昔々。
人間の王子様に恋をした人魚の姫がいました。
彼と一緒になりたくて人間になりましたが、彼は他の姫と結婚してしまいました。
人魚の姫は彼らの幸せを陰から祈ると。
海に身を投げ、海の泡となりました。
彼女が溶け込んだ海の泡は朝日の中でキラキラと踊るように輝いていました。
いつまでもいつまでも。












ねぇ、海の泡になれたなんて素敵。
人魚の姫は海の一部になれたんだよ、いいなぁ。
人魚姫を読んだ後そう言ったらアウルはばっかじゃねぇーのととても冷めた目でステラを見たのを覚えている。
どうして?と聞いたら自分で考えろ・・・・ってそっぽを向いて、そのときは教えてくれなかった。



































ステラがザフトから戻ったとき、いたのはネオと・・・冷たい目をしたスティング。いるはずのもう一人の姿を探すステラにネオはアウルは海に還ったと言った。母なる海に還り、もう戻らないと。






見渡す限り広がるあおい、あおい海。
引いては押し寄せ。引いては押し寄せる静かな波の音。





「アウル」




そっと名を呼んでみた。
返事は無く。
聞こえてくるのは小波の音だけ。
もう一度名を呼んだ。


アウル、聞こえている?
海にいるの?
アウルは海の泡になんかならないと言っていたよね。
ステラ、アウルを探すから、見つけたらまた抱きしめてくれる?
好きだよ、って言ってくれる?
あのときのように。












ちょっと前の事だった。
いつものように立寄った港から離れた別荘地でザフトを追い詰めるチャンスだとスティングはネオに呼ばれて出かけ、ステラとアウルは二人きりお屋敷に残された。


「なんで僕がまたお前のお守りなんだよ」


波打ち際で足を浸してると、ステラの靴を両手に持ってすぐ後ろを歩くアウルがため息混じりにそういうのが聞こえて振り返った。


「お守り?」
「お前以外誰がいんだよ」


僕に物まで持たせてさっ、とアウルが膨れる。
そうするとアウルは時々子供みたいに見える。
でもそう言ったらアウルが怒るからステラは言わない。
怒ったり。笑ったり。膨れたり。
いろいろの顔をするアウル。
ネオやスティングより色々な顔をするアウルだけれどネオよりもスティングよりもアウルはとても分かりづらい。
皆が笑うときにアウルは笑わない事も多いし、ネオやスティングが笑って頭をなでてくれるのに、アウルは怒っているときもあるから。
どうしてかな?
どうして、と聞いても絶対に答えてくれないの。

いつも賑やかなアウル。
怒りん坊なアウル。
うるさいアウル。
意地悪だけど時々優しいアウル。

アウルはときどきとても静かになって遠い、遠い目をするときがある。
そんな時誰も近寄る事は出来なくて、アウルがとても遠くて哀しげに見えた。
アウルがいなくなるかもしれないと思うと怖くて彼に触れると、またいつものアウルに戻る。
そしてしばらく立つとまたそんなアウルが現れる。
その繰り返し・・・・・。



「アウル・・・・海で遊ばないの?」
「やだね。濡れるから」
「・・・・」


アウルは波が届くか届かないぎりぎりのところで立ったまま、そこから動こうとしなかった。
せっかく二人なのに。
それも二人しかいないのに遊べないなんてつまらない。
そう思ったからステラね・・・・アウルの近くによって手を差し出したの。


「くつ?ほれ、受け取れ」


ステラがほしかったのは靴ではなく、別なものだったんだよ?
油断していたアウルの両手をつかむと、全部の体重をかけてステラはアウルを海の中へと引っ張り込んだ。
でも思いっきり引っ張りすぎたのか。
ステラもアウルも海の中へと倒れこんでしまい、
大きな水しぶきがあがり、アウルが悲鳴を上げたのが聞こえた。
水の中に倒れこんだステラは腰まで水に浸かり、その上に折り重なるようにアウルが倒れこんだ。そのとき水に濡れたアウルの顔が至近距離に来て少しだけ、どきどきした。


「この馬鹿っ、なにす・・・・」


そのときステラは・・・・。
どうしてか分からない。
ただ心に引き寄せられるがまま、アウルの首に手を回して彼を引き寄せた。
ぴたりとくっついた体越しにアウルの胸がはねたような気がした。


「アウル、人魚姫みたい」
「アホか。僕は男だぞっ」


どーゆー思考回路してんだよ、と怒るアウル。
ステラはただアウルが抱きしめたくなっただけ。
まえに人は何の前触れも無く、人に惹かれる時があると聞いた事がある。
そんな感じ。
海のアウル、綺麗だなって。
陸より海に住んでいる方が自然のように思ったの。
人魚姫のように。


「どうして人魚姫、ダメなの?」
「男が姫のわけねーだろっ」
「じゃ・・・あ・・・・王子、様?」
「・・・・もういいや、なんでも」


アウルはため息をつくとステラの背中と膝下に腕を回し、立ち上がった。
ふわりとステラの体がふわりと浮いた。お話に出てくるお姫様のように抱きかかえられたのがとても嬉しくてアウルの首を引き寄せた。


「うわぁ、王子様。やっぱり、アウルは人魚の王子様」
「・・・・」


アウルは黙って海のほうを見たのでステラもつられて海を見やった。
波がひいては押し寄せ。
水しぶきが立ち、泡が宙に舞う。
キラキラとしていてとても綺麗だった。


「ステラ」
「なに・・・・?」
「僕は人魚姫なんかと違って泡なんかになんないからな」
「?うん・・・・?」


言っている意味がよく分からなくてアウルを見上げたけれど、アウルはそれ以上何も言わず、お屋敷へ向かって歩き出した。



そのあとは濡れた服を脱いでシャワーを浴びた。
アウルはステラがシャワーを浴びている間ぼんやりと窓の外を見ていた。
まただ。
まただった。
アウルが、とても遠い。


「あうる」
「ん?あ、ああ・・・。わりぃ、ぼんやりしてた」


声をかけるとアウルは夢から覚め切れないような顔をして立ち上がった。
そんなアウルにとても不安になってすれ違いざまに彼の裾をつかむと、怪訝そうな顔をしてステラを見た。


「どこにも・・・・行かない・・・?」
「・・・いかねーよ。ほれ、シャワー浴びてくっから離せよ。な?」


いつもならうるさいというアウルはとても優しくて。
もっともっと不安になった。
どこか行ってしまうのだろうか。
もう触れられなくなるのだろうか。
そんな不安。


「アウル、泡にならないって言った・・・・よね?」
「そうだけど?」
「うん、それなら・・・・いい・・・・」


海に来るまでは泡になるなんてとても素敵だとそう思っていたけれど。
今はそう思えなかった。
泡になってしまったらもう触れる事も声も聞くことも出来ない。人魚姫はそう、思わなかったのかな。


「何だよ、一緒にねんの?」
「・・・・うん」
「・・・・・」


夜遅くになってもスティングは帰ってこなくて。
昼の事で不安で眠れなかった。
アウルがいなくなっちゃうじゃないかな・・・・て。
アウルの部屋に来たら、彼は小さく笑うと、中に入れてくれた。

アウルの体温を逃がさないように彼にしがみつくと、アウルも足を絡めてくれて、冷たい足先にまでもが暖かくなってゆく。
暗闇の中でもアウルのマリンブルーはどこまでも綺麗に輝いていた。
優しい、色。


「アウル・・・・」
「ん?」
「アウル、どこにも行かないで」
「なんでんなこと言うんだよ」
「アウル、時々とても遠い。置いていかないで」


遠くを見るアウルを見るたびにずっと思っていた事。
傍にいるのが当たり前すぎて今まで思ったことなかったのに何故このように思うようになったのか分からない。
気づくいてよかったのか。
気づかなければよかったのか。


「置いていくか、馬鹿」


あぶなっかしいやつがいるんだから、とアウルは笑ってくれたことに安心すると同時に胸が高鳴る。

アウルはやっぱり王子様なんだ。

とても嬉しくてアウルの唇に自分の唇を寄せて触れた。
アウルがとても驚いたのが分かったけれど、そのまま彼がいつもしてくれるように舌を差し入れてみた。
でもアウルの歯が邪魔でそれ以上前に進めなくて困っていると、
アウルがクスリと笑ったのが分かった。
同時にアウルの舌がステラのとからみあった。
きつく押し付けられた唇。
息が詰まりそうなくらいそのキスは熱くて、意識が遠のきそうになる。
どちらのか分からない唾液は交じり合って口に溢れる。
そのまま飲み込むと、甘い痺れが意識の隅々まで広がっていった。


「あうる」
「ん?」


傍にいてくれる?
ずっとずっと守ってくれる?


「・・・・言わなくてもそうしてる。これからもそうする」


アウルの言葉でおぼろげだった日々が色を持って鮮やかに思い出された。
何故忘れていたのかな。
・・・そうだ・・・ね、
そうだったね。
ステラ、何故気がつかなかったのかな・・・・。
アウル。
ステラの、王子様。


「アウル、ステラの王子様。好き。大好き」
「馬鹿」
「馬鹿じゃないもん、ね・・・アウルは・・・?」


アウルはもう一度馬鹿とつぶやくと、ステラの首筋に顔を埋めた。
アウルの暖かい吐息と唇の感触がとても心地よくてうっとりと彼の髪をすいて言葉を待った。


「好きだよ」


永遠かと感じるほどの長いだんまりの後。
やっと聞こえるくらいの小さな声でアウルはささやいた。
好きだって言ってくれの。

とても小さい声だったけれどステラには十分だった。
幸せ、だった。

アウル、好き。

この気持ちは他の誰とも違う、たった一つの気持ち。
好き以外の言葉でどう表すか分からないけど世界でたった一つの気持ちだったの。


その夜はステラにとってもアウルにとっても忘れられない、忘れたくない夜だった。
とても幸せだったのよ。
でもその幸せも。
いま、思えば。
それは虫の知らせだったのかもしれない。




それからまもなく。
ステラはネオと船の人の会話からロドニアのラボが大変な事になっている話を聞いて。
アウルが「母さん』を想ってあんまり泣くから「母さん」を守ろうとガイアと一緒にラボに行った。

アウルは守ってくれるって言ってくれた。
だからステラも守る。
死ぬのが怖いのなら。
誰かが死ぬのが嫌なら守ればいい。
ステラにも守る事ができるってシンが教えてくれたから。
でも。
守ろうとしたけれど、失敗して。
ガイアは無くなって。
シンがネオのところへ返してくれたときはアウルはいなかった。
スティングもアウルを忘れていて。
ステラの事も知らなかった。



アウルがいて。
スティングがいて。
アウルが好きだよ、そばで守ってくれるって。
あんなに幸せ、だったのに。
どうして・・・・?







『アウルは海に還ったんだよ』



アウルは海の泡になんかならないって言ったもの。
傍で守ってくれるって。
ステラ、アウルを探す。
きっと海のどこかでステラが見つけるのを待っているはずだもの。
この体は今とても重いけど、ネオが治してくれるって。
治ったらスティングに覚えている限りの事をいっぱい話してアウルとステラの事を思い出してもらうの。
大丈夫。
ステラだって忘れていた記憶、たくさん思い出したよ。
アウルやスティングに守られていた記憶。
シンの事。
だから、スティングだって。
そしてスティングに手伝ってもらってアウル、探すから。
待っていて。



海に、いるよね?
アウル。


















あとがき


ステラがアウルを探し出せたかどうかは・・・・ご想像にお任せします。ここまで読んでくださってありがとうございました。