「日本に帰る?」 クラスメイトのアビー・ウィンザーはシン・アスカの言葉が信じられないと言うように目を丸くした。 「まだ留学途中でしょ?」 「うん・・・・でもさ、親父が体壊しちゃったらしいんだ。たいした事は無かったんだけど、すっかり気が弱くなっちゃって。傍にいて欲しいって言われてさ。ちょうど良い時期だしこのまま向こうに編入する。まぁ帰ってすぐ卒業だろうけど」 「そっかー、さびしくなるわね・・・・」 シンは手にしていた本を閉じると窓の外に目をやった。 外では青い空が広がっていて、心なしが気持ちも浮き足立ってくる。イギリスは曇りの日が多く、青空が見られる日はなかなかないからそれだけにとても貴重な色。 自分の帰国が決まったこの日にこんな空が見れることがとても嬉しくて。それ以上に逢いたくても逢えないでいた婚約者、ステラに逢えるのだと思うと彼は喜びを隠し切れなかった。 逢うのは2年ぶりくらいだろうか。 きっと彼女は綺麗になっているだろう。 どんな顔をして自分を迎えてくれるのだろうか。 そして自分は。 其の時、広い青空に飛行機が一機、横切った。 碧の空間に生じた一つの白い線。 この青い空はきっと日本にも繋がっていてステラも同じ空を見ているかもしれない。 婚約者とのしばらくぶりの再会に想いを馳せ、シンは紅い瞳を細めた。 愛おしい君に 笑顔を 「もうこんな時間・・・・」 アウルの腕の中でまどろんでいたステラは窓から差し込む夕暮れの光に夢から覚めたように顔を上げた。彼女の髪を撫で付けていた手を止め、アウルもベット脇の小さな置時計に目をやった。 「まだ時間あるじゃん」 「今日は早めに帰ってきなさいって兄様が。大事なお話、あるって」 不満の声を上げて自分を抱く腕に力を込めるアウルに困ったように笑い、彼の唇にキスを落すとステラはその腕からそっと抜け出した。 兄に指定された時間に遅れないようにと急いで脱ぎ散らかされた下着と制服を拾い上げ、身につけてゆく。胸のブラジャーに手間取っていると、後ろから伸びてきた手がつけるのを手伝ってくれた。 「ありがとう、アウル」 「ん」 制服を身に着けてゆくステラを見つめていたアウルは暗くなりかけた空にちらりと目をやるとシャツを手にとって着替えを始めた。 「あうる?」 「途中まで送るよ。一人じゃあぶねーから」 「うん・・・・」 ぶっきらぼうな口調ではあったけれどアウルの優しさにステラは感謝の気持ちを込めて微笑んだ。 夕暮れの道を手をつないで歩く。 二人から伸びる影を踏みながらステラは歌を口ずさんだ。 夕焼け小焼け日が暮れて日が暮れて 山のお寺の 鐘がなる お手々つないで 皆かえろ 烏も一緒に 帰りましょう 「・・・・童謡?」 「うん。子供の頃、兄様とシンと・・・・遊びに行った帰りに、よく歌った」 「そっか」 そういえば自分もそういう時もあったな、とアウルは北海道にいる従兄たちと過ごした幼い日々を思い出した。 夕方遅くまで遊びまわって、じゃれあいながら一緒に夕暮れの道を歩いて帰った事を。 『撃・滅!滅・殺!必・殺!』 『させるかー!』 一番歳の近い従兄とは泥だらけになって遅くまで遊んで。 たくさんの遊びを教わった。 『おめーらいい加減帰らないとお袋が角出すぞ』 遊びつかれた頃には長兄とも言える従兄が迎えに来てくれていた。 物しりでいろんな事を離して聞かせてくれて、本も読んでくれた。 『アウル・・・・今日は雨が降るから・・・・・傘』 どこの天気予報よりも正確な予報を告げてくれた中兄。 口数は少なかったけれど、優しく見守ってくれていた。 『帰ったか。今日もそうとう暴れてきたらしいな。手を洗って来い。すぐに食事だ』 夕日が照らす玄関先で叔母が水撒きをしながら 出迎えてくれ。 『みなさーん!!今日は珍しいものが手に入りましたよー!!庭でご飯を食べましょう!!』 ちょうどその頃に仕事を終えた陽気な叔父が帰ってきてさらに賑やかになる。 笑いあった幸福な毎日。 事故で両親を失った寂しさを彼らが埋めてくれた。 寂しいと思った事なんて無かった。 大切だった。 どうしてそれを置いてこの東京まで一人出てきたのか。 きっかけは近所の人たちや従業員たちが漏らした心のない一言だった。 『厄介者』 叔父たちは何も言わなかったけれど、アウルの両親は周囲の反対を押し切って駆け落ち同然に家を出たのだと皆口々にアウルと両親を非難した。 これ以上両親を悪く言われたくなくて、そして叔父たち迷惑をかけたくなくて出てきたけれど、今でも迷惑をかけているのには変わりない。 早く卒業して自立して。 恩を返せたら・・・・とアウルは常々思っていた。 「アウル?」 「あー、なんでもね」 黙りこくったアウルの顔を心配そうにステラが覗き込む。彼女を心配させたくな飼ったから彼はなんでもないと笑ってみせた。 この少女の事もまた同じだ。 自立しなければ彼女の手を取る資格だってないのだから。 「ここまで・・・・だよな」 「うん・・・・」 ステラの家の近くまで来るとアウルはつないでいた手を離して彼女を見つめた。 角を曲がれば彼女の家。 毎度の事だけれど、別れ際は名残惜しい気持ちになる。彼女を玄関先まで送れないのももどかしい。 「アウル、ありがとう。・・・・ごめんね」 「馬鹿。ごめん、なんて必要ねーよ」 「・・・・うん」 自分を見上げるステラの瞳は別れを惜しむように潤んでいて。その輝きに吸い寄せられるようにアウルは彼女を抱き寄せた。 忍び寄る闇を感知して灯った街灯の下でふたつの影が重なった。 ![]() ![]() 「ステラ、シン君の父君が過労に倒れた事は知ってるな」 「・・・・うん」 珍しく父と兄の揃った食卓で父が重々しく口を開いた。 今日の夕食はステラの好物のクリームコロッケ。 お腹をすかせていたステラはその手を止めずに彼の言葉に耳を傾けた。 「大事には至らなかったが、すっかり気を弱くしてな。それで卒業を目の意前にしたシン君が予定を早めて返ってくる事になった」 「知ってるよ・・・・?」 シンの帰国は手紙でもう既に知っている事。 少し早い気もしたが、父は何を言いたいのだろうか。 コロッケを飲み込みながらステラが首をかしげて何かを言いかけると向かいに座ってそれまで黙っていた兄のレイが口を挟んだ。 「続きがある。黙って聞け、ステラ」 父の意を熟知した兄の言葉にステラは仲間はずれにされた気がしてやや不満を持ちながらも大人しく彼の言葉に従った。 一つ咳払いをしてステラの父は慎重に言葉を選びながら話を続けた。 「シン君が卒業して落ち着いたら・・・・・と考えていたが、ステラ」 「?」 「シン君との結婚の話を進めたいのだが、どうだ」 「ふぇ・・・・・?」 驚きのあまり取り落としたフォークがプレートに当たって耳障りな音を立てた。 「ステラ、行儀が悪いぞ」 呆然と目を見張るステラにレイの叱責が飛んだが、その声はステラを素通りしてゆく。 そんなステラの様子気づいたのかいないのか。 ステラの父親はさも当然のようにシンとの結婚話を進め、口元に笑みさえ浮かべている。 「子供の頃から一緒だったのだ。結婚したとしても今までとたいした変わりはないだろう。早く孫の顔を見せてくれれば私も向こうも安心する」 「で・・・でもステラ・・・・」 ようやく我に返ったが、頭の先から血が下がってゆくのを感じ、ステラは桜色の唇を震わせた。 シンの事は嫌いではない。 むしろ大好きだった。 でも彼女には既に恋人がいて、いつか父に彼を紹介できれば、と思っていた。自分からその話を切り出す前に許婚の件を持ち出されてしまい、ステラはそれ言い出す機会を失ってしまったのだ。 硬くなったステラの表情を急な結婚への驚きと戸惑いととったのかステラの父は彼女と同じすみれ色を細めて笑った。 「安心しろ。シン君にもこちらの意思を伝えてある」 「お父さん・・・・ステラ・・・・ね」 「式は秋。シン君が18になったあとすぐにだ」 「・・・・」 取り付く島もない会話にステラはうなだれて手元の料理を見やった。 あれだけお腹がすいていたというのにもう一口も口にする気にはなれなかった。 ![]() ![]() 次の日、いてもったっていられなくなったステラは初めて歌の稽古をサボるとアウルのバイト先に立寄った。 けれど捜し求めるアウルの姿は無く、喫茶店のマスターとアウルのバイト仲間のスティングが忙しそうに立ち回っていた。 「アウル?今日シフトにはいっているけどまだ来ていないな。座って待ってろよ。なんにする?」 優しい笑みを形作る金の瞳に暗い面持ちのステラに少し笑顔が戻る。彼にソーダフロートを頼むと入り口が見える部屋の奥の席に座った。 スティング・オークレー。 鋭い外見とは裏腹にスティングは優しい青年で何かとステラに気を使ってくれた。兄のレイにもシンにもそしてアウルにもない彼の優しさがステラは大好きで会って間もないというのに彼に懐き、ヤキモチ焼きのアウルを不機嫌にさせていた。 スティングとしては迷惑な話だが、彼はそんなアウルとステラをこの上なく可愛いがり、世話を焼いてくれる。 運ばれてきたソーダに口を付けると弱い炭酸の刺激とソーダとアイスの混じりあった甘みが口の中に広がった。 「あまい・・・・」 アウルとの最初のデートで飲んだソーダを思い出しながらステラはひたすら彼を待ち続けた。 アウルが姿を見せたのがそれから数十分後。息を切らしながら飛び込んできた彼は遅い、と怒るマスターに平謝りしながら専用のエプロンを引っつかんだ。 がたん。 奥で誰かが立ち上がる音のした方向に見やると彼はステラを見つけた。 今日は稽古事のある日だからあえるはずがないのにとマリンブルーを驚きにパチパチさせていると、兄貴分のスティングとマスターが彼女の接客をしろと言いつけてきた。 「は?でも・・・・」 「良いからあとはスティングに任せて行って来い」 「可愛い女の子をこれ以上待たせるもんじゃねぇ」 「・・・・?」 意味在りげに視線を交わす二人に怪訝な表情を向けたアウルだったが、これは幸いとステラのほうへと向かった。 逢えると思っていなかったから嬉しくて。 でも素直に喜ぶのが照れくさくて仏頂面を装う。 「何だよ、ステラ?どーしたんだよ?」 「アウル・・・・」 ところがステラの表情が優れない。 彼女の菫の瞳は普段から茫洋としているが、今日はそれを通り越して暗い色を宿している。 どうしたのかとアウルが問いただそうとすると、彼を遮るようにステラが口を開いた。 「アウル、ステラの事・・・・・好き?」 「・・・・は?」 唐突過ぎる言葉にアウルは固まった。ステラが唐突なのはいつもの事だけど、今日はいつにましてもレベルアップしている、とアウルは頭の隅でぼんやりと考えた。しばし呆然としていたが、ゆっくりと立ち直ると彼は頬を染めて怒り出した。 「ななななにいってんだよ、いきなり?!」 「好き?」 いつもなら大人しく引き下がるはずのステラは一歩も引かずに必死な表情で同じ質問を繰り返す。 「う・・・・」 「好き・・・・?」 どうしたんだよ、何があったんだよ、という言葉が頭の中を駆け巡ったが、とうとう彼女に根負けするような形で消え入りそうな声で彼女の言葉に好きだよ、とアウルが答えると、ステラの目にゆっくりと生気が戻ってきた。 「・・・・愛してる?」 こいついきなりなんだよ、とアウルは頬をさらに高潮させたけれど、やっぱり彼女の必死な眼差しに勝てずにうなずいた。 「・・・・愛してる・・・・よ」 「・・・・」 その言葉にステラの頬がばら色に染まってゆき、暗い色を宿していた菫色がキラキラと希望に満ちた眼差しへと変わる。 彼女は身を乗り出すとアウルの手を握って自分のほうへと引き寄せるとキラキラとした眼差しで彼を見上げた。 「じゃあアウル・・・・結婚して・・・・?」 「・・・・・は?」 ステラの突然のプロポーズにアウルは口をあんぐりと開けて彼女を見やった。何の冗談かと思ったが、彼女の顔からしてどうも本気のようだった。 アウルは自分を落ち着かせようと向かいの席に腰掛ると彼女と向かい合った。 「お前・・・・なんで急に結婚なわけ?」 「アウル・・・・・ステラと結婚、いや・・・・?」 とたん、ステラの瞳にみるみる涙が溢れ、彼女は泣き出しそうな顔で彼を見つめてきた。 めぐるましく変わる彼女の表情にアウルは困惑し、何が彼女をここまで追い詰めているのだろうかと疑問が再び浮かんできた。 「・・・・どうしたんだよ」 「・・・・結婚・・・・嫌・・・・・?」 問いに答えずに涙をこぼすだけのステラにアウルは弱りきった顔で天井をあおいだ。 「ステラ・・・・僕まだ17。男は18にならねーと結婚できないって法律で決まってるんだよ」 「じゃあ・・・・18になったら・・・・してくれる?」 「え・・・・・・」 「アウル」 アウルが戸惑いの声を上げるとステラの手に力が篭った。彼の返事を待って必死な眼差しを、向けてくる。その様子が尋常でなくて、あまりにも必死だったから。自分が予定していた予定より早かったけれど、元々そのつもりだったのだ。何とかなるだろう。ここで彼女の手を離してしまったら彼女が手の届かないところに行ってしまいそうな気がした。 アウルは覚悟を決めると彼女の手を握り返してうなずいた。 「・・・・ん」 「あうる・・・・!」 アウルがうなずくと、ステラは喜びいっぱい彼に飛びつくと人目をはばからずに噛み付くように口付けた。 周囲やマスターが目を丸くして見ているなか、アウルは目を白黒しながら口づけを受けると、ステラを何とか引き剥がそうと努力したが、彼女は頑としてアウルの首にぶら下がったまま。 恥ずかしいけれどもどうしようもないと諦めて甘受するとステラの潤んだ瞳と目があった。 「嬉しい・・・・ステラ・・・・嬉しい。頑張って、良い奥さん、なるね・・・・」 自分をこれほどまで好いてくれる彼女がとてもいじらしくて愛おしい。 彼女を見ていると自分の選択は間違っていないと思えた。 後悔はしないとアウルは笑った。 「ステラ・・・・」 「なに・・・・?」 「僕と結婚した綺麗な洋服とかそんなに着れないし・・・・貧乏だよ?」 そんなに、と付け加えたのはアウルなりのささやかな意地だった。洋服の一枚や二枚やりくりして何とかするつもりだった。 だが余裕のない生活になることは想像に難しくない。 きっとステラにも苦労させる事になると彼は告げた。 それでもステラは。 「ステラも一緒、頑張る。アウルといられるのなら・・・・どこだって天国だよ・・・・?」 「ん・・・・」 頬を寄せ合って抱き会っているとステラはふと思い出したように身を離すとアウルを見つめた。 「アウル・・・・お誕生日いつ?」 「へ?12月24日・・・・」 また唐突だな、お思いながらも答えると、ステラは不満そうに口を尖らせた。 「・・・・・クリスマス?どうして、何も言って、くれなかった、の?」 「あ」 せっかく二人のクリスマス、誕生日よりクリスマスを優先したのだ。其のうち言おうと思っていた事をうっかり口を滑らせ、しまったと思いながら慌ててアウルは弁解した。 「う〜〜言いそびれてたんだよ・・・・せっかくのクリスマスだったし?」 「・・・・次は一緒にお祝いしよう・・・・・?」 「クリスマスはどうすんだよ」 「一緒に、お祝いする」 「はいはい」 結局ステラから思いつめていた理由を聞きだす事が出来なかったけれど彼女に笑顔が戻ってきたんだからアウルはそれで良いかと其の時は思った。 二人の幼い結婚の約束だった。 たった二人だけの。 ![]() ![]() それから数週間後。 ステラの家の玄関先で学校帰りの彼女を出迎えるシンの姿があった。 当初の予定より少し早い帰国。 彼の姿を認めたステラは喜びのまま、その場に鞄をほうると彼の胸の中に飛び込んでいった。 「ステラ!!」 「シン!」 2年ぶりに再会した幼馴染は背も伸びていて彼女を抱きしめる腕は記憶の中のよりずっと大きく、胸も広かった。 「逢いたかったよ、ステラ。スッゲー綺麗になった」 「綺麗・・・・?」 「そう。こんなに美人になってると思わなかった」 そういうとシンはステラの金色のまつげの上にキスを落とした。 制服越しに伝わる豊満な胸の感触やつやのかかった薄紅路の唇、大きなすみれ色の瞳。金髪から覗く白いうなじがシンの胸を高鳴らせた。 それだけではない。 彼女からそれとなく女の色香が漂ってきているように思えた。 「写真より実物がずっと綺麗だよ。なんかこう・・・・その色気?・・・が出ていてさ」 「?」 「うわー。おにーちゃんのスケベ!!」 「ううううるさいなっ、マユ!!」 「ステラお姉ちゃん、お久しぶり!」 「マユ?」 シンの後ろからひょっこりと顔を出したシンの妹にステラの顔が一段と輝いた。マユはステラとは少し離れていたけれど、彼女とは仲良しの従妹だった。彼女も一緒にイギリスから戻ってきていたのだ。 「綺麗になったおねーちゃんを見てムラムラしたとか?スケベだよね」 「下品だぞ、マユ!!お、女の子がそんな事いっちゃダメだ!」 マユがからかう口調でそういうと、シンは顔を真っ赤に染めて彼女をしかりつけた。けれどしどろもどろになっていて全く威厳も何もない。 マユは彼を揶揄するような顔で笑いかけたあとにステラの傍によると、今度は意味在りげに声を潜めた。 「お兄ちゃん、ステラおねえちゃんに逢うなり何ムラムラしているんだろうね。そう思わない?」 「ムラムラ・・・・?」 「こらーーー、マユ!」 「きゃーーー」 じゃれあいとも言える兄妹の追っかけっこが展開した。 厳格な格式の元で育てられたレイとはそのような事をした事がなかったステラはうらやましそうにその光景を眺めていた。 やがてシンはステラの視線に気づくと、恥ずかしさのあまり顔を紅くしてステラの元へと戻ってきた。 「ごめん、ステラ。つい・・・・」 「ううん。仲良いね」 「う、うん。まぁ・・・・うげっ!」 バンという強烈な音共に照れ笑いを浮かべていたシンの顔が驚愕に引きつり、彼は、前のめりに倒れそうになった。後ろから駆け寄ってきたマユが照れたシンの背中を力いっぱい叩いたのだ。 「二人ともごゆっくり!マユは先行ってまーす!」 「こいつ!」 「あははっ」 嵐のように通り過ぎて行った妹の背中を笑顔で見送るとシンはステラの方へと向き直った。だが彼女を前にして本来の用事を思い出し、照れくささのあまり顔を紅くして彼女をまともに見れない。 「シン?」 だが首を傾げるステラに何とか決心をつけるとシンは口を開いた。緊張のあまり声が上ずるのはどうにもならなかったようだ。 「ステラ、あのさ・・・・話きいた・・・・よな?」 「?」 「結婚の話」 「あ・・・・」 ステラのすみれ色にわずかに影がちらついたが、緊張の中にいるシンは気づかない。 「急すぎる話だっただろ・・・・?だからさ・・・その」 「シン・・・・あの・・・ね」 このまま話を進められる前に、とステラはアウルの事を切り出そうとした。 何時も傍で見守ってくれたシンならきっと分かってくれるだろうと。 だが、その会話は割り込んできた抑揚のない声によって唐突に断ち切られてしまった。 「ステラ、いつまで制服のままでいるつもりだ」 「にーさま・・・・」 顔を上げて声の方へと視線を向けると、ステラの兄であるレイが階段から降りてくるところだった。 「着替えてからでもゆっくりと話ができるだろう?」 「わかった・・・・」 「良い子だ」 ステラの素直な返事にレイの鋭利な空気がふっと緩んだ。彼が手を伸ばしてステラの髪をなでつけると、彼女は嬉しそうな笑顔ですぐに着替えてくると上の階へと上っていった。 彼女の姿に階へと消えると、シンは親友でもある幼馴染の方へと振り返った。 「ステラ、ちょっと見ない間にすっごく綺麗になってびっくりしたな」 「・・・・話がある」 「へ?」 シンとの会話を無視し、淡々と用件を述べる彼にシンは何事かと紅い目を瞬かせた。 「そう長くはならない。父には内密な話だ。ただこれはお前の受け止め方次第で結婚の話は無かった事になるかもしれない」 「・・・・」 いつもよりさらに深刻なレイの表情にシンはうなずく事しか出来なかった。 「イギリスはどうだった」 レイはメイドから運ばれた紅茶をシンに手渡しながらイギリスでの生活を切り出してきた。 「寄宿生活は窮屈だったよ。規則でがちがちでさ」 「そういうものだ。秩序を重んじる国だからな」 「そうだろうね。話って何?こんな話じゃないんだろ」 「・・・・ああ」 レイは声をワントーン下げて返事をすると窓の外へと目をやった。 もう既に日が暮れていてあたりは闇に包まれ、家から漏れる明かりと街灯が外を照らしていた。 だがレイが黙っていたのはほんの一拍だった。 「ステラに恋人がいるようだ」 「はい?」 唐突過ぎるレイの言葉にシンはたまらずくちをあんぐりとあけてレイを見上げた。そんな彼を見てレイは端正な表情をわずかに曇らせる。 「やはり知らなかったか」 「ちょっと待てよ!恋人って・・・・そんな事一言も」 「ステラも隠していたようだからな。最近までは俺も知らなかった」 驚きに声を上げるシンを一瞥すると、レイはゆっくりとじぶんの机に向かい、上にあったファイルを取り上げた。 「結婚の話が出てからは俺たちはステラの周辺に特に気を使うようにしていた。今思えばもっと早くそうしていればよかったと後悔した」 渡されたファイルを見てシンの目が驚愕に見開かれた。 「大分前からステラの様子がおかしかったからな。まさかとは思っていたが、残念ながら俺の予想通りだった。これは俺の独断で父はこの事をまだ知らない」 ファイルの中身はステラの身辺調査の報告書だった。ファイリングされた書類の中にあった数枚の写真にアウルとステラが仲良く歩いているのもあった。 「このことが明るみに出たきっかけはステラの制服姿だ。見たという情報が耳に入って調べ上げた。相手は一駅はなれた高校に通うアウル・ニーダという少年。ステラの高校からそう離れていない喫茶ってのバイトでいるらしい」 誰が見ているか分からない。 ルナマリアが危惧していた事が現実となったのだ。 「・・・・」 「ショックだったか」 黙り込んだまま写真を食いるように見つめるシンに声をかけると感情を押し凝らした返事が帰ってきた。 「・・・・2年も離れていればそういうことだって・・・・」 「ここからが本題だ。それでもステラを娶る気はあるか」 恋人の元で幸せな彼女を。 心が別にいってしまった彼女をそのまま娶れという。 それはシンにとってあまりにも酷な言葉だった。 「恋人がいるんだろ」 「俺は手を切らせるつもりだ。彼にステラを幸せに出来るだけの力はない」 「そんな事・・・・」 「別れさせる」 傷ついた顔で見上げてくるシンにレイはきっぱりと宣言した。 その言葉には頑な意思が見えていて、彼はそのつもりなのだろう、たとえどんな手段をとっても。 もしかしたらステラが傷ついてしまうかもしれない。 そう思ったシンを異唱えようとした。 だが。 「お前だってステラの事は分かっているだろう。去年の今頃はまだ入退院を繰り返していた。それでようやく外に出られるようになって・・・・急に外の世界に、それもまったく別の世界で生きられると思うか」 珍しく饒舌なレイに驚きを隠せないシンはただ目を瞬かせて彼を見つめた。 「全てが新鮮に映ってしまうステラの一時の気の迷いだ。麻疹にかかったようなものだろう。すぐに忘れる」 寡黙で厳しいレイ。 だが幼い頃からともに同じ時をすごしてきた幼馴染だ。 彼がどんなにステラを大切に思っているか口にせずとも分かっていた。 家を重んじ、家長を敬うレイがこの話を父親を通さずにシンに直接持ち出してきたことには彼なりの意図があった事なのだろう。 「俺にどうしろと・・・・?」 「特にない。俺が事を済ませる。お前はそのあとの ステラを受け止めてやってほしい」 「・・・・レイ」 「ステラにとって酷な事をするとおもう。だが俺は・・・・」 それ以上言葉は続く事は無かった。 間もなくレイの部屋の外からパタパタと足音が聞こえてきて。 続いてかの扉をノックする音が部屋に響いたのだった。 あとがき つづきます |