何度か着信を知らせる振動があったが、彼は見向きもしなかった。

 ただ外の風景を見つめ続け。
 
 失くした日々の残像を追って、思い出の中をさまよう。

 もう何もない。
 両親は当に亡く、自分を受け入れてくれた叔父達を捨ててきて。
 今度はステラも失った。




 現実はつらく、思い出の中は暖かく、だが儚く。
 それでも抜け出せなくてアウルは過去をさまよっていた。




 また携帯が振動した。
 それはずっと振動を続けていたが、相手側が諦めたのか、留守電サービスに切り替わったのかまた静かになった。

 だが間を入れずにそれはすぐまた振動を始めた。
 同じ感覚で振動を続け、また静かになる。

 そしてまたすぐに振動を始める。
 その繰り返し。

 延々と繰り返されるそれにアウルは舌打ちをすると、のろのろとその携帯を手にとって、通話ボタンを押した。
 言葉を発すること無く、それをただ耳に当てる。


 口を開く事さえも億劫でつらくて。
 自分はまだ夢を見ていたいのにと。



「・・・・アウル?」


 だが耳元に響いた懐かしい声にアウルの青い目が驚きに見開かれた。
 口元がわななき、言葉を紡ごうにもうまく動かせなかったがやっとのことで言葉を搾り出した。


「・・・・・シャニ・・・・?」


 やっと出せた声は蚊の泣くようでかすれていて。
 でも懐かしさと喜びを含んだ声。
 声を発するのは何日ぶりだろうと思いながら、電話に応えると、電話の向こうの従兄がかすかに笑ったような気がした。














あとがき


つづきます。あと2話くらい・・・。つづきます。あと2話くらい・・・。お付き合いいただけたら嬉しいです。

シンには重要な役割が待ってます。
ルナマリアも再登場。
お付き合いいただけたら嬉しいです。