病気や悲しみも人にうつるが、笑いと上機嫌ほどうつりやすいものもこの世にないのだから、物事は美しく正しくりっぱに調整されているものである
 
チャールズ・ディケンズ 『クリスマスキャロル』
 












Praize to my Beloved Ones

――Sting――






 ……厚い雲が空を覆いつくし、細かい粉雪がさらさらと暗い海の上を舞い踊っている。その下では鉛色の波がジョーンズの船体に打ち付けてしぶきを上げていた。



「クリスマスだってのに天気悪いな」


 調理場の壁にぶらさがっているカレンダーを見つめながらスティングはそっとそうつぶやいた。クリスマス、といっても正確には昨日がクリスマスだった。
 イブとクリスマスはその準備でにぎわっていた調理場だったが、今はその役目を終え、ひっそりとしている――はずだった。ほとんど人気の耐えたはず調理場に今、熱と甘いにおいがたち込めている。

 調理長の趣味か、大きなもみの木と暖炉、そして靴下にプレゼントをねじ込もうとしている赤い服を着た太った年寄りが描かれた小さなカレンダー。年季の入った、くすんだ壁にふさわしくないそのファンシーさは外の景色とあいまって浮いて見えた。

 カレンダーから視線をはずすとステラが巨大なオーブンの前で陣取っているのが見えた。金色の巻きげは邪魔にならないように三角巾でまとめられ、調理長から借りた白いエプロンをしている。
 彼女は腕の中に泡立て途中の生クリームが入ったボウルを抱えたまま、オーブンの前で微動だにしない。

 このままではオーブンの熱と体温で生クリームが台無しになってしまう。

 そう判断すると、スティングは彼女のほうへとゆっくりと歩み寄り、やさしく声をかけた。


「生クリームを泡立てるんじゃないのか?そのままだと生クリームが悪くなるぞ」


 スティングの言葉にステラはようやくオーブンから視線をはずし、彼を見上げた。
そのすみれ色のまなざしに不安げな光が瞬いていた。


「じょうずに……できる、かな」
「もちろんだとも。俺も手伝っただろ」


 少し得意げに鼻を鳴らしてスティングは胸をそらして見せる。
 時間があるときは自分がアウルとステラのおやつを作ってきたのだから、当然だという自負が彼にあって、ステラもそれをわかっているだろうに、と少しだけ不満さえ覚えくらいだった。


「う、ん……そう、だね。アウル、喜んでくれる、かな……?」


 ところがステラの心配事はどうやら別のほうにあったらしい。
 彼女がケーキの出来の方を心配していない事への誇らしさと少しの寂しさをスティングは感じた。


「喜ぶんじゃないか。甘い物好きがイブにお預け食らっていたからな」


 クリスマス直前に風邪を引き、医務室で寝込んでいるアウル。
 急な熱と吐き気に襲われた彼は、他への感染を避けるため、医務室に送られた。クリスマス期間中散々うなっていて、ようやく熱が下がったのは今朝だった。

 熱が下がったばかりだというのに本人は元気があり余っているようで返せ出せと騒いでいたが、安静にしていなければないと軍医ににべもなく却下され、今だ医務室のベットに縛り付けられている。
 朝、様子を見にいったらスティングの角刈りが気に入らないと噛み付かれた。


「色が気に食わねー。形が気に食わねー。ついでに顔も気に食わねー!!」
「どうしろってんだ」
「色を変えるか丸刈りにしろっ!」


 無茶苦茶言いやがるとスティングは思ったが、病み上がり相手にけんかをするのも大人気ない。これ以上騒がしくなるのもいやだった。現に愛想のない看護人の視線がちくちくと刺さっきていて痛い。

 早急に会話を切り上げて医務室を後にすると、すれ違いざまに入っていったネオも仮面に文句をつけられているのが聞こえてきた。


「いい年こいてネコ仮面かよ、ダッセー!!」
「いつもの仮面じゃないか。それに俺はまだわか……」
「お・や・じっ!」


 ここで一拍の沈黙があった。
 あー、ネオのやつ、怒っているなぁと思っていると、彼のにこやかな声が聞こえてきた。


「アウル、この困ったちゃんめ〜。どうやらまだ風邪が治りきっていないようだから、注射もう一本追加しちゃおうかなぁ〜」

 ……やっぱり怒っている。
 アウルは医務室へと入室する際も相当騒いでこずらせていたからそのせいもあるのだろう。弟分の悲鳴を背中で聞きながらスティングは思いため息を掃き、その場をあとにした。スティングがステラに会ったのがそんなときだった。
 彼女もアウルの見舞いだったのだろうか。
 医務室の前で聞き耳を立てていたスティングを不思議そうに見つめていた。


「見舞いはやめておけ。あいつ、今とんでもなく機嫌悪い」


 いつからいたのだろうか。
 彼女が今のやり取りを聞いていたのかは判断つかなかったが、今行ったら何を言われるか。アウルとステラの両方が暴走したらとてもじゃないがその場を収める自信がなかった。


「もう少ししたら、あいつも落ち着くから。そのとき、一緒に行こうな。機嫌が悪いがものすごく元気だから心配するな」


 ものすごく、と強調してみせると、ステラは安心したのかゆっくりと笑顔になる。それでもなお名残惜しそうなそぶりを見せていたが、スティングは彼女の手をとり、ラウンジへと引っ張っていった。





「クリスマス……アウルがね……そり、乗せてくれるって……」


 鉛色の海が見えるラウンジで淹れたてのお茶を前にステラが漏らした一言でスティングはアウルの態度に合点が行った。


「なるほどな」


 ――わかりやすい。
 ミルクたっぷりのステラのカップに砂糖を入れてやりながら、スティングは思わず口元をほころばせた。

 普段の自分たちは三人で行動することが多く、クリスマスであってもそれは変わりはない。そしてそれを当たり前だと自分たちは思っていたのだけれど、今回のアウルは少しばかり違ったようだった。

 珍しく素直になって二人きりで何かをしようと思い立った矢先にあんなことになってしまい、アウルはさぞかし気落ちしたのだろう。
 それをかんしゃくに変えるところは彼らしいといえば彼らしい。
 弱いところを見せたくない。
 あの蒼の少年はそういう性格なのだ。


「そりゃあ残念だったな」
「う、ん……」


 しょんぼりとお茶をすするステラの頭をなでてやりながらさてどうするかとスティングは策をめぐらせる。
 大食漢で甘いもの好きでもあるアウル。

 クリスマスのイブと当日のごちそうを逃し、お目当てだろうと思われるデザートも逃し。

 さらに(おそらく彼なりの勇気を振り絞って)やっと取り付けたステラとの約束は取り逃がし。

 とどめにクソつまらない医務室でベットに縛り付けられている。


 ……アウルはさぞかし憂鬱だろう。
 そう思うと少しばかりかわいそうに思えてくる。
 そんな自分が彼にしてあげられる事。
 それは。


「ステラ、アウルにケーキを作ってもって行ってやるか?」
「ケーキ……?ステラ……が?」


 しょげて曇っていたステラの顔が光が差す。きらきらと精気に満ちた彼女の笑顔にスティングもやっぱり笑顔が一番だと目尻をさげた。
 ……が。


「すてら……ケーキ、作れない」


 すぐに自分にその能力がないことを思い出したのだろう。肩を落とすと、彼女の大きなすみれ色に涙がにじんできた。


「あー、泣くな、泣くな!俺がいるだろう。俺が手伝ってやるからな。なっ、なっ!?」


 妹分の一挙一動に慌てふためくスティング・オークレー、18歳。
 そうと決めると早速準備に取り掛かった。
 調理長とかけあい、調理場を借り受け、町で材料をそろえる。
 ステラでも失敗なく作れる……もとい手伝えるように手順を整え、現在に至る。


 塩と砂糖を間違えていないか。
 粉の量は。ちゃんとふるってあるか。
 卵はバターは。
 生クリームはイチゴは。
 そしてバニラエッセンスはわすれていないか。
 卵の泡立ては十分か。
 エトセトラエトセトラ。

 時には卵を分離させてしまいそうになったり、水を入れてしまって泡立たなくなってしまったり。横からはらはらしながらスティングはステラの様子を見守っていた。

 眉間に皺を作り、レシピとにらめっこしながら泡だて器を動かすステラ。材料を手際よく渡しながら、スティングは細かく指示を出していたが、彼はケーキ作りに手を出させてもらえないでいた。手を出そうとすると、ステラが食いつきそうなまなざしを向けてくる。

 初めてのケーキ作りとあってすっかり夢中になっているようだった。


「それだけ、じゃねーだろうな」


 オーブンから離れて懸命に生クリームを泡立てているステラの姿にスティングは金色の瞳を細めた。



 そしてケーキだねをオーブンに入れて待つこと数十分。



 ちんという小さな音にステラの身が跳ね上がったかとおもうと、ぱたぱたとオーブンへと駆け寄った。
 二人して覗き込むとオーブンの中で小さなケーキの土台が黄金色の、大きなふくらみを見せていた。


「ステラ、がんばった……?」
「そうだな。よくがんばった」
「うんっ!!」


 大きくうなずいて見せたステラの誇らしげな笑顔はスティングの脳裏に焼き付けられた。




 焼きあがったケーキの土台にステラはスティングが取って置きのブランデーで作ったシロップを塗りつけてゆく。生地が冷める前に生クリームを塗りつけようとしたのでスティングがさめてからと押しとどめた。ステラは不満げな顔を見せたが、素直に従った。
 冷まるのを落ちつかない様子で待つステラの傍でスティングは飾り付けるイチゴを残し、イチゴをピューレ状にし始める。その作業に気づいたステラが手元を覗き込んできた。


「これを八分立ての生クリームに混ぜろ。ストロベリーエッセンスを忘れずにな」


 イチゴをはさんだだけではなく、イチゴ入りのクリーム。
 ステラの目が輝いた。


「イチゴ……いっぱい……?」
「そうだ。目一杯贅沢なのにしような」


 オーソドックスなショートケーキに考えつく限りの工夫。
 これがアウルの不機嫌さを払拭してくれるよう、願いを込めて。
 そして。
 クリスマスを一人ベットで過ごさなければならなかった、さびしがり屋で意地っ張りの少年が少しでも……と。


 スティングは願いを込める。


 やがて出来上がったケーキを箱に入れると、スティングはステラに静かに手渡した。


「持っていってやれ」
「スティング……は……?」


 いつものように自分を待つしぐさを見せるステラ。
 弟分もそんな風に自分とステラを待っていた。
 今その少年はここにいないけれど。


「後片付けを済ませたらすぐ行く。先に行ってやってくれ」


 その方がいいだろうし、な。

 口には出さずに心の中でそう付け加えると、スティングはステラに先行くように促した。ステラはやや戸惑った顔を見せたものの、アウルに見せたい気持ちも強かったのだろう。大きくうなずくと、ケーキの箱を腕にしっかりと抱えて走り出した。

 アウルの待つ、医務室へと。


「おおい、廊下は走るなよー」


 年長者らしくステラに声をかけたけれど、彼女は振り向かない。とまらない。
 転ばなければいいが、とスティングは苦笑すると、後片付けをしようと調理場へときびすを返した。


 明日にはアウルもステラも元気な笑顔を見せてくれるだろう。




 そう、思いながら。







 題名は愛する者たちにに祝福を。
 軍隊では医務室に入院することを入室といいます。
 病院だと入院ですけどね。

 留守中に行ったアンケート小説。本編準拠アウステ+スティング。アウルとステラの幸せを願うスティング編でした。対となるアウステ偏も一緒に読んでいただけるとうれしいです。