どんな形であれ、俺は君が幸せであればそれで良いんだ。
 君があいつの傍を望むのなら君の背中を押してあげる。
 笑って君を見送るよ。
 大好きな、君だから。
 誰よりも君の幸せを願っているのだから。
 君が笑顔でいてくれるのなら、俺はそれだけで幸せな気持ちになる。












 
  愛おしい君に
       
     笑顔を
























 聞こえてくるクラクションの音。
 ガヤガヤと騒がしい人の声。
 排気ガスのにおい。
 
 人のごった返す人ごみの中にたたずむクレープ屋のオープンテラスでクレープにぱくついている制服姿の少女たちに混じって一組のカップルが仲むつまじく寄り添ってクレープを食べていた。一見普通のカップルだが、ただ少女が身につけていた良家の息女のみ通う、地域でも有名な名門付属女子高の制服の上品過ぎるデザインが周囲の少女たちとはやや異彩の空気を放っている。


「ステラ、口元がクリームだらけじゃん」
「う?」


 カップルの片割れである少年が傍らの少女に手を伸ばして口元のクリームをぬぐってやると、そのままなめ取った。傍から見たら恥ずかしい光景なのだが、ステラと呼ばれた少女は何事も無く笑うとまたクレープに戻っていった。

 周りの少女たちや少年が手にしているクレープの倍はあるかというクレープを無我夢中でほおばっているステラの姿はおせじにも良家のお嬢様に見えない。


「うまいか?」
「うんっ。こういうおいしいもの・・・・はじめて」


 そんな少女に苦笑して問うと、力いっぱいの肯定が返ってきて、アウルはやや驚いた面持ちで彼女を見やった。


「クレープ食ったこと無いのかよ?」
「え・・・・とクレープ・シュゼットとか・・・・プレートとかで食べた事ある。クレープシュクレが好きだったけど、こっちの方が、ステラは好き」
「ふぅん」


 クレープ・シュゼット?クレープシュクレ?何のクレープだ、と聞きたくなるくらい聞きなれないクレープは食べた事があってもこういった街にあるクレープはないという。
 箱入りで育てられたのか常識に乏しくほえほえと危なっかしいステラ。
 彼女はアウルの中のお嬢様というイメージから程遠く、彼女がお嬢様だという事実をたびたび忘れるが、些細な会話の端々でそれを思い出す。
 
 それが良い事なのか、悪い事なのか。アウル自身まだ決めかねていた。


 でも彼女を愛おしい、傍にいたいと思うのは本当で、なかなか逢えない時間のなかで今こうして時を過ごしている。


 出会いは二人の共通の知人を通してだった。なかなか出会いの無いステラにも青春を、と張り切っていた彼女の友人はたまたまアウルのバイト先である喫茶店の常連だった。
 ステラとは別の意味でとてもお嬢様に見えないその少女がアウルに彼女を紹介したのがきっかけ。

 お嬢様、というステータスに興味をもったアウルが始めは互いを知る事からと誘ったのが遊園地で子供の頃行ったきりだとはしゃぎまわるステラに振り回されて一日が終了。
 もう二度とごめんだと思ったけれど、窮屈なスケジュールの合間を縫って彼女はアウルのバイト先にあしげく通ってきた。

 外の風景や会話一つにしても一喜一憂するステラは世界はこんなにも広く美しいとでも言うように大きなすみれ色を輝かせて見入る。

 
「病気がちであまり外に出て歩けなかったから」

 空気の良い田舎町で少しずつ丈夫な体を取り戻して行って。
 ようやくこの町に帰ってこれた。
 屋敷の敷地内ばかりの世界だったから
 世界がこんなに広くてキラキラしているなんて知らなかった。
 幸せだ、と。
 つらかった過去を微塵も感じさせない笑顔でそういったのだ。

 アウルが彼女に惹かれていったのはそれがきっかけがだったのかもしれない。まるで初めて恋をしたようにステラの言動に紅くなったり青くなったり。まるで信号機ね、とステラとの共通の友人となった少女は笑い、アウルは其のたびに口をへの字に曲げてうるせーよとつぶやいたものだった。


「ステラ、僕のもいる?」
「ふえ?」


 すごいスピードで無くなってゆくステラのクレープにやや気おされながらも彼女の笑顔がみたくてアウルは自分のを差し出した。ステラばかり見ていてまだほとんど手が付けられていなかったクレープ。それで彼女が喜んでくれればと思ったのだ。
 だがステラが返事をする前にふと風のように横切った影がそれを掠め取ってしまった。その影の正体に気づいたアウルの目尻が見る間につりあがる。


「ルナぁっ、てめぇ!!」
「ルナっ」


 アウルの怒声とステラの歓喜の声はほぼ同時だった。
 ステラと同じ制服に身を包んだルナと呼ばれた少女は挨拶代わりに軽く手を上げると奪い取ったクレープに大きくかぶりついた。


「あ”〜〜〜〜っ!!」


 とたんアウルの悲痛の声が上がった。
 ただでさえ余裕の無いバイト生活を送っているアウルにとってはクレープの奪取は相当の痛手だったらしかった。
 そんなアウルの声などどこ吹く風と言ったように瞬く間にそれを平らげると、ルナマリアは腕を広げてステラを抱き寄せ、可愛くてたまらない、と言うように彼女に頬ずりを始めた。


「きゃー、今日も可愛いわねー。ふわふわのステラ、食べちゃいたい」
「うふふふ、くすぐったいよ、ルナ」


 笑い声を上げるステラの頬についたクリームに気づくと、ルナマリアはそれを舐め取り、おまけ、と大きな音を立ててその頬に口付けた。
 周囲が驚きに固まる。
 アウルも一瞬固まったが、すぐに復活すると殺気のこもった視線をルナマリアへと向けた。


「ステラに変な事すんな!しばくぞ、てめぇ!」
「なによ、それぇ。それがステラを紹介してあげた恩人に対する言葉ぁ?」
「う・・・・」


 そう。
 ステラをアウルに紹介してくれた常連客は彼女だった。
 彼女がいたからこそ今の自分達がいる。
 そう思うと彼女に対して強く出れないと思った。
 が。


「今ホント後悔してんのよ〜。可愛い親友をこの超絶馬鹿に紹介してしまったとおもうと夜も眠れない〜〜」
「ルナ、くすぐったいよ・・・・」
「いーかげんにしねーとホントにしばくぞ、この痴女!!」


 ステラへの過度なスキンシップをやめようとしないルナマリアを前にその気持ちはあっという間に霧散したのだった。





「・・・・でなんの用?」


 ステラを開放してしばらく経ったあとでも渋い顔のまま、アウルがルナマリアに用件を問いただしたが、彼女はべっつにーと揶揄するような口調で肩をすくめただけだった。


「おまえな・・・・」


 当然それはアウルの怒りを買い、彼は彼女を懲らしめようと手を伸ばした。ルナマリアはその手を信じられないくらいの反応速度で交わすと、逆にヘッドロックをかけてきた。


「ほ〜〜っほっほっほ、このルナマリア様にけんかを売るなんて百年はやい!!」
「ぐぇ、ろーぷろーぷ・・・・」
「アウル・・・・っ。ルナ、やめて・・・・」


 降参の意を示すアウルと彼の解放を懇願する眼差しを向けてくるステラ。ルナマリアはふっと笑うとその姿勢のままアウルをさらに近くへと引き寄せ、ステラに聞こえないように彼の耳元でささやきかけた。


「あんた・・・・なんでステラを制服のままにしてんの?もしうちの学校の連中とかステラの知り合いとかにばれたらあんたらどうなるか分かってんでしょ」
「・・・・」

 普段おちゃらけた調子のルナマリアと異なる、低く目のトーンは彼に警告する真剣な響きがあって。
 アウルは自分とステラの立場を改めて再確認させられると共に、久しぶりに逢えたのが嬉しくて、他人の目を忘れていた自分の軽率さに唇を噛んだ。




 アウルとステラは周囲に隠れてこっそりと付き合っている間柄だった。





 どちらから告白をしたというわけでも無く、バイト先で顔をあわせてはごく自然に会話を交わし、時には一緒に出かけ。少しずつ親密になっていった。

 アウルの部屋で二人が結ばれたのは昨年のクリスマス。

 友人の家に泊まると言って嘘をついて来たステラを抱いたものの、初めての時のように緊張してしまって手間取ってしまい自己嫌悪に陥った。
 でもステラは幸せな思い出が出来たと頬を染めて微笑んでくれた。差し込んでくる街灯の光の中で何度も抱き合って、何度も好きだと言いあったあの日から彼女と過ごす一日一日がアウルの宝物になっていった。


 ほんわかとした空気の中でちらちら舞い踊る薄紅の花びら。
 強い日差しの中で聞こえてくるせみの声。
 遠く広がる空の下で聞く木枯らしのささやき。
 全てを包み込むように音も無く静かに降り積もる雪。


 その風景一つ一つに目を輝かせ、見て見て・・・・とステラがアウルの手を引っ張れば、彼もつられてその方向へと目をやる。


 あれ、この街はこんなにもたくさんの色をもっていたんだろうか?


 今まで素通りさせていった風景がステラを通してアウルの目に鮮やかに映りこむ。優しく、鮮やかに見えるそんな日々。

 自分にたくさんの宝物をくれたステラのためにたくさんの事をしてあげたいとは思っているのだけれど、彼女は箱入りのお嬢様で自分は親のいない孤児。
 北海道で農業を営んでいる叔父夫婦の制止を振り切り、東京まで出て来てバイトで生活費を稼ぎながら高校に通っている。
 農業に興味もてなかったし、何よりも叔父夫婦の世話になるのが心苦しくて勝手に家を飛び出してきたのだから生活費まで無心できない。


 それでも叔父夫婦は彼の元へ生活費を送ってきてくれた。


 ガンバレ、という励ましと。
 いつでも帰りを待っているという暖かい言葉と共に。


 3人の息子たちを抱え、彼らの生活も楽ではなかったから決して多くはなかったけれど彼らの思いやりにアウルは涙した。
 バイトはきついけれど、幸いそのつてで下宿先も格安で借りる事が出来ている。余裕の無い生活だからデートだってお金のかからない場所がほとんどだった。

 自分は到底彼女につりあうとは思えないけれどそれでも彼女は自分を好きだとまっすぐに見つめてくる。
 普段は茫洋とした瞳に情熱を宿して。

 彼女と自分の立場の違いは分かっている。
 彼女の身内がきっと自分を認めてくれないだろうという事も分かっている。
 それがとてももどかしい。
 自分だって彼女を守れるはずだと思っているから。


「大事にしなさいよ。泣かしたらただではすまさないから」


 最後にそう付け加えるとルナマリアはアウルを離してステラに手を振ると現れた時と同じように風のように去っていった。
 本当に自分勝手なヤツ、と言うアウルの呟きを聞く事も無く。


「ルナを・・・・怒らないで・・・・?大丈夫?」
「ん・・・・」


 自分の頭をなでる小さな手が不安をわだかまりを拭い去ってくれるかのようにアウルから重苦しいものが引いてゆく。こみあげてくる愛おしさで周囲を忘れ、アウルはステラの手にを取ると腕の中へと抱き寄せた。胸元に当たる頬の感触や背中に回された腕の暖かさに心から幸せを感じる。


「アウル・・・・」



 ステラといると幸せな気持ちになる。
 彼女が愛おしい。
 きっとこの先彼女以上に愛する存在は現れないと思えるほど。何よりも替えがたい大切な・・・・。



 でもそんなアウルに一つだけ・・・・ぬぐいきれない不安があった。


「アウル、シンから手紙来た」


 シン・アスカ。
 今イギリスに留学中だというステラの幼馴染で許婚の存在だった。ステラには二つ上の兄がいたが、帝王学やらピアノやら多忙だったらしく、代わりに彼が何かと面倒を見ていたらしい。
 親の取り決めでイギリスの高校に進学した彼は定期的にステラへ手紙をよこしていた。ステラが嬉しそうに彼の手紙を見せるたびにアウルにどす黒い嫉妬が生まれる。
 親同士が決めた許婚にすぎないと彼女が言っていても、シンという少年の事を聞くたびに腹立たしさを覚えるのだ。この日もやっぱりそうで、デートに他の男の話を持ってくるステラにいらだった。
 アウルはその気持ちを押し隠そうと気のない返事を返していたが、ステラの次の言葉でその身を硬くした。


「シン、この春に帰ってくるって」


 冗談じゃない。


 アウルの心が大きく波たった。
 手紙と違って実際に逢ってしまえば心も変わってしまうのではないかと。シンという少年は自分より長い時間を彼女とすごしてきたのだから再会して彼女が心変わりしてしまっても不思議はないと。



 もしステラが僕を捨ててそいつの元へ行ってしまうとしたら?
 僕はそのときどうする?



 心に少しずつむしばんでくる、果てしない闇。
 同時に頭のてっぺんから、一気に血が下がってくるような感覚が襲ってきて、アウルを侵食してゆく。

 この感覚の正体は分かっている。
 アウルは手紙を食いるように読むステラから視線を外すと彼女に気づかれないように重い息を吐き出した。











あとがき


アウステ現代パラレル。シンは次回に登場予定。すいません、続きます。