「綾波さん,このプリントを渚君に渡しておいてくれる?彼 転校してきたばかりでしょ?先生からもらった連絡の プリントなんだけど」 |
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ある春の日の昼下がり。 午後からの職員会議ため授業は早めに終わり,周囲は帰り支度をはじめていた。洞木さんが私に声をかけてきたのはそんな時だった。 「どうして?」 直接渡せば,と言ったら洞木さんは困ったようにため息をついた。 「そうしたかったんだけど,姿が見えなくって。 鞄あるからまだ帰ってないと思うのだけど。私、週番だし・・」 あたりを見まわすが,確かに彼の姿はない。 「そういえばカヲル君,朝のホームルームで見たきりだった・・・」 碇君が思い出したように横から口を挟む。1時間目は自習だったのだが,私も彼の姿は記憶になかった。碇君の隣でアスカがはああっと大げさにため息をついた。 「あいつ、きっとさぼりね。転校早々いい度胸してるわ」 そのとき開け放たれた窓から柔らかい風が吹き抜けていたずらっぽく私達の髪を揺らした。 |
2016年の春 |
カヲルの姿を探してわたしは学校の中庭に出た。 ほとんどの生徒は下校しはじめていて,中庭の人影はまばらだった。 柔らかな日差しの射す、春を思わせるこの季節。 私の周りに静かな生命の息吹を感じる。 足を止めて耳をすます。 所々に小鳥のさえずる声。 木々を揺らす風の気配。 芝生の草のささやき。 舞い散る桜吹雪。 頬をなでる風もとても優しい。 目を閉じてその心地よさにしばらく身をまかせた。 サードインパクトの後。 長らく失われていた季節が再びその姿を見せ始めた。 その最初の客人が冷たい冬の訪れだった。 突然の冷え込み。 そして初雪。 ちらちらと舞い落ちてきた雪に世界中が沸いた。 15年ぶりの雪は積もりこそはしなかったけど、私達には十分な衝撃を与えてくれた。 そしてこの春の訪れ。 日本の象徴というべき桜の木がつぼみをつけたとき、皆は開花を今か今かと待ちわび、その桜が開花したときは日本中――いえ、世界中にそのニュースが駆け巡ったの。 第壱中学校の周辺の木は桜の木だったらしく、それらが一斉に開花したときは、セカンドインパクト世代である私達はその美しさにただ言葉を失った。この間まで照り付ける熱い夏しか知らなかった私達にとって、冬の雪以上の衝撃だったのだ。 最初の驚きから我に返ると、生徒の皆は大はしゃぎで写真を撮ったり,桜のシャワーの中で踊ったりしているのを、教師達は誰一人この騒ぎをとがめるものはなく,嬉しそうにその様子を見守っていた。そしてその生徒たちの中でも特にアスカや鈴原君達のはしゃぎようは特筆物だった。 「ほーら、馬鹿シンジ!ちゃんと撮りなさいよ!このあたしがモデルなんだからね!」 「ふふふふ。これは売れるぞぉー」 「こぉら、相田ぁっ!!誰があんたに撮って好いって言ったぁっ!!」 「くっ。これは俺の大事な収入源だ,死守する!!」 「待ちなさいっ!」 「アスカぁ、ケンスケー、恥ずかしいからやめようよー」 アスカは碇君との撮影会のはずが対相田君の壮絶な追いかけっこ。その横で碇君は困っておろおろしていた。鈴原君は桜の木の近くで洞木さんに何やらとがめられていた。 「鈴原、桜の枝折っちゃダメでしょう!!」 「妹の見舞いや。そうやいやい言うなや」 「え・・」 まだ入院中の妹さんに桜を持っていってあげたかったらしい。ネルフの病院に移ってからの妹さんは様態もだいぶ安定し,退院のめどが立ったのだが、桜の時期には間に合わないということでどうしても実物を見せてあげたいのだと,懇願していた。すかさず,カヲルがフォローをいれた。 「ネルフの病院には桜がないからね。桜の木も大目に見てくれるよ。でもあまり折ると可哀想だから一本だけだよ」 「・・そうね。こんなに綺麗なんだもの・・」 鈴原の気持ちとカヲルのフォローで,洞木さんは少し言いすぎたかな、という顔で桜の木をみあげた。 「ごめんね。鈴原の妹さんにも見せてあげたいの」 「桜の木、すまんのう。妹が退院したらきっちり礼するから」 その言葉に呼応するかのように桜の枝が微かに揺れた。 「この分だと今年は秋が見れそうだな」 冬月副司令がとても嬉しそうにそうつぶやいてたのをふと思い出す。 夏の後の事だからまだ気が早いとは思ったけれど、本当に待ち遠しそうだった。冬月副司令の焦がれる秋ってどんなものなのかしら。 以前のわたしは季節など気にした事もなかった。 いつもいつも同じ夏。 そもそも私は周囲の事に無関心だった。 ただエヴァに乗るため。 ただ碇司令のため。 そのためだけに生きていたから、それらは私には何の意味もなさなかった。 今は違う。 誰のためではなく。 私は私のために生きている。 一人のヒトとして。 「カヲルに渡しておけばいいのね。分かったわ」 「ごめんね,綾波さん。よろしく」 プリントを受け取ると洞木さんはすまなそうに手を合わせる。それを見ていた碇君が 「あの、僕が行こうか」 と申し出てくれたのだけど、それをアスカがすごい剣幕でさえぎった。 「ふざけんじゃないわよ!あたしにおごる約束はどうしたのよ?逃げようってそうはいかないわよ」 「別にそんなわけじゃ・・。渡した後でいいだろ?」 逃げるつもりはないよ,何だよと 碇君はむぅとした顔をしてアスカに反論する。 その顔が可愛らしくて思わず口元がほころんだ。 彼の心に余裕が出来てきたのか。 碇君が最近力強く感じる。碇司令とうまくいっているらしい。 この間の休み,彼らは二人で釣りに行ったと聞いた。 「僕のお弁当,おいしそうに食べてくれたんだ」 彼は多くは語ってくれなかったけど,とてもとても嬉しそうだった。 「綾波,僕が・・」 負けじとアスカが再び割って入った。 「いやよ!あたしは暇じゃないんだからね。レイなら大丈夫よ!ね,レイ」 有無を言わせない迫力で私を見る。碇君は、というとアスカに首をしめられ,口をパクパクさせていた。 「ええ」 仕方なく私はそう答えた。 ・・・特に用事もなかったし。 碇君,強くなったとはいえ・・。 アスカが優位なのは相変わらずなのね。 目をあけ、再び歩き出す。 カヲルの行きそうな場所は大体わかっていった。 陽当たりがよくってまどろめるところ。 彼はのんびりとするのが好きなのだ。 静かに周りを観察し微笑んでいる。 「じじむさい・・」 「それいえてるかも・・」 その様子を見るたびに アスカは呆れたようにためいきをつく。 同時に碇君もうんうんと力強くうなずくのだ。 「あっははは〜。そりゃあ、あの副司令が保護者だもんねぇ〜」 以前ネルフ食堂でそんな話をしたとき,昼間からビールを開けながら葛城三佐は豪快に笑った。 「ミサトのところよりもいいんじゃないの?」 「ぶっ」 「きゃっ」 赤木博士の突っ込みに葛城三佐がビールを吹く。 慌ててよける伊吹ニ尉。 うどんをすすっていた青葉ニ尉はむせて,鼻からうどんを出し、 日向ニ尉はどうフォローしたらいいのか分からず、ラーメンどんぶりから顔を上げずに眼だけをきょろきょろさせていた。 「気をつけて頂戴。きたないわね」 眉をひそめる赤木博士。周囲の喧騒を尻目に葛城三佐が彼女に食って掛かる。 「あによぉ〜。シンジ君をみなさいよ!健やかに育ってるじゃないのよ〜」 「ええ。立派な主夫にね」 「ぐっ」 使徒との戦いが激化する前。 アスカが来たばかりの頃の明るさ。 いえ,それ以上の明るさを周りの空気に感じるわ。 うわべではなく。 かりそめでもない,本物の明るさ。 ・・そして暖かさ。 この空気は本来のあるべきものだったなのかもしれない。 ようやく皆が手に入れた平和が今、ここにある。 カヲルの姿を探して私は歩き回った。 中庭には彼の姿はなかった。 大きな桜の木の下にも。 茂みの影にも。 残すところは・・・。 かつーん。かつーん。 人気のない 階段をあがってゆく。 響くのは私の靴音だけ。 向かうは屋上。 最近のお気に入りだとカヲルが言っていた場所。 好い風があるし,眺めもお気に入りだそうだ。 ぎいっと屋上に通じる扉を開くと 午後の日差しが隙間からこぼれ出る。 まぶしくて一瞬目を細める。 そのときふわっと優しい風が私の頬をなでた。 ちらちらと桜の花びらが舞う。 気持ちいい。 首を左右に動かしてとカヲルの姿を探す。 ・・・いた。 桜が舞い込むこの屋上で 直射日光を避けた壁際に寄りかかって カヲルは静かな寝息を立てていた。 柔らかい陽射しを受けて銀色の髪がきらきらと輝いている。 よく見るとピンク色の花びらの何枚かが頭の上で揺れていた。 「カヲル君,朝のホームルーム以来見てない」 と碇君が言っていった通り,彼は朝からここでずっといたのだろう。 1時間目は自習だった事もあり,ここに来てそのまま眠り込んでしまったに ちがいなかった。 微かな笑みを浮かべて無邪気に眠っている。 あまりにも気持ちよさそうで起こす気が引けた。 眠る彼の前に腰を下ろして彼の寝顔を見る。 両腕と両足は無造作に投げ出し, 壁に頭と上半身を預けて 細い肩が静かに上下している。 長いまつげ。 長めの前髪に、今は閉ざされている大きな瞳。 整った鼻筋。 わたしから見ても彼はとても綺麗だった。 手を伸ばして彼の柔らかい髪をなでる。 その間もすやすやと彼は眠りつづける。 眠り姫。 ・・・もとい。 眠りの森の王子。 そんな印象。 王子という言葉がしっくりくるのは 彼がまとう気品のせいだろうか。 眠りを覚ますにはキス? くす。 いたずらっぽい気持ちになってわたしは目を細める。 そんな甘いものじゃない。 授業をサボったうえ、面倒をかけたのだから。 それ相応の報復を受けてもらう。 手を伸ばし,カヲルの白い両頬を掴むとふにっと,引っ張った。 力いっぱいひっぱってやるつもりだった。 ・・・けど。 とたんに白い両手ががっしりと私の手首を掴んだ。 「!?」 驚いて反応するより早く,そのまま前へ引っ張り込まれた。 彼の方へと。 そのままカヲルの上に倒れこむ形で折り重なり、 気がつくと大きな紅い瞳が至近距離にあった。 唇が重なる。 時が止まった。 どれくらいだったのだろう。 長いキスから解放されると私は彼から距離を取り, 精一杯平静をよそい、睨み付ける。でも胸は早鐘のように打っていて、 頬が紅潮しているのが自分でも分かる。 カヲルは悪びれた様子なく,いつもの笑みを浮かべていた。 「ひどいな、起こすなら優しいキスだろう?」 「・・・授業をさぼったヒトの言う事?」 「え?」 私の言葉に目を丸くした彼を見て 彼は授業をサボるつもりはなかったのだと気がついた。 不可抗力だったのだろうう。私はおかしくなった。 「あなた、もしかして本当に眠り込んでしまったの?」 「・・授業終わってしまったのかい」 「ええ。もう皆下校したわ」 「・・・」 しばし沈黙に陥る彼を見て、私はたまらず笑ってしまった。 どこか飄々としている彼が狼狽するところはめったに見れるものじゃない。 とてもとても可笑しかった。 やや憮然とそんな私を見ていたカヲルもやがて一緒に声を立てて笑いはじめた。 「ぷっ。あっははは」 「くすくすくす」 ざざっ。 木々のざわめきと共に 小さなつむじ風がくるくると桜の花びらを舞い上げた。 「はい」 「何?」 ひとしきり笑い終えると カヲルは白い細腕を私に差し出した。 何の意図かわからず、カヲルを見る。 「起こして」 にこにこして彼はそうのたまわった。 そんな彼のずうずうしさに私は 今度こそ彼の両頬を思いっきりひっぱってやった。 「ひどいなぁ。思いっきり引っ張るなんて」 少し非難めいたカヲルの声を背を向けたとき、ふと屋上の入り口付近の人の気配に気いて私は足を止めた。トンと勢い余って私の背中にぶつかるカヲル。私の様子に気づいたのか,同じように屋上の入り口の方へと目をやる。 「ちょっとアスカ・・」 「なによ、うるさいわね。静かにしなさいよ,見つかるじゃない」 ぼそぼそと聞こえる二つの声。声の主は姿を見ずとも分かっていた。 下校したはずの碇君とアスカ。何しに戻って来たのだろうか? 「あのさ・・。その・・」 「ったくなによ。あーーここからじゃあ見えないじゃないのよ。もうちょっと奥の方かしら・・」 「アスカ・・,胸,あまり押し付けないでくれるかなぁ・・」 「へ?」 ばっちいーーーん!! 豪快な音が屋上に響き渡る。もうこれでは気配を隠している意味がない。つづいてアスカの罵声が続いた。 「エッチ!馬鹿!!変態っ!!!もう信じらんないっっーー!!」 「なんだよ!!アスカが勝手に押し付けたんじゃないか!!」 我を忘れてきーきーと喧嘩を始めた二人の声を聞いて私達は可笑しくてまた笑った。 「これじゃあ、隠れている意味がないね」 「・・どうしたのかしら。碇君,アスカにおごる約束があるって,先に帰っていたはずなのに」 「へえ。それで君が来たの?」 「?そうよ」 思わせぶりなカヲルの態度にわたしはいぶかしく思ったのだけれども,彼はニコニコと笑っているだけでそれ以上何も言わない。聞いても言わないと思ったから、追求はあきらめる事にした。 「ちょうどいい。皆で帰ろうか」 「そうね。途中に碇君がアスカにおごるっていた甘味屋があるの。おいしいあんみつといい茶があるそうよ」 いいね、とカヲルは嬉しそうに目を細める。彼は和菓子と日本茶が大好きなのだ。よく熱いお茶を傍らに冬月副司令と碁をうっているそうだ。カヲルは私のほうへと向き直るとこう言った。 「寄っていこうか」 「あなたのおごりよ」 「えぇ?・・やれやれ。分かったよ」 肩をすくめて微笑むカヲルに微笑みかえすと,わたしは碇君達に声をかけようといまだ喧嘩を続ける二人の方へと足を向けた。 |
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おわり |
あとがき エヴァはテレビや映画でショックを受けた作品でした。 ラストはどうしても破綻していたとしか思えなかった。 なんやかんや監督は言っていたけれど、私は不満だったです。 これはその『あと』のifの物語です。 オールキャラにしてなおかつカヲレイ。 春は過ぎてしまいましたが、掲載。 また手直しすると思います。 カヲレイはマイナーだったとは言え、この二人が大好きでした。 アスカシンジ、シンジレイ、カヲシンが主流の中、 なかなかなくてSSを書き始めたきっかけです。 アスカ×シンジのLASもちょこちょこと書いてました。 あのときは今よりマシな文章を書いてたような・・。 ここまで読んでくださって有り難うございました。 |